世界中が求める究極の”お母ちゃん”像。映画「湯を沸かすほどの熱い愛」について
「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016年)
監督・脚本:中野量太
主演:宮沢りえ
配給:クロックワークス
【あらすじ】
主人公は、幸野家が営む銭湯「幸の湯」のオカミ<双葉(ふたば)>。1年前に亭主<一浩>が突然失踪したことにより、銭湯は休業を余儀なくされていた。
そんな状況のもと、双葉がパートに出て生計を立てていたが、ある日勤務中に倒れてしまう。彼女はステージ4の末期癌に侵されており、もはや手術や放射線治療を施しても効果が期待できないほど、病は進行していた。余命2ヶ月を告知された双葉は一晩激しく落ち込むも、ある決断をして立ち直る。
その決断とは、近い将来に遺された”家族”が、しっかりと自分の足で歩んでいける素地を築き上げること。
具体的には、
(1)失踪した亭主を呼び戻し、「幸の湯」の営業を再開させること
(2)心は優しいが少々気の弱い娘<安澄>の背中を押して、独り立ちできるようにすること
双葉は、この二つの目的を実行すべく気丈にも行動を開始するのだった。
その結果、銭湯の営業再開は実現し、安澄は”いじめっ子”を撥ね付ける強さを身につけ、一浩と(これまた家出した)愛人との間にできた娘<鮎子>も加えて4人での新たな家族生活が始まる。
ある日、双葉は一浩に銭湯の留守番を託し、娘2人とのドライブ旅行に出かける。一浩には、「自分の病について娘に説明する場を設けるため」と説明するが、実はもう一つ大きな目的があった。。
【感想・みどころ】
なんかベタなタイトルだなぁ、と思っていた。観るまえは。
観てみると、確かにタイトルに違わず熱い愛に溢れた映画。もうこのタイトルしかないだろうこの映画には、と逆に納得してしまった。
主人公は不治の病により余命幾ばくもない主婦。”お涙ちょうだい系の物語”にはありがちな設定だったりするが、本作は他の作品とはかなり趣が異なる。主人公の”あぁ、可哀そう”を描いた物語ではないのだ。
自らの運命を悟った彼女は、その信条と決断に従い、壊れてしまった家族や家業、そして壊れかけた子供たちの心の修復と再生に心血を注いでいく。
これは、”哀しさ”とポジティブな”熱さ”のハイブリッド構造をもつヒューマンドラマ。
ともすれば、あざとく、ワザとらしく見えかねない難しい役だが、宮沢りえが演じると”自然に”且つ”カラッとした空気感すら纏って”見えてしまうのだから不思議。
あの、本当はココロがバキバキに折れてもおかしくない状況で、凛とした佇まいを残しながら、気丈に目的に向かって歩き続ける主人公を、もはや涙なしで観ることなどできない。そんな彼女を支えるものは、ほかならぬ周囲への愛情なのだから。
一貫して、残された僅かな時間を周囲のためにばかり費やす主人公。
しかし終盤、主人公が”ひとつだけ”自分のために取る行動がある。その顛末は、実に深い”哀しみ”と”コミカル”さが表裏一体となった、映画史に残る名シーンではないだろうか。彼女は、”聖人君子”でも”女神”でもない。常に誰かと愛情を感じ合っていなければ、もはや前向きに生きてなど行けないひとりの女性だ。
だからこそ、その生き方は崇高で、観る者の心を掴むのだろう。
また、”長女”安澄を演じる杉咲花の演技も素晴らしい。あの心優しくも繊細で”弱っちい”感じの演技表現はもうリアル云々のレベルを完全に超越している。だからこそ、殻を抜ける(現状を打破する)瞬間に見せる、”空気の震え”のようなものを観客は感じることができるのではないだろうか。
そして、終盤で初めて主人公が娘に打ち明ける秘密。実はこれは、序盤の安澄が踏み出した”冒険”の動機を根底から覆しかねない衝撃的な事実。たとえ自分は(この子から)嫌われても、強く巣立って欲しい。この無償の愛に基づく決断を”死に際に”実行に移した主人公の”切実なる”想いを、涙なしに受け止めることなど出来るはずがない。
