映画『ワイルド・スピード ICE BREAK』動画レビュー。
『ワイルド・スピード ICE BREAK』(2017年)
もはや、痛快バカ映画の領域を超越してしまったこのシリーズ。
その最新作を動画レビューしています。
合言葉は「昨日の敵は、今日の友」(笑)。
実はグローバル時代の新たなワールド・スタンダードを啓蒙するプロパガンダ映画なのかも知れません。
そんな作品を、ハリウッドが中国マネーをも資金源にして製作してるなんて、
ある意味、”深イイ話”なのかも知れませんね。
↓動画レビュー↓
映画『ワイルド・スピード ICE BREAK』レビュー
<スタッフ>
監督:F・ゲイリー・グレイ
製作:ニール・H・モリッツ
ビン・ディーゼル
マイケル・フォレスト
脚本:クリス・モーガン
<キャスト>
ビン・ディーゼル(ドム)
ドウェイン・ジョンソン(ホブス)
ミシェル・ロドリゲス(レティ)
タイリース・ギブソン(ローマン)
クリス・“リュダクリス”・ブリッジス(テズ)
ナタリー・エマニュエル(ラムジー)
エルザ・パタキー(エレナ)
スコット・イーストウッド(リトル・ノーバディ)
クリストファー・ヒビュ(ローズ)
ジャンマルコ・サンティアゴ(フェルナンド)
映画『ハードコア』動画レビュー。
『ハードコア』(2016年)
<スタッフ>
監督・脚本:イリヤ・ナイシュラー
撮影:セバ・カプトゥール
ヒョードル・リャッス
パシャ・カピノス
編集:スティーブ・ミルコビッチ
音楽:ダーシャ・チャルーシャ
<キャスト>
シャルト・コプリー(ジミー)
ヘイリー・ベネット(エステル)
ダニーラ・コズロフスキー(エイカン)
アンドレイ・デミエンティエフ
ダーシャ・チャルーシャ
スベトラーナ・ウスティノバ
ティム・ロス
↓動画レビュー↓
映画レビュー『ハードコア』酔いどれシネマ☆JACK#7
終始、主人公の一人称視点で撮影されたPOVアクションムービー。グロ満載のバイオレンス描写とFPSゲーム的な展開が話題の作品だが、意外や映画的な面白味にも溢れている。そんな本作の見どころを、(基本)ネタバレを避けてレビューしています。
【あらすじ】
不慮の事故や事件に巻き込まれたのか、激しく身体を損傷し、サイボーグとなった主人公ヘンリー。彼は誘拐された美しい妻を救出するため謎の集団を追跡し、血みどろの闘いを繰り広げるが。。
映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』【動画】レビュー。
「ゴースト・イン・ザ・シェル」(2017年)
<スタッフ>
監督:ルパート・サンダース
原作:士郎正宗
脚本:ジェイミー・モス
ウィリアム・ウィーラー
アーレン・クルーガー
撮影:ジェス・ホール
<キャスト>
スカーレット・ヨハンソン(少佐)
ピルウ・アスベック(バトー)
ビートたけし(荒巻)
ジュリエット・ビノシュ(オウレイ博士)
マイケル・カルメン・ピット(クゼ)
↓動画レビュー↓
映画レビュー『ゴースト・イン・ザ・シェル』酔いどれシネマ☆JACK#6
士郎政宗のSFコミック「攻殻機動隊」を原作に、ハリウッドで映画化された「ゴースト・イン・ザ・シェル」。
1980年代に生まれたSFのサブジャンル的概念”サイバーパンク”の系譜に位置する本作の特長について、プロダクトデザインや都市デザインの面と、出演する俳優陣の放つ魅力の両面からレビューしています。
【あらすじ】
人体の一部を機械化する技術が普及しつつある近未来の社会が舞台。
脳とわずかな記憶の断片だけを残し、その他全ての身体を機械化することに成功した主人公のミラ。
公安9課の”少佐”となった彼女は、神出鬼没のサイバー・テロとの闘いをとおして、次第に自らの知られざる過去と向き合うことになるが。。
あらためて【映画レビュー】動画を作ってみた。
番組が終わってしまった。
約2年に渡り、週に一回ペースでネット配信していた番組が今年の2月に終了した。
番組名は「DJまなびぃの部屋」(”まなび・LABO・広尾” 提供)。
この中でお天気とお出かけスポット(イベントや映画など)情報を扱った「広尾のごきげん空模様」、”教える”ことを生業とした様々な分野の先生方との対談コーナー「広尾の知恵袋」、映画レビュー専門の「広尾のシネマ☆JACK」などでパーソナリティーを務めさせていただいた。毎週金曜日の正午からUstreamでLIVE配信し、結果的に100回に至った番組において、ありがたいことに殆ど毎回出演させていただいた。
私以外にもレギュラー陣(私含め、全員シロウト 笑)は7名ほどいたが、基本的には2〜3週間サイクルでの持ち回りだった為、(お天気を扱うコーナーに出ていたこともあり)毎回出演させていただいたのは私だけではなかったろうかと思う。
特に、大好きな映画についての話題を提供していた2つのコーナー「広尾のごきげん空模様」と「広尾のシネマ☆JACK」については自分なりに力も入れていたし、いざ終了となると、妙に空虚感というか、寂しさが込み上げてきた。
動画レビューを始めた。
元々、人前で喋ることは決して得意でも好きでもなかったが、(前述のとおり)2年近くもやると、ちょっと病みつきになるというか(笑)、もうこのまま全て終わってしまうのはあまりにも残念だという思いにかられた。
というわけでYouTube上に、映画レビューを中心に据えた自分のチャンネル「酔いどれシネマ☆JACK」を立ち上げたのだ。
「酔いどれ〜」と名付けたのは、(どちらかというと)気合いとアドリブと勢い(笑)で押し切った前述のLIVE番組とは少し趣向を変えて、(あたかもお酒を飲みながらやってるかの如く、)リラックスした雰囲気で落ち着いて喋ってみたいと思ったからだ。
ただ最初の3回分(前回、前々回のブログ記事に掲載した動画も、その一つ)は、これまでやってきた”アドリブ撮影”の反動として、、予め台本を書いた上で、収録をした。
第3回:「ダーティ・グランパ」レビュー
映画レビュー『ダーティ・グランパ』酔いどれシネマ☆JACK#3
たしかに台本書くのめんどくさいし、意外と口語調な”文章”を書いていくのは難しい。映画やドラマのシナリオライターはその辺のスキルというか、才能が必要なのね、と実感する。
ところが、喋ってみるとサクサクッといくんだよね。これが。ライブ配信では20分前後かけて話した内容が、10分未満に余裕で収まってしまう。ちょっとアナウンサーごっことも言えなくもない(笑)。
そして4回目からは、さらに新たな取り組みを。
具体的には、、
ホントに酒でも飲みながら、ダラダラと無計画に思いつきで喋ってみようと。。
編集を施すので(厳密には)LIVEではないが、ちょっとライブ感を滲ませながら。
第4回:「ムーンライト」レビュー
映画レビュー『ムーンライト』酔いどれシネマ☆JACK#4
ちなみに第4回は、ホントに飲んでます(笑)。酔っ払ってグダグダ話した分、結構な長さとなってしまったが(笑)。さらには話が”行ったり来たり”してしまってるゆえ編集もしづらいという。。(涙)
正直、クオリティはまだまだです。撮影もトーク内容も。。
でも、子供の頃から胸に秘めた”映画愛”はたっぷり込めたつもり。
まぁ、よかったら是非リンクの動画も観て行ってください。
そして、さらによかったらYouTube「酔いどれシネマジャック」チャンネルにご登録を!!!