要は、随所に激しく涙腺を刺激する仕掛けが満載の映画なので、涙もろい人は通常より多めにハンカチを用意することをお勧めしたい(笑)。
さらに、この重厚でリアルでポジティブでユーモアに溢れた物語を締め括るファンタジックなラスト!ここで初めて表示されるこの映画のタイトルに、もはや”違和感”など微塵も感じられないのだ。
失くして初めて気づく想い。 映画「シェルタリング・スカイ」と「永い言い訳」について
「シェルタリング・スカイ」(1990年)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:ポール・ボウルズ(原作者)
マーク・ペプロー
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:坂本龍一
【あらすじ】
結婚して10年になるポート(夫)とキット(妻)。倦怠期を迎えたふたりの気持ちは、離れかけていた。そんな状況を打破するために、ふたりはモロッコへの旅行に赴く。共通の友人である男性タナーと共に。
ところが、現地に着くなりポートは地元の売春婦と、キットは同行していたタナーと関係を持ってしまい、却ってギクシャクとしてしまう。
今度こそ、夫婦関係の修復を図ろうとするポートは、タナーを妻から引き離し、キットと二人きりで旅を続けることにする。
しかし不幸なことに、道中でポートは腸チフスに感染してしまう。高熱に犯され日に日に衰弱していくポート。そんな夫を献身的に看病するキット。ふたりの心は再び近づき始めるのだが。。
キットの努力も虚しくポートの命は尽き果ててしまう。激しい喪失感に苛まれたキットは夫を弔うこともできずに、砂漠を彷徨い始めるのだった。
そして身も心もボロボロになりかけたキットは、地元のキャラバンを率いる若いアラブ人青年と出逢うが、、、
The Sheltering Sky (1990) Official Trailer - Debra Winger, John Malkovich Movie HD
【みどころ、解説】
監督、撮影、音楽、「ラスト・エンペラー」を手がけた主要スタッフが再び手を組んで、当時話題となった作品。
まるでドキュメンタリーのごとく、モロッコの情景や現地の人々の営みが丁寧に捉えられた映像。これらの描写が、激しい喪失感によって自分を見失っていく”キット”の心情を浮き彫りにしていく。
終盤で原作者のポール・ボウルズ自身が現れ、語るクダリがある。
なにげない一瞬が、じつはかけがえのない人生の1ページなのだと。
壮絶で不遇な運命の展開こそが、このきらめきに気づかせてくれるという皮肉。
失われて初めて気づく自らの”想い”が深ければ深いほど、そこから溢れ出る切なさは大きい。
ポートとキットがサイクリングで赴く高台。そこで交わされるラブシーンが、その後の運命を暗示するようで哀しく、特に印象的。
ポートを演じるジョン・マルコヴィッチの、どこか明後日の方向をトロンと眺めるような眼差しが、彼のやるせない感情を象徴しているかのよう。そもそも、何故ふたりの関係性がこうなったのか。その点について、本編で語られることは一切ない。
きっと、何かはっきりとした出来事があったわけではないのだろう。経年劣化が人の感情にまつわる常だとしたら、この物語は誰にでも起こりうる事を描いていることになる。
坂本龍一の手によるテーマ音楽も忘れられない。あの印象的なメロディが、観るものの心を静かに揺さぶる。
映画音楽は、観ているときの演出効果だけではなく、後にその物語を思い起こさせる為の装置であることにも、また気づかされる作品でもある。
「永い言い訳」(2016年)
監督・脚本・原作:西川美和
映画レビュー『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3