ミュージカルの新たな活用形・映画『ラ・ラ・ランド』レビュー ※半ネタバレあり。
『ラ・ラ・ランド』(2016年)
原題 :La La Land
製作国:アメリカ
配給 :ギャガ、ポニーキャニオン
<スタッフ>
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
撮影:リヌス・サンドグレン
美術:デビッド・ワスコ
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
<キャスト>
ライアン・ゴズリング(セバスチャン)
エマ・ストーン(ミア) 他
映画レビュー『ラ・ラ・ランド』酔いどれシネマ☆JACK#2
この映画は、前作「セッション」で彗星の如くデビューを果たした 若手監督のデイミアン・チャゼルが、 ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンを主演に迎えて 制作したミュージカル映画。夢を追う若い二人の恋愛物語が華やかな歌とダンスを織り込みながら描かれて行く。
【あらすじ】
物語の舞台はロサンゼルス。売れない女優の卵ミアは、オーディションに落ちて意気消沈しながらの帰り道、 たまたまピアノの音色に惹かれて訪れた場末のジャズバーでピアニストのセバスチャンと出会う。 二人はお互いの夢を語りあう内に、 次第に惹かれあい、恋に落ちていくが。。
【みどころ】
<ファンタジーとシリアスなヒューマンドラマの融合>
この映画最大の魅力、それは歌とダンスが織りなす”ファンタジー(夢、妄想)の世界”と、究極の自己実現を目指す若者二人が紡ぐ”ちょっぴりビターなヒューマンドラマ”が、渾然一体となっている点。
面白いのは、この二つの要素が「二層構造」をなしている訳ではなく、完全に一体となって独特の世界を構築している点だ。つまり、どちらか一方が欠けてしまっても、ここで描かれる物語の本質は全く成立しない。
言い換えれば、本作のミュージカル・シーンは単にストーリーに奥行きと味わいを与えるだけのものではない。それ自体が、主人公のふたりの心象風景(夢、ロマン、野望、哀しみ)を表出させているのだ。
<観客を迎え入れる、ウェルカム・シークエンス>
そして本作は、冒頭からいきなり見せ場がやってくる。LAに向かうハイウェイで 唐突に始まるミュージカルシーンがそれ。
この実にエキサイティングなプロローグが、観客を本作の物語世界へ一気に引きずり込むことに成功している。路上を縦横無尽に動き回るカメラワーク、 そして歌とダンスに、もういきなり釘付けになってしまう。観ていて思わず顔がほころぶほど、あぁもう楽しい!って感じ。
この、いきなり観客の心を鷲掴みにするスタイルは、往年のミュージカル映画を彷彿とさせる面も。 具体的な手法は全く異なるが、 画面いっぱいの花束と音楽で始まる往年の名作「マイフェアレディー」を連想してしまう。
<パステルカラーが彩る映像世界>
また、衣装といい、照明といい、 ”パステルカラー”をベースに統一された色みが実に美しく 印象的。その色彩を反映した映像がクラシカルな雰囲気や楽しさを演出していて、ワクワク感を誘ってくる。 これらはロケシーンも含めて一貫しており、 撮影や編集に相当な手間暇がかかっていたのではと思わせる。
因みに、本作で美術を担当するのはデビッド・ワスコ。この名前を見て”アッ”と思う映画ファンもいるのではないだろうか。彼はクエンティン・タランティーノの出世作「パルプ・フィクション」の美術を担った逸材。どう考えてもオタッキー(笑)な、タランティーノの物語世界に、どこかスタイリッシュなテイストをもたらした立役者と言える。「パルプ〜」のパルムドール獲得と彼の働きは決して無関係ではない筈だ。
そんなデビッド・ワスコが、本作の映像に”一定の気品”と”POPカルチャー的な楽しさ”をもたらしている。
<観る者をほくそ笑ませる演出>
それから、ミュージカルシーンで見せる 実に細かな気配りというか、”小粋な演出”も心憎い。
ライアン・ゴズリングが一人歌いながら 桟橋を歩くシーンがある。 ここで一つの背景として、老夫婦が登場する。 この夫婦とライアン・ゴズリングが何気に絡んでいくのだが、、これが実に素晴らしい。 茶目っ気たっぷりのユーモアだけでなく、まさに彼が演じる主人公セバスチャンの家族観や価値観を さりげなく象徴しているのだ。
また、ふたりがお互いの気持ちを確認した後に訪れるグリフィス天文台。ここは西海岸の人たちにとっては定番のデート・スポットだとか。
つまり、本国アメリカの観客にとっては、自らの歩んだ道(その中でも、とりわけ甘味な思い出)と重ね合わせてしまうシーンとなっているのだろう。
<夢と現実の相互作用>
ミュージカル作品としての定石どおり、クライマックスには歌とダンスに溢れた華やかな見せ場が!! しかし、このシーンが楽しくて夢に溢れていればいるほど、実は切なさや哀しみ、ビターな”人生のリアル”が胸に迫るという、巧みな構造をなしている映画でもある。言い方をかえれば、「夢」と「現実」の彼岸を描いているとも言えるだろう。
ところがそれは、例えば「バニラ・スカイ」(トム・クルーズ主演/2001年製作)で描かれたものとは少々趣きが異なる。「夢」と「現実」は決して矛盾しないのだ。
そして「Dream comes true!」などといった甘ったるいロマンティシズムを礼賛しているわけでもない。要は「何を」現実とし、「何を」夢とするのか、人生におけるシリアスな選択の必然性について描いているのだ。
<前作「セッション」との共通項>
それでは、本作で描かれる夢と現実とは一体なんなのか。
それは意外や、チャゼル監督の前作「セッション(原題:Whiplash)」と共通するテーマを孕(はら)んでいる。
この「セッション」に登場する鬼教師”フレッチャー教授”は、教え子の技量を”全否定”することで本物の才能が浮かび上がってくるのを待つ男。その為には手段を選ばない。自らの”社会性”すら否定してしまうほどの徹底ぶり。
そこに喰らい付いてくるのが主人公の青年”ニーマン”だ。彼はフレッチャーの用意したあらゆるプレッシャーに立ち向かっていく。そして彼が”フレッチャー”と共通するのは”手段を選ばない”こと。夢を実現する為にはあらゆる物事を犠牲にする。たとえそれが、自分を心から愛する人たちとの関係性であっても。。
まさに”狂気の沙汰”と言える。
「ラ・ラ・ランド」では、直接的にこの”狂気”が描かれることはない。それはセバスチャンとミア、二人の主人公の中に既に内包されているからだ。
そして、究極の自己実現の為に”犠牲にしてきたこと”に対する未練や哀切が情感たっぷりに描かれている。まさにそれこそが、本作の”ロマンティシズム”と言えるのではないだろうか。
「セッション」の主人公たちは、お互いが激しく対立しぶつかり合うことで才能を表出させようとした。一方、この「ラ・ラ・ランド」ではお互いを認め合い、慈しみ合うことで夢を実現させようとした。描かれる”それぞれの関係性は”全く異なる。真逆と言ってもいいだろう。
しかし、この2作の主人公たちは”デイミアン・チャゼルが信ずる”同じ人生の真理の上を歩んでいるからこそ、観るものの胸を熱くするに違いない。
「セッション」にも、「ラ・ラ・ランド」にも、ラストで二人の主人公が見つめ合うカットがある。私は、この眼差しが全く同じものに向けられているように思えてならないのだ。
実は、2年前に「セッション」を鑑賞した後、どうしても気になることがあった。
フレッチャー教授には、果たしてニーマンに対する愛情があったのかどうか。チャゼル監督はそこをどう考えていたのか。。
もしかしたら、、「ラ・ラ・ランド」はそんな観客の疑問やモヤモヤに対する、一つのアンサーだったのかも知れない。
そういう意味では、2つの作品はデミアン・チャゼルの半生を投影した「二部作」と言ってもよいのではないだろうか。
因みによく知られた話だが、「セッション」のニーマンと「ラ・ラ・ランド」のセバスチャンは、かつてジャズの世界で挫折した経験を持つチャゼル監督自身を強く投影したキャラクターだ。それは「ラ・ラ・ランド」の中で、ミアにクラシカルなジャズの魅力を力説するセバスチャンの姿にも色濃く現れている。
- アーティスト: サントラ,ジャスティン・ハーウィッツ feat.エマ・ストーン,ジャスティン・ポール,ジャスティン・ハーウィッツ
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2017/02/17
- メディア: CD