【あらすじ】
主人公の衣笠幸夫(本木雅弘)は”津村啓”のペンネームで小説を執筆する”タレント”作家。美容院を営む実業家の妻、夏子(深津絵里)とふたりで暮らしている。
幸夫の妻に対する気持ちは冷めていた。彼女は”津村啓”の無名時代を経済的に支えていた時期があり、それが主人公にとっての”目の背けたくなるような過去”を象徴するかのように、(理不尽にも)彼女への嫌悪感を煽っていた。
夏子は高校時代からの親友”大宮ゆき”と高速バスで旅行に出かける。しかし不幸にも旅先への途上で事故に遭い、親友と共に亡くなってしまう。
事故当時、幸夫は自宅で愛人との情事に耽っていた。彼は妻の訃報を聞いても何も感じることができない。
有名人であるが故、マスコミ向けに悲しむ遺族を演じながらも、自分の気持ちを整理できない虚しさが、日増しに彼を苦しめていく。
そんなある日、事故を起こしたバス会社が主催した”遺族説明会”で、妻の親友”ゆき”の夫”大宮陽一”(竹原ピストル)と出会う。実は、夏子は大宮家と親しく交流していた。陽一は「亡き妻の話ができるのは幸夫くんだけだ」と、初対面ながら親しげにしてくる。幸夫と違い、妻を失った悲しみに暮れていた陽一には、ふたりの幼い子供がいる。長距離トラックの運転手を務める彼だけでは、これまでのように子供達の面倒を見ることができない。長兄の”真平”はそれまでの塾通い=中学受験を諦めようとしていた。
それを知った幸夫は”思いつき”かのように、陽一の留守中に子供達の面倒を見ることを買って出る。
それまで人の世話をすることなどなかった幸夫にとって、大宮家との交流は”妻をないがしろ”にしてきた自分自身に対しての免罪符でもあった。
そして次第に、幸夫とって、子供たちと過ごす時間が”掛け替えのないもの”になっていくのだが、、
【みどころ、解説】
本木雅弘が演じる主人公”幸夫”は、まるでコドモ。自分本位にしか人との関係性が築けない。じゃ、この人はゲスか?というと、そんなことはとても言えない。
そこには、もうひとりの自分がいたからだ。
中盤、海辺で陽一くんにかけた幸夫の言葉。それは即ち、”幸夫”自身にこそかけられるべきものだ。その後、公園カフェでかけた言葉も。そして終盤、ある場所へ向かう列車内で、幸夫が真平くんに説いた言葉もしかり。
幸夫にとって大宮家の子供たちとの生活は、亡き妻の遺した”彼女自身の吐息”のようなもの。そこには彼女の想いが詰まっていた。
主人公は、何かに気付いたわけでも、変化したわけでもない。
今は灰となってしまった”妻・夏子の想い”を目の当たりにしたのだ。
本作は、迷える中年オトコの再生物語ではない。
まさに、彼の”永い言い訳”を描いた物語と言える。
映画「ダゲレオタイプの女」と「イレブン・ミニッツ」 最近作にみる、論理的”技法”で魅せる映画たち。
「ダゲレオタイプの女」(2016年)
【あらすじ】
舞台は”現代の”パリ郊外、再開発計画エリアにある街。
主人公の青年”ジャン”は就職難の中、比較的待遇の良い「写真家”ステファン”の助手」に応募し、アッサリと採用される。
写真家”ステファン”はフランス発祥で世界最古の撮影技法”ダゲレオタイプ”に取り組む男。この撮影法は露光時間が長い(60分くらい〜120分くらい)ため、モデルが動かぬよう腕、腰、頭などを”拘束器具”を用いて固定をする。したがって、モデルの心と身体に多大なる負担をかける技法だ。
ステファンは、モデルの命さえも封じ込めるかのような、この”ダゲレオタイプ”に狂信的に魅了され、今は愛娘である”マリー”を主なモデルとして撮影をしている。そして、かつては亡き妻”ドゥーニーズ”をモデルとしていた。かつて、彼女はマリーが愛して止まない植物たちを育てる為の”自家温室”で、首吊り自殺を遂げたのだった。
新たな職場(ステファンの自宅兼スタジオ)で日々働くうち、ジャンはマリーに思いを寄せ始めるのだった。そして二人はいつもまにか相思相愛の関係に。マリーにとっても、”父親のモデル”はとてつもなく負担のかかる取り組み。