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美の悪魔に魅入られた世界/映画『ネオン・デーモン』レビュー ※半ネタバレ注意
映画レビュー「ネオン・デーモン」酔いどれシネマ☆JACK#1
『ネオン・デーモン』(2016年)
監督/ 原案/脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン
共同脚本:メアリー・ローズ
ポリー・ステンハム
製作国 :フランス・アメリカ・デンマーク合作
配給 :ギャガ
【あらすじ】
トップモデルを夢見て故郷の田舎町からロサンゼルスに上京してきた16歳のジェシー。人を惹きつける天性の魅力を持つ彼女は、すぐに一流デザイナーや有名カメラマンの目に留まり、順調なキャリアを歩みはじめる。ライバルたちは嫉妬心から彼女を引きずりおろそうとするが、ジェシーもまた自身の中に眠っていた異常なまでの野心に目覚めていく。
(映画.comより抜粋)
【みどころ・感想】
劇場に足を運ぶ前から始まる映画
この映画で先ずショッキングなのは上掲の宣伝写真。喉を切られたのか、血を流しながら力なくソファにもたれる美少女の姿が、劇場に入る前から私たちを強い不穏感で包み込むんでくる。
一体、この少女は主人公なのか、それとも「イット・フォローズ」のようにオープニングに登場する不運な第一犠牲者の屍なのか。。
この映画に何の前知識もないまま、この画像を目にした私はそんなことを考えた。
その疑問は、映画の冒頭であっけなく解消される。ああ、そうだったのね、と。
ところがその安堵感を、この映画は次第に掻き消していくような展開を見せていく。
希薄なストーリー性
(あくまで個人的な感想だが、、)
全般的に物語性の薄い映画だ。
とはいえ、前衛的なわけでも難解なわけでもない。明確なストーリーはあるが、いたってシンプル。筋書き自体に特に深みがあるわけでもなく、複雑な構成を成しているわけでもない。
主人公含め登場人物の背景についても、多くは語られず。しかも、そこに観客の想像や妄想を喚起する仕掛けが施されているわけでもない。
結果的に、主人公はじめ各登場人物への感情移入が今ひとつできない。ゆえに鑑賞直後は、”あまり好きなタイプの映画じゃないな”と感じた。
きらびやかな色彩と映像の質感
ところが映画館を後にして何日か経っても、本作の印象が頭にこびりついて離れない。
赤と青をベースにしたネオン調の色彩とゴールドメタリックな煌びやかさ、下着姿の美しいモデルたちの佇まい、少々グロくてショッキングな描写、さらには、そこに絡まってくるエレクトロニカ系のサウンド 。。
きっと、これら感覚的な要素に”視覚”と”聴覚”をガンガンと刺激された余韻があまりにも強く残っているからなのだろう。
そんな感覚に訴えかけてくるような映画全体の佇まいは、かのイタリアンホラーの重鎮”ダリオ・アルジェント”の代表作『サスペリア』を想起させる。
終盤で、包丁を掲げた主人公の少女が立ち尽くすシーンはその最たるもの。
極めて数奇な運命を辿る主人公の少女”ジェシー”。実は、彼女の行く末を予見するかのようなシーン(セリフのやり取り)が序盤で見られる。パーティ会場のパウダールームで、主人公が先輩モデルたちから受ける質問内容に、それは込められている。食欲と性欲にまつわる問いかけに。
そして次第にジェシーは、自らの中で目醒めた内なる狂気(=悪魔=デーモン)に巻き取られていく。それは、悪魔と悪魔による壮絶な”潰し合い”と”同化”の発端と言えるのかもしれない。
【出演者】
透き通った美しさに満ちた主人公ジェシー。演ずるは、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」で主人公トランボの愛娘の役を務めたエル・ファニング。映画の序盤では無垢な美しさを醸しつつ、終盤に近づくほど”妖艶さ”や”怪しさ”を帯びてくる難しい役柄を見事に演じきっている。
ジェナ・マローン(ルビー)
田舎町から出て来たばかりの主人公ジェシーをファッション業界において導く”水先案内人”を務めるのが、ジェナ・マローン演じるルビーだ。実は、彼女が本作において果たす役割は非常に大きい。でもそれを説明してしまうとモロにネタバレとなってしまうので、ここでは書かない(笑)。
アビー・リー・カーショウ(サラ)
オーストラリア出身。「マッドマックス 怒りのデスロード」では、敵役”イモータン・ジョー”の妻たる”美女軍団”の一人を演じた。
本作では、ジェシーの先輩モデル”サラ”役を務める。このサラの「モデル業や美しさ」に対する突出した執念が、本作における重要な軸を形成している。
【まとめ】
総じて本作は、物語性よりも視覚や聴覚に訴えかける刺激がイニシアティブを持っている映画と言える。そういう意味では、昨年鑑賞した「イレブン・ミニッツ」(イエジー・スコリモフスキ監督)との共通点も多い。
ただ同作と異なるのは、”それらの刺激”が決して物語から独立しているわけではない点だ。この”刺激”こそが、極めてシンプルなストーリー設定とキャラクター設定に独特の”奥行き”をつける役割を果たしている。
そして、その作風は一体どのような結果をうみだすのか?
それは時間が経過するにつれ、もう一度(あるいは何回も)この映画を”観たい”という”欲求”が生み出されることではないだろうか。
現代の商業映画の世界おいて、ロードショーが終わった後にリリースされるDVDの売れ行きは、ビジネスとしての成否をジャッジする上で重要な指標となる。よって、上記のように繰り返し観たく”させる”ような作風は、”マーケティング戦略の一貫”として捉えられるべきものと考えるのだ。
意外とレフン監督って、意図的にマーケティング手法を導入して自らの作品を制作しているようなフシがある。つまりはクレバーなのだ(、きっと)。その趣向は、本作のタイトルバックに出てくる「NWR」のロゴにも表れているような気がしてならない。
きっとレフン監督は自分の生み出した作品群を、(あたかも服飾や宝飾品のように)ブランディングしようと目論んでいるに違いない。
2016年 <私的>映画ランキング Best30
えー、今さらながらですが。
昨年(2016年)1年間に封切られた映画のうち、わたくしが劇場鑑賞した作品につきまして、ランキングを発表したく思います!
<採点、ランキング方法について>
そもそも私は、映画を劇場鑑賞した後、備忘録の意味もあり、都度Filmarksに簡単なレビューと評点(5点満点)をつけていまして。今回のランキングはその際に付けた評点を基に”順位付け”をしたものとなってます(※同点のものは改めて検討のうえ順位を付けました)。
実はこのやり方を採用すると、ぶっちゃけ、(評点した自分自身でも)ランキング結果に違和感を覚える面もありました。たとえば、「あれ?レヴェナントって、シビル・ウォーよりも下でよかったっけ??」とか(笑)。
ただ、今回はそういった違和感に対して、改めて点数を調整したりはしませんでした。人間の記憶はいい加減なもので、時の経過と共に、そのデータは劣化するもの。また世間一般の評判が自分の評価に影響を与えることもあるだろうかと。よって今回は”鑑賞直後の率直でフレッシュな”判断を優先することとしました。
<※リンクを貼りましたレビュー動画は、いずれもUstreamライブ配信用に一発撮りしたものです。お見苦しい点などありましたらお赦し願います。>
前置きが長くなりましたね(笑)、、
早速ランキング発表行きます!!
30位 クリーピー 偽りの隣人
怖い、巧い、気持ち悪い、三拍子揃った傑作スリラーかと。この映画、観客をコワがらせるための仕掛けが絶妙。ただ、”あるところ”を見せるディテールがちと甘いかも。
29位 ブリッジ・オブ・スパイ
こういう物語って、実は主人公のやろうとしてることが結構ヤバい事だって(観客に)解らせるの、結構難しい気がするのだ。その点、コーエン兄弟の脚本力なのかスピルバーグの演出力なのか、この映画は実に見事にサスペンス感を滲み出させている。
そして準主役マーク・ライランスの魅せる静かなるも熱い佇まいは非常に印象的。
28位 夏美のホタル
とにかく有村架純の可愛さに打ちのめされる一本(笑)。でも実は光石研の醸す哀切感こそが、この物語の柱だったりする。
ロケ映像で魅せる夏の情景も実にリアルで素晴らしい。
27位 ザ・ウォーク
3DIMAXで鑑賞。(綱渡り)屋内練習中に失敗してバランス棒(?)を落とす場面では思わず身をよじった(笑)。スリリングな演出よりも、主人公のポジティブなトライアル物語にフォーカスした面に好感。
26位 SCOOP!
福山雅治にはムカつく。こんな汚れ役やっても何気にカッコいいのだから(笑)。
演技面においては、特に滝藤賢一とリリー・フランキーが印象的で素晴らしい。そして二段式のクライマックス!!意外性と独特のヒリヒリ感が相まって、思わず引き込まれてしまった。
25位 ペレ 伝説の誕生
単なるスポーツ痛快物語というだけでなく、ブラジリアンのアイデンティティにも言及したヒューマンドラマに感動!!サッカーシーンが涙で歪む。
ペレの両親を演じる二人がとにかく最高。
24位 ダゲレオタイプの女
海外進出しても黒沢清 監督の論理的に構築された恐怖世界は健在。本作はただ怪奇的なだけでなく、男の悲哀に満ちた情感が溢れている。主人公の青年を捉えた”あのラストカット”はいつまでも脳幹に絡みついて離れない。
映画レビュー『ダゲレオタイプの女』『イレブン・ミニッツ』広尾のシネマ☆JACK#2
23位 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
スター・ウォーズ観て初めて泣いた。
スピンオフ作品と称されるが、実はシリーズ上の重要なストーリーを繋ぐ”正統な”前日譚。実は切ない父娘愛の物語でもある。”Stardust”という言葉を思い浮かべると今でも涙腺が緩む。
映画レビュー『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』広尾のシネマ☆JACK#11
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22位 レヴェナント:蘇えりし者
ディカプリオにアカデミー賞を取らせるために映画界の才能が集結。その有り様こそが最も感動的な一品。ラストカットで、ディカプリオ演じる主人公はこちらを見つめる。われわれ観客を、ではない。アカデミー会員を睨んでいるのだ。
トムハのヤな奴っぷりも秀逸(笑)。
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21位 ヘイル、シーザー!
これは、ある事情(誘拐ではない)で人生の岐路に立った主人公の葛藤を、スタジオでの”激務”をこなす日常をとおして描いたヒューマンコメディ。撮影所が舞台なだけに、劇中劇の場面がふんだんに使われていて、そのベタな演出や役者の大根っぷりでも結構笑わせてくれる。
20位 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
とにかく無邪気に楽しめる!このシリーズはプロダクトデザインがカッコ良いし、男子向けマンガとして実によくできている。また数多くのアメコミ(マーベル)ヒーローを登場させながらも、決して混乱や破綻をきたす事なくスッキリと見せてくる構成に舌を巻く。
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19位 われらが背きし者
何が起きるか判らない不穏感演出と、男のロマンティシズムに満ちた”西部劇”的熱さが合わさった”ハイブリッド構造”のサスペンス。スパイものながら、民間人とマフィアが主人公というのも面白い。
18位 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
東西冷戦下、ハリウッドを襲った”アカ狩り”に翻弄され続けた天才脚本家の伝記物語。事実は小説より、、というがこれは凄い。それでも終始明るくポジティブな空気感を前面に打ち出した作風も好き。ヘレン・ミレンとジョン・グッドマンの存在感も素晴らしい。
17位 エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に
「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレーター監督最新作。アメリカのある州立大学・名門野球部を舞台にした3日と15時間の”バカ騒ぎ”。しかしこのバカっぷりが人生の哀切感を引き出してくるという、いいオトナにとっての追体験映画でもある。
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16位 エクス・マキナ
AIを搭載したヒューマノイドのチューリングテスト(人間として違和感がないかのテスト)を命じられる主人公の”未婚”青年。もはやAIは人の恋愛感情をもコントロールしてしまうのか。『her』で描かれたテーマをサスペンスフルに扱った物語とも言えるのかも。
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15位 シン・ゴジラ
1954年製・初代ゴジラの物語構造を踏襲し、庵野&樋口監督の現代性で肉付けした力作。終始、政府目線で語られるストーリーは、われわれ現代人ならではの恐怖と不安を煽り立てることに成功している。製作関係者の”ゴジラ愛”が溢れた作品とも言えるのでは。
映画「シン・ゴジラ」&「ゴジラ(1954年)」ショートレビュー
14位 ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ
埋もれた天才作家と辣腕編集者の出会い、そして深い友情。朴訥とした編集者パーキンスの感情を微妙な表情の変化だけで表現するコリン・ファースの演技が秀逸。ラストシーンで彼が”思わず”とる所作に、私の涙腺は崩壊してしまった。
13位 君の名は。
よくできてる。よくでき過ぎていて”あざとさ”すら感じられない(笑)。中盤から泣きっぱなしで鑑賞。日本の神道文化に根ざしたストーリーも魅力的だ。インバウンド需要すら意識しているのではないかというマーケティング性も含め、どこをどう切ってもよくできた作品。
12位 永い言い訳
2回鑑賞。初回は、あまりに主人公の人物像がリアル過ぎて、ヘンに感情移入し過ぎてしまった。2回目で、この主人公をあるていど客観視することにより本作の物語性が心に入ってきた。失ってから通じ合う心。通じ合って初めて得られる喪失感。しかし、そこまでして喪失感は得るべきものなのだろうか。これは極私的問題作。
映画レビュー『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3
11位 アスファルト
フランス郊外の団地を舞台に展開する、孤独な男女6人の群像劇。
登場人物たちの言い知れぬ”深い孤独感”と出逢いのもたらす”ほのかな希望”が、暖かくもユーモラスに描かれる。特に、製作者のポジティブな人生観を象徴するかのようなラストカットが洒落ていて大好き。
それではベスト10にいきます!!!
10位 退屈な日々にさようならを
人は、突如訪れた激しい喪失感と”どう折り合いをつけていくのか”。
笑いと不穏感が終始入り乱れるこのエンタテインメントは、被災地をめぐる人々の切なる心情を刻む物語でもある。
9位 映画 聲の形
極めてデリケートなテーマを真正面から扱う姿勢に、先ず心を打たれた。
それでいて、ユーモラスでどこか愛らしく、ポジティブな希望に溢れた青春譚として仕上げているところが凄い。
8位 サウスポー
序盤たった数十分で、主人公を取り巻く家族の”愛情の深さ”を脳髄に叩き込んでくる構成が凄い。さらには、ヒューマン・ドラマとしての”エモーショナル”な要素をベースにしながらも、実は、”ロジカルな戦略性”を決め手としている点が極めて特徴的。
7位 レッドタートル ある島の物語
日本画を彷彿とさせるような繊細なタッチの映像に先ず心を奪われる。
まるで自然界からそのまま切り出したような光と音が、言葉を介さないシンプルな物語と絡まって、切なくも温かい”何か”を観る者の心に刻み込んでいく。
映画「レッドタートル ある島の物語」レビュー”広尾のシネマ☆JACK”より
レッドタートル ある島の物語/マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット作品集 [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- 発売日: 2017/03/17
- メディア: Blu-ray
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4位 ブルーに生まれついて
JAZZの本質は”憂い”。天才であるゆえに、その本質に巻き取られていくチェット・ベイカーの姿が哀しい。ラスト、画面が暗転しテロップが現れた瞬間、なぜだか嗚咽しそうになり口を押さえた。
イーサン・ホークの歌う”マイ・ファニー・ヴァレンタイン”も素晴らしい。世界的一流俳優の多芸っぷりに、また驚かされた。
映画レビュー『ブルーに生まれついて』『セッション』広尾のシネマ☆JACK#10
【当店限定商品】ブルーに生まれついて 特装版【Blu-ray+DVD+ポスターセット+プレスリサイズ】
いよいよベスト3です!!!
3位 ニュースの真相
主人公の女性プロデューサーが醸す”哀切感が堪らない。終盤、彼女が自らのプライドを賭けて内部調査委員会の連中と対峙する姿は、まるで『300(スリーハンドレッド)』の”レオニダス王”を彷彿とさせ、観ているこちら側の心を鷲掴みにして離さない。
2位 湯を沸かすほどの熱い愛
末期ガンに侵されながらも、凛とした佇まいを残しながら気丈に目的に向かって歩き続ける主人公を、もはや涙なしで観ることなどできない。そんな彼女を支えるのは、ほかならぬ周囲への”熱い愛”なのだから。観終わると、一見ベタにも思えるタイトルの必然性がドシッと腹に落ちてくる。
1位 リップヴァンウィンクルの花嫁
実に恐ろしい人間の業が、この物語のベースとなっている。
ところが、なぜだか切なく愛らしさに満ち溢れた佇まいをみせるのが、本作最大の魅力。そして、言い知れぬ不穏感を誘う怪しげな登場人物の面々。彼らに囲まれているからこそ、黒木華演じる主人公の無垢な弱々しさが際立つ。
<総評>
私はキホン洋画派です。したがって従来は、観る映画の本数など圧倒的に外国映画が多かったし、心に残る映画のほとんどもそれらの内にありました。
ところが今年はなんだか様子が違う。いつになく邦画に素晴らしい作品の数々が登場してきたと思うのです。結果的には、ランキング上位2本は邦画が占め、なおかつBest10の中に5本(合作も入れると6本 )も日本映画がランクインするといった事態(?笑)となりました。
もちろん(素人同然の)私が、客観的かつ定量的に数々の映画を評価し、公平にランキングしていくのには、到底無理があるでしょう。
したがって上記ランキングは、あくまで私個人の趣味と偏見に基づく判断がもたらした結果であること、お赦しください。
言い換えると、昨年の春に『リップヴァンウィンクルの花嫁』の素晴らしさに打ちのめされた挙句、その後の邦画の見方が変わってしまった結果、、と分析できるのかもしれません(笑)。
ただ、今回は"Best30"には入らなかった作品の内にも、素晴らしい作品が実に多くありました。 洋画にしても、邦画にしても、全体的に粒ぞろいだったというのが私の率直な感想。本当は最低でも50本くらいは挙げないと、”2016年の映画鑑賞”を総括し切れないような気もしているのです。
ちなみに昨年、新作で劇場鑑賞した作品は下記151本。
作品名 | 公開日 |
ブリッジ・オブ・スパイ | 2016年1月8日 |
イット・フォローズ | 2016年1月8日 |
タイム・トゥ・ラン | 2016年1月9日 |
知らない、ふたり | 2016年1月9日 |
ヘリオス 赤い諜報戦 | 2016年1月9日 |
人生の約束 | 2016年1月9日 |
神なるオオカミ | 2016年1月12日 |
シーズンズ | 2016年1月15日 |
パディントン | 2016年1月15日 |
バンド・コールド・デス | 2016年1月16日 |
最愛の子 | 2016年1月16日 |
白鯨との戦い | 2016年1月16日 |
の・ようなもの のようなもの | 2016年1月16日 |
死の恋人ニーナ | 2016年1月19日 |
ビューティー・インサイド | 2016年1月22日 |
ザ・ウォーク | 2016年1月23日 |
エージェント・ウルトラ | 2016年1月23日 |
サウルの息子 | 2016年1月23日 |
ドリーム ホーム 99%を操る男たち | 2016年1月30日 |
ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります | 2016年1月30日 |
さらば あぶない刑事 | 2016年1月30日 |
99分,世界美味めぐり | 2016年1月30日 |
俳優 亀岡拓次 | 2016年1月30日 |
オデッセイ | 2016年2月5日 |
キャロル | 2016年2月11日 |
ディーパンの闘い | 2016年2月12日 |
スティーブ・ジョブズ | 2016年2月12日 |
ドラゴン・ブレイド | 2016年2月12日 |
クーパー家の晩餐会 | 2016年2月19日 |
X-ミッション | 2016年2月20日 |
ヘイトフル・エイト | 2016年2月27日 |
虹蛇と眠る女 | 2016年2月27日 |
偉大なるマルグリット | 2016年2月27日 |
女が眠る時 | 2016年2月27日 |
ピン中! | 2016年2月27日 |
マネーショート 華麗なる大逆転 | 2016年3月4日 |
マリーゴールド・ホテル幸せへの第二章 | 2016年3月4日 |
ロブスター | 2016年3月5日 |
アーサー・フォーゲル ショービズ界の帝王 | 2016年3月5日 |
幸せをつかむ歌 | 2016年3月5日 |
マジカルガール | 2016年3月12日 |
アーロと少年 | 2016年3月12日 |
リリーのすべて | 2016年3月18日 |
最高の花婿 | 2016年3月19日 |
砂上の法廷 | 2016年3月25日 |
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 | 2016年3月25日 |
リップヴァンウィンクルの花嫁 | 2016年3月26日 |
無伴奏 | 2016年3月26日 |
LOVE 【3D】 | 2016年4月1日 |
ルーム | 2016年4月8日 |
孤独のススメ | 2016年4月9日 |
ボーダーライン | 2016年4月9日 |
COP CAR コップ・カー | 2016年4月9日 |
さざなみ | 2016年4月9日 |
スポットライト 世紀のスクープ | 2016年4月15日 |
オマールの壁 | 2016年4月16日 |
獣は月夜に夢を見る | 2016年4月16日 |
レヴェナント:蘇えりし者 | 2016年4月22日 |
アイヒマン・ショー | 2016年4月23日 |
アイアムアヒーロー | 2016年4月23日 |
ズートピア | 2016年4月23日 |
太陽 | 2016年4月23日 |
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ | 2016年4月29日 |
追憶の森 | 2016年4月29日 |
64(ロクヨン前編/後編) | 2016年5月7日 |
ヘイル、シーザー! | 2016年5月13日 |
マクベス | 2016年5月13日 |
すれ違いのダイアリーズ | 2016年5月14日 |
世界から猫が消えたなら | 2016年5月14日 |
ひそひそ星 | 2016年5月14日 |
海よりもまだ深く | 2016年5月21日 |
スティーヴ・マックィーン その男とル・マン | 2016年5月21日 |
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ | 2016年5月27日 |
神様メール | 2016年5月27日 |
エルヴィス、我が心の歌 | 2016年5月28日 |
ヒメアノ〜ル | 2016年5月28日 |
素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店 | 2016年5月28日 |
デッドプール | 2016年6月1日 |
サウスポー | 2016年6月3日 |
FAKE | 2016年6月4日 |
団地 | 2016年6月4日 |
マネーモンスター | 2016年6月10日 |
シークレット・アイズ | 2016年6月10日 |
エクス・マキナ | 2016年6月11日 |
夏美のホタル | 2016年6月11日 |
裸足の季節 | 2016年6月11日 |
教授のおかしな妄想殺人 | 2016年6月11日 |
二ツ星の料理人 | 2016年6月11日 |
ノック・ノック | 2016年6月11日 |
帰ってきたヒトラー | 2016年6月17日 |
10 クローバーフィールド・レーン | 2016年6月17日 |
クリーピー 偽りの隣人 | 2016年6月18日 |
レジェンド 狂気の美学 | 2016年6月18日 |
好きにならずにいられない | 2016年6月18日 |
WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ | 2016年6月24日 |
TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ | 2016年6月25日 |
二重生活 | 2016年6月25日 |
ブルックリン | 2016年7月1日 |
セトウツミ | 2016年7月2日 |
フラワーショウ! | 2016年7月2日 |
ペレ 伝説の誕生 | 2016年7月8日 |
シング・ストリート 未来へのうた | 2016年7月9日 |
ラスト・タンゴ | 2016年7月9日 |
生きうつしのプリマ | 2016年7月16日 |
AMY エイミー | 2016年7月16日 |
ロック・ザ・カスバ! | 2016年7月20日 |
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 | 2016年7月22日 |
ヤング・アダルト・ニューヨーク | 2016年7月22日 |
シン・ゴジラ | 2016年7月29日 |
アンフレンデッド | 2016年7月30日 |
ニュースの真相 | 2016年8月5日 |
花芯 | 2016年8月5日 |
奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ | 2016年8月6日 |
タンゴ・レッスン | 2016年8月6日 |
栄光のランナー 1936ベルリン | 2016年8月11日 |
ゴーストバスターズ | 2016年8月19日 |
ソング・オブ・ザ・シー 海のうた | 2016年8月20日 |
君の名は。 | 2016年8月26日 |
アスファルト | 2016年9月3日 |
スーサイド・スクワッド | 2016年9月10日 |
グッバイ、サマー | 2016年9月10日 |
レッドタートル ある島の物語 | 2016年9月17日 |
映画 聲の形 | 2016年9月17日 |
怒り | 2016年9月17日 |
BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント | 2016年9月17日 |
イレブン・ミニッツ | 2016年9月20日 |
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK‐The Touring Years | 2016年9月22日 |
ある天文学者の恋文 | 2016年9月22日 |
ハドソン川の奇跡 | 2016年9月24日 |
高慢と偏見とゾンビ | 2016年9月30日 |
SCOOP! | 2016年10月1日 |
ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ | 2016年10月7日 |
ジェイソン・ボーン | 2016年10月7日 |
グッドモーニングショー | 2016年10月8日 |
永い言い訳 | 2016年10月14日 |
GANTZ:O | 2016年10月14日 |
ダゲレオタイプの女 | 2016年10月15日 |
何者 | 2016年10月15日 |
われらが背きし者 | 2016年10月21日 |
スター・トレック BEYOND | 2016年10月21日 |
インフェルノ | 2016年10月28日 |
ザ・ギフト | 2016年10月28日 |
湯を沸かすほどの熱い愛 | 2016年10月29日 |
手紙は憶えている | 2016年10月29日 |
PK | 2016年10月29日 |
ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期 | 2016年10月29日 |
エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に | 2016年11月5日 |
退屈な日々にさようならを | 2016年11月19日 |
ブルーに生まれついて | 2016年11月26日 |
マダム・フローレンス! 夢見るふたり | 2016年12月1日 |
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー | 2016年12月16日 |
JAZZにまつわる”ひたむきさ”と”狂気” / 映画『ブルーに生まれついて』レビュー
『ブルーに生まれついて』(2015年)
監督/脚本/製作:
ロバート・バドロー
出演: イーサン・ホーク
カルメン・イジョゴ
カラム・キース・レニー
製作国:アメリカ、カナダ、イギリス
【ストーリーについて】
実在した名ジャズ・トランペッターでありヴォーカリスト、チェット・ベイカーを主人公に描いたラブ・ストーリー。そしてやはり怒涛のJAZZムービーでもある。
1950年代半ばには時代の寵児と評されるほど絶大な人気を誇ったチェット。ところが1960年代後半に差し掛かる頃には、ヘロイン常習による様々なトラブルに悩まされるありさま。さらにはドラッグ購入をめぐる売人とのトラブルで大怪我を負い、再起不能と揶揄される事態に。。そんな崖っぷちに立たされた主人公の再生物語が、彼を支える恋人ジェーンとの関係性を軸に展開していく。
この映画は、実在の人物を主人公としているため、一見”伝記モノ”のようにも見えるが、実際は(登場人物含め)多分にフィクション的な要素を孕んだ作品と言える。
(例えば、主人公の恋人ジェーンはチェットの元妻をモデルとしながらも、架空の人物と思われる。彼女がチェットと出逢うきっかけとなる”劇中劇=チェットの自伝映画プロジェクト”は、実はフィクションであり実在しないらしい。)
その結果、本作は創作された”フィクション性”によって、劇映画としての刺激と醍醐味を実現している。
映画レビュー『ブルーに生まれついて』『セッション』広尾のシネマ☆JACK#10
【みどころ】
<二つの特長に大別される、本作の魅力>
①チェットとジェーンの恋物語
ふたりの(男女としての)関係性を描くシーンの数々が、なんとも甘味で素晴らしい。特に屋外ロケのシーンは際立って印象的。朝の陽光を思わせるような、うっすらとオレンジがかった優しい光が、まるで二人の親密さを象徴するよう。。
さらには、ベッドシーン。きわめて濃密でリアルな描写ながら、それはジェーンのチェットに対する愛情の深さを表現することに”振り切って”いて、まったくエロさが無い。
その昔、「エマニエル夫人」を劇場鑑賞した親戚の女子高生が「ぜんぜん、いやらしくなかった〜!」などと宣った”ハッタリ”とは全く次元が異なる(笑)。本当に、いやらしくないのだ。もうそれは中学生男子が鑑賞しようとも、決して”オカズ”にはなり得ないほどに(笑)。
前述したように恋人ジェーンは、架空の人物(と思われる)。したがって、この恋愛にまつわるシークエンスは、本作のドラマ性を定義づける重要な要素として創作されたものであることは間違いないだろう。
つまり、本作のラブストーリーとしての一面が、主人公チェットの”人となり”や”生き様”に奥行きを生み出しているのだ。
②凄まじいばかり、、天才のイキザマ
この映画、終盤に差し掛かるまでは、前述したラブストーリーとしての要素が全面に押し出されているように(観ていて)感じる。そのため、「ジャズミュージシャンの映画だけど、ジャズ映画とは言えないよな〜」などと思いながらスクリーンを眺めていた。
例えば中盤、イーサン・ホーク自身の歌声が披露される”マイ・ファニー・ヴァレンタイン”のシーン。これはジャズ音楽的な”みどころ”でもあり、また、ふたりの関係性がある意味”最高点に到達した”高揚感を醸し出す重要な役割を果たしている。ただ、未だこの時点ではJAZZをど真ん中に感じるには至らない。
(ちなみに、イーサン・ホークの歌声が驚くほどイイ!)
ところが終盤、俄然ぶっとい”JAZZ感”が急速にたたみかけてくる。それは”天才”がゆえに直面する”壁”との対峙。その凄まじいばかりの葛藤と憂いは、もうジャズ以外の何物でもない。
このクライマックスに見せる静かなシークエンスは、まるでヒット作『セッション』のラストを”負の側面から垣間見た”ような趣きを感じるし、さらには『リービング・ラスべガス』のラストをポジティブに解釈したような佇まいにも見えてくるのだ。
私はこのラストシーンで急に嗚咽しそうになり、思わず口を押さえてしまった。
<主人公チェットへの感情移入を促す二つの人間関係>
チェット・ベイカーとほぼ同時代にジャズ・シーンを席巻した名トランペッター。
本作では、白人でしかもミーハー的な人気を博す主人公に違和感を憶え、(内心では一目置きながら)本人に対しては厳しい言葉を放ち、名門クラブ”バードランド”へのチェットの出演を拒否する”一癖あり”な先達ミュージシャンとして登場する。
一方、チェットにとっては自分自身のアイデンティティに関わるほど、リスペクトしてやまない業界の重鎮であり、(裏返せば)トラウマの根源ともなっている存在である。
(マイルス役はケダー・ブラウンが演じている。その目つきや所作、喋り方に到るまで笑えるくらい似ている!彼の情報はネットで見ても日本語の情報はあまり出てこない。もうマイルスのモノマネ芸人としてだけでも食べていけるんじゃないかって勢い 笑笑。)
②チェットの父親
物静かなタイプながら、息子の奔放な生き方に対する嫌悪感を隠さない父親。
大怪我からの再起を図るため、一時帰省してきたチェット。そんなチェットやジェニーに対し歯に絹着せぬ辛辣な言葉を投げかける。その言葉は、愛情の裏返しによるものなのか、あるいは本物の嫌悪感の現れなのかは、観ていてもよくは判らない。
しかし、そんな父親に対するチェットの計り知れない”承認欲求”が見え隠れするシーンも見られるなど、実は彼のモチベーションに多大なる影響を与えている存在。
実は、主人公チェットと上記二人との間柄は、映画『セッション』における若きドラマー”アンドリュー”と鬼教授”フィレッチャー”との関係性を彷彿とさせる。とはいえ、チェット・ベイカーはマイルス・デイビスや父親にしごかれる訳ではない(むしろ逆に、シカトされているに近い)。ただ彼らは、チェットを決して承認せず、そのパフォーマンスや生き方を揶揄し続ける存在。
つまり、この2作品の人間関係は、極めて精神的な面において相似形をなしているように見えるのだ。
『セッション』において、久々に再会したアンドリューにかけるフレッチャーの言葉がある。彼の”一流ミュージシャン輩出”に関する信条をあらわす”あのセリフ”だ。
それは、まるで本作『ブルーに生まれついて』におけるチェット・ベイカーの生き様を解説する言葉にも聞こえてくるのだから面白い。
(2016.12.30.)
ウディ・アレン初期の名作たち。映画『アニー・ホール』と『マンハッタン』について。
『アニー・ホール』(1977年)
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン&マーシャル・ブリックマン
出演:ウディ・アレン
ウディ・アレン初期の名作①映画「アニー・ホール」レビュー ※ネタバレ
【あらすじ】※ネタバレあり
主人公アルビー・シンガー(ウッディ・アレン)は、舞台やテレビ番組で活躍する”トーク系”コメディアン。彼は、溢れんばかりの創造力に恵まれる一方で、どこか内向的で神経質な一面をもつ。
親友の紹介で付き合い出した恋人の名はアニー・ホール(ダイアン・キートン)。彼女はクラブ歌手のバイトをしながらメジャーになる日を夢見ている。明るくてどこか奔放な彼女とは、ともすればすぐに口論となり”喧嘩”と”仲直り”を繰り返す日々。
そして、物語はアルビーの少年時代や過去の女性遍歴(バツ×2)、アニーとの”なり初め”などを描く回想シーンを織り交ぜながら進行していく。
ある日アルビーは、テレビ司会の仕事のためアニーを連れてロサンゼルスに出向く。ところが、どこか工業化されたような仕事のスタイルと快楽主義的な当地のエンタメ界のあり方に嫌気がさした彼は、体調不良を理由に仕事をキャンセルしてしまう。
一方で、そんな西海岸でのライフスタイルを気に入ったアニーは、アルビーへの気持ちが急速に冷えてしまい、二人は別れることになった。
そして彼女は、以前ライブ後に声をかけてきたレコード会社経営者トニー・レイシー(ポール・サイモン!!)の誘いに乗って、ロサンゼルスに引っ越してしまうのだった。
一旦は、別れに同意したアルビーだったが、どうしてもアニーを忘れることができない。思い立ってロサンゼルスに出向き復縁を求めるが、アニーには「友達でいましょう」と一蹴されてしまう。
恋に破れた彼は、アニーとの想い出を基に戯曲を執筆する。皮肉にも、そこで描かれる恋愛物語はハッピーエンドだったのだが。
のちにアルビーはアニーと偶然再会する。新たな恋人と共に出掛けた映画館で。彼女はトニー・レイシーと別れ、NYへ帰ってきていたのだ。そこで上映されていたのは、かつて、彼がアニーを何度も連れって行ったお気に入りのドキュメンタリー映画だった。。
【みどころ・解説・感想】
どこにでもある男女の出会いと別れの機微を描いたこのラブストーリーは、終始”主人公アルビー”の姿を借りたウディ・アレンのシニカルな口調で語られていく。
知的なネタが売りのコメディアン”アルビー”。そんな思索と想像力に富んだ男の一人称で描かれた”妄想”と、”リアル女子”との関わりを描いたドキュメンタリータッチの映画とも言えるのかも知れない。
<”第四の壁”の変則的な破壊>
本作の特徴の一つは、このストーリーが語られる上で非常に実験的で先進的な手法が数多く使われている点だろう。
近作としては「デッド・プール」に代表されるように、映画の登場人物が物語世界と現実世界を隔てる”見えない概念上の壁(=第四の壁)を超えて、観客に語りかけるシーンは時折見受けられる。
本作では、そんな第四の壁を越えるだけでなく、あたかも現実世界の人々を”壁の内側”に引き込んでしまったような場面が見受けられる。
(街頭を行く歩行者へのインタビューを始める主人公)
彼女(アニー)に愛想を尽かされ去られてしまった直後などに、主人公アルビーは突然道ゆく人に女性心理や男女交際をうまく行かせる為の秘訣などについて質問(インタビュー)を始めるクダリがある。
そして質問された人々は全く驚きもせずに、”ここまでの彼の物語を理解している立場”で答えるのだ。ここで、道ゆく人とは我々観客と同じ世界の住人であることが判る。
つまり、主人公は突如として何の説明もなく物語世界を離れてしまっているのだ(笑)。
(実在の著名人を連れてくる主人公)
序盤で、半ば苛立ちながら映画館の長い行列の中に並ぶアルビー。後ろでは、大声でガールフレンドに著名な文化人についてのウンチク(批評)を垂れている男がいる。
奴の言っていることは実に浅はかで的外れだと辟易する主人公。苛立ちが頂点に達した彼は、遂に批評されていた張本人(マーシャル・マクルーハン=メディア理論などを展開する英文学者)を”ウンチク男”の前に連れてきて、いかにその批評は的外れであるかを発言させる。
その他には、時間と空間を超えたシーンの貼り合わせ(笑)などなど、、実に様々な手法が用いられている。
これら様々な手法を用いて、ウディ・アレン特有のシニカルな目線を通した”笑い”と共に、観客にアルビーのパーソナリティーを説明している。この個性豊かな笑いのエッセンスこそが、映画ファンの心を鷲掴みにし、当時としては珍しく長回しなカットを飽きさせることなく見せることに成功しているのだ。
<とにかく主人公を描いている>
冒頭に”一人称”という表現を用いたが、この映画は終始、主人公の”人となり”描くことに振り切っている。タイトルとなったアニー・ホールでさえ彼を描くための材料にすぎない。あくまで”アルビー・シンガー”の私的物語であって、いわゆる”群像劇”とは対局をなす構造となっている。
理解するのにある程度の社会的知識が必要になるような、どちらかというとインテリ系のネタで新たな”笑い”の風を起こしつつある主人公。これは、コメディアンとしてスタートしたウディ・アレン自身を投影した面も少なからずあろう。
それは、劇中で事務所(?)に勧められた外注作家のパフォーマンスをみせられ困惑するシーンにも象徴的に表現されている。
エンタメとはいえ、資本主義社会の中では生産性や効率性が求められる。そんな業界の”ありがちな動向”に嫌気が差し、ハリウッド行きを頑なに拒んだ映画人ウディ・アレンの想いが相当に盛り込まれているに違いない。
マーケットとしてのエンタメ界は、あらゆる商品やサービスに関わる広告宣伝の受け皿となった瞬間、比較的潤沢な資金が集まる世界へと成長した。
特に、テレビ界が隆盛を極めた1970年代〜1990年代頃までのアメリカ西海岸は、かつてのローマ帝国のようなきらびやかな繁栄を謳歌していたのだろう。そんな情勢下で、例に漏れずエンタメ業界も効率的な”産業システムに組み込まれていく。結果として生まれたのは”仕事をしてるふり”に長けた連中が繰り広げる、乱痴気騒ぎの世界。そんな業界を忌み嫌ったウディ・アレンの心情が、ロサンゼルス行きをきっかけとした物語の展開にも反映されている。
<でも実はピュアなラブストーリー>
とにかく、この映画では主人公アルビーと恋人アニーとの出逢いと別れが、”理屈っぽく、知識人ぶった”主人公の言葉で語られて行く。でも、その向こうにあるのは人類の歴史が始まって以来、何も変わらない男女の恋愛の”甘さ”や”酸っぱさ”の機微。
ラストで主人公が”ある小話”を通して語る内容通り、それはもう理屈抜きの世界だし、不条理の連続。どんなインテリだろうと、”ええかっこしい”だろうと異性が惹かれ合うのは自然の摂理なのだ、という真理。
それが面白くもあり、また、哀しくもあるということをこの映画は静かに示唆している。
実は、この映画はほとんどBGMがない。しかし、最後の最後になって穏やかなジャズナンバーがしんみりとかかるのだ(劇中のライブシーンで唄われたアニーの歌)。この情感溢れる調べと、前述の”いかにもな”小話の内容が相まって、観終わった後も尚”切ない気分に浸れる余韻”を残していく。
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『マンハッタン』(1980年)
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン&マーシャル・ブリックマン
出演:ウディ・アレン
マリエル・ヘミングウェイ
メリル・ストリープ
ウディ・アレン初期の名作②映画「マンハッタン」レビュー ※ネタバレ
【あらすじ】※ネタバレあり
主人公”アイザック(ウディ・アレン)”はテレビ業界のライターで独身。42歳ながら17歳(!!)の彼女”トレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)”と付き合っている。
また、彼には学校教師を務める親友”エール(マイケル・マーフィー)”がいる。エールには長年連れ添った妻がいるものの、独身編集者の女性”メリー(ダイアン・キートン)”に惹かれ、深い関係を持ってしまう。
エールから不倫の告白をされたアイザックは戸惑う。偶然、トレーシーとのデート中に、これまたデート中のエールとメリー出会ったアイザック。彼はメリーの勝気な性格や歯に絹着せぬ言動に辟易する。ところが、あるパーティーで偶然再開したメリーと長い時間会話を交わしたアイザックは、次第にメリーに惹かれていく自分に気づくのだった。
実は、エールは妻”エミリー”と別れるつもりはない。そんな彼とメリーの関係は、長くは続かなかった。その後、なんとエールからの勧めもあってアイザックはメリーと付き合うようになる。
一方で、以前から年の差ゆえにトレーシーとは一時的な付き合いのつもりだったアイザック。彼女のロンドンへの留学話が持ち上がったのを期に、アイザックは別れを切り出す。悲しみにくれるトレーシー。
ところが、エールのメリーに対する気持ちは終わっていなかった。友達付き合いの体裁上、アイザックが紹介する形でエール夫妻と会うようになるメリー。それを期に、エールとメリーは密会を重ねるようになる。
遂には、エールは離婚してメリーと付き合うことに。アイザックはメリーから一方的に別れを告げられるのだった。
まさに晴天の霹靂。アイザックは怒り心頭でエールを訪ねるが、彼の気持ちは変わらないという。共同戦線を張ろうと思って会ったエールの妻エミリーには、逆に「きっかけを作ったのはあなたよ!」とやんわり責められる始末。ところがエミリーとの会話の中で、実はトレーシーが自分にとってかけがえのない存在であったことに気づく。
思い切ってエミリーの自宅を訪ねるアイザック。そこには今まさにロンドンへ発とうとするトレーシーの姿が。。
【みどころ・解説・感想】
「アニー・ホール」とほぼ変わらぬ主要スタッフで製作されたラブストーリー。
前編、モノクロ撮影された映像とジョージ・ガーシュインが織りなすクラシカルな音楽が大都会を舞台に描かれる現代のラブストーリーに独特の風味を与えている。
前々作「アニー・ホール」と変わらないのは、やはりNYのインテリ層が織りなす、どこか気取りながらも実はシンプルで身勝手な恋愛模様が残酷なまでに真正面から描かれている点。
一方で、本作は主人公ひとりだけにフォーカスした物語ではなく、男女6人をめぐる群像劇となっている。特にウディ・アレン演じるアイザックとその親友エールという”イイ年こいたオッさん”を軸とした、まるで子供じみた恋愛劇がいかにも楽しくて哀しい。
また、「アニー・ホール」のような実験的な演出手法は、本作では影を潜めているものの、前述のモノクロ映像とクラシカルな音楽、並びに現代的な会話や少々トリッキーなキャラクター設定(特に17歳の彼女!しかも主人公にベタ惚れしてるという 笑笑)が混ざり合って、われわれ観るものを惹きつける魅力となっている。
但し、「アニー・ホール」でも見せたウディ・アレン独特の”どこか自虐的で”シニカルな目線は健在。彼の演じる主人公は自身を投影した存在でありながら、どこか自らを批判的な目線で、蔑んだように眺めている感がある。特に親友エールに彼女を取られて怒鳴り込みにいった学校の理科室でのシーン。猿(?)の標本をバックにした、あの主人公を小馬鹿にしたようなカットは秀逸で印象的。
そうそう、あのシニカルな目線は他でもない自分自身に注がれているからこそ、ウディ・アレン作品には、なんだか誠実さや品性みたいなものを感じるのかも知れない。彼の映画が長年多くのファンから愛される大きな理由の一つは、そこにあるのではないだろうか。
とはいえ、自分自身を全否定しているわけでもない。実に混沌した苦悩を、定まらぬ価値観をベースにモヤモヤと捉えている可笑しさ。そんな独特の情感がこの映画には満ち溢れている。(と、ここまで書いて自分でも何言ってるのかワケがわからなくなりそう 笑。)
まあ要は、人生なんて結局そんなもんじゃあないの、ってこと。そんな危うさや不安定さ(みたいなもの)が人間の希望や不安の源であり、否応なく自分自身に纏わり付いてくる感じをリアルに表現しようとしているのではないだろうか。
そして、印象的なラストは(解釈のしようによっては、、)希望を残した締めくくり方となっている。少なくともこの恋愛物語で右往左往してきたミドルエイジのおじさん・おばさんよりも、17歳の彼女の方がしっかりとした価値観で人生の選択肢を選ぼうとしている様が一番シニカルなのかも知れない。
かつては他人ごとを眺めているかのように楽しめた筈なのに、年齢を重ねれば重ねるほど、より”リアルに”より”ビターに”映ってくるのがコワくもある一本なのだ(笑)。
【番外妄想編】映画と感情移入について。
1. 客観的に自分を見るということ
正直言うと、自分を客観視することにあまり興味がなかった。人間が(自分含め)物事を客観視することなど、到底無理だろうと考えていたからだ。
じゃ、何故「客観的に〜」などと言う見出しで今回のブログを書き出したのか。
実は、きっかけがある。
以前からpodcastで、たまに聴いている番組がある。今は”境目研究家”などの肩書き(?)を持つ実業家”安田佳生さん”がメインで出演されている「安田佳生のゲリラマーケティング」。この中で”いかに自分を客観視するのか?”といったようなテーマでトークが展開されていた回がある(たぶん、最新回だと思う。2016.12.04.現在)。
テーマそのものに興味を持ったわけではない。むしろこの”不毛”とも思えたテーマで、出演者がどんなことを話すのかなぁと思いながら、寝床に入ってダラダラと聴いていた。
ここで安田さんが提示したアイディアが面白い。氏はこんなようことをおっしゃった。”道ゆく見ず知らずの他人を観察しながら(心の中で)ピックアップし、彼(もしくは彼女)に感情移入すれば(他人を主観的に見れば)、自分自身を客観視できるのではないか”と。
以前から、安田さんの発想はユニークで面白いな、などと思ってこの番組を聴いていたのだが、この提言は実に本質を突いていて凄いと感じたのだ。
さらに、その興味深い提言を聴いた瞬間、ある考えが自分の頭をよぎった。これって、映画観ながらスキル醸成ができてしまうのではないだろうかと。
2. 映画は感情移入を促す装置
それが劇場だろうと自宅であろうと、劇映画(やドラマなど)を”面白がって”観れている場合、ほとんどの人は劇中の登場人物に感情移入をしている筈だ。
逆に、(そのジャンルにもよるのかも知れないが、)いかに登場人物に感情移入できるかが、その物語を楽しんだり大切に思えるか否かの”鍵”とも言っても過言ではないだろう。
と言うことは、意図的に他人(登場人物)に感情移入できる”テクニック”を体系化できれば、そこには結構な需要があるのでは、と考えてしまったのだ。
その知識を会得した場合、次の2つのメリットが期待できる(現時点では、あくまで妄想の域を超えないが 笑笑)。
①劇映画や芝居など、有料の演劇系コンテンツを深く楽しめる(つまりコストパフォーマンスがUPする)確率が高まる。
②自分自身を”擬似的に”客観視するスキルが身につき、社会適応性がUPしたり仕事がうまく行ったりなど、人生が好転する可能性が上がる。
仮に上記2つのスキルが本当に身につくと仮定すれば、その二次的なメリットに至っては、挙げればキリがないほど沢山あるのではないかと思う。
ま、そんな”甘味な妄想”に抱かれて(笑)その日はニンマリしながら眠りについたのだった。。
3. ある映画にまつわる実体験(??)
実は、こんな考えが浮かんだのには最近鑑賞した”ある映画との出会い”が関係している。それは以前にこのブログでも取り上げ、ネット番組でも紹介した『永い言い訳』という作品。かの、モッくん主演の最新作だ。私はこれを2回鑑賞したのだが、それにはワケがある。
私は泣ける映画が大好きだ。それだけ現実に感動が少ないからかも知れない(笑)。この作品は宣伝を見るに、人の”死”を扱ったヒューマンドラマであることは明白だった。したがって、これはきっと魂に訴えかけてくるような感動の物語なのだろうと。もう”泣く気満々”で劇場に足を運んだのだ。本編が始まって数分で、私はモッくん演じる主人公の”衣笠幸夫”に感情移入する。
映画自体は見応えもあったし、演出の妙と言うか感動を呼び起こす(ような)エッセンスも”ビシビシと”感じたにも関わらず、イマイチに胸に迫るものがなかった。要は泣けなかったのだ。ある意味”イタイ”、主人公の”人となり”みたいなものに深く感情移入し過ぎたからかも知れない。
実は、彼のキャラクターや(歪んだ)価値観は自分自身に似ているところがあった(残念ながら顔は似ていないが 笑)。それゆえ尋常なく感受移入してしまったのだろう。
番組で取り上げるつもりで観に行ったにも関わらず、全く言葉が出てこない。それでも直感的に、映画ファンとして”人に紹介する価値のある映画”であろうことは感じていた。これは、何とも悔しい。。それで2回目の鑑賞を試みることにしたのだ。
2回目は、主人公の奥さん”夏子さん”と、竹原ピストル演じる友人家族の亭主”陽一くん”に”意図的”に感情移入してみた。すると中盤くらいから涙が溢れ出て、止まらない。この作品に対する感想の言葉も色々と湧き出てきた。決して違う作品を観たようだったと感じたわけではない。しかし、心への入り方が全く違ったのだ。
人は、その拠り所となる”視座”によって、大きく物事の捉え方が変わってくる動物なのだろう。だとすれば、映画鑑賞という極めて日常的な行為の中に、何か体系化するに値する知恵や情報が隠されているのでは、と思えてならない。
いつものpodcast番組を聴いていて、そんな想いが頭から湧き出てきたという話。備忘録として、ここに記しておくことにする。
映画『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3