実は、彼女は自宅から遠く離れた植物園で職を得られる事になっていた。そのことをマリーはいち早くジャンに伝えるが、父親には”激しい反対”を恐れるあまり、なかなか”告白”できないでいたのだが。。
【みどころ】
このヒリヒリ感は恐怖なのか、哀しみなのか、あるいは切なさなのか。観ていて判らなくなってくる。
こういう組み立ての物語は、大どんでん返し系の映画に使われがちの設定だが、本作には観客を欺こうとしている意図は全く感じられない。むしろオチを予測できるからこそ、じわじわと忍び寄る恐怖や切なさを体感できる映画。
また、2つの”視点”が巧みに切り替わるカメラワークも秀逸。これが、”生者”と”死者”の境界線を次第に曖昧にする効果をもたらしている。さらに、どこか絵画的にみえる構図も相まって、なんとも美しくも、不穏な空気を漂わせる。
黒沢清監督の前作「クリーピー」と同様に、非常に論理的、計画的に仕掛けられた演出(=技法)によって、感情を揺さぶられるのだ。
シンプルなラストシーンも極めて印象的。いつまでも観た者の記憶に絡まって離れない感じ。あの”手の震え”は恐怖によるものなのか、哀しみによるものなのか、あるいは深い絶望感によるものなのか。。
興味は尽きない。
「イレブン・ミニッツ」 (2015年)
【あらすじ】
都会での様々な人々が織りなす”同日・同時刻”の「11分間」(17時〜17時11分)”だけ”をバラバラに切り離し、モザイク状に貼り合わせたような斬新な手法で描いた作品。登場人物は数多いが、印象に残った人たちを挙げると下記のとおり(笑)。
■セクシーな映画女優と嫉妬深い夫
■その女優の”個別”オーディションに臨むスケベな映画監督
■街のホットドッグ売りのオッサン
■ワケあり?の”何か”を運ぶ配達人
■強盗を図る少年
■写生に取り組む老人
■何故か”警察の現場検証”らしき状況に立ち会った女性
■一匹のワンコ
【感想、みどころ】
好きか否か?と問われれば、決して”好き”とは言えない作品。それは、後味があまり良くないからかも知れない(厳密には後味を残さない映画とも言える)。ただ、永く記憶に残る映画ではある。
観客に向かって「君らさぁ、結局こういうの観たいんでしょ?」と挑発してくるような演出。また、随所に仕込まれたホラー映画並みに不穏感を醸す”音”や、
好きか否か?と問われれば、決して”好き”とは言えない作品。それは、後味があまり良くないからかも知れない(厳密には後味を残さない映画とも言える)。ただ、永く記憶に残る映画ではある。
観客に向かって「君らさぁ、結局こういうの観たいんでしょ?」と挑発してくるような演出。
また、随所に仕込まれたホラー映画並みに不穏感を醸す”低域主体の音”や”セパルトゥラ系のスラッシュメタル”、妙に登場人物に張り付いたようなカメラワークが、観る者の心を掻き乱す。
如何に様式美的な物語性を排して、映画なりの面白味を創り出すか。それが、この映画制作上のテーマではなかろうか。
音楽に例えれば、ジャズに対してのハウスミュージックみたいな。。(ハウスは好きだが 笑)
本作の監督作品は初鑑賞なので、的外れかも知れないが、、
この監督は、作品に高い完成度を追求するあまり、”何か”を諦めてしまった人なのではないだろうか。
↓☆動画でもこの映画たちを紹介しています!☆↓
独断と偏見に満ちた「2001年宇宙の旅」解釈論 ※ネタバレ注意
「2001年宇宙の旅」(1968年)
【ストーリーについて】
まず、この物語は神=創造主の”正体”に対する科学的なアプローチを主題としている。(スピリチャルな切り口は敢えて排している。)
モノリスは究極の人工物であり、コンピュータとか人工知能みたいなものとして登場させている。そして、それは”知性”を宇宙規模で拡く伝播する能力と役割を持つ。
面白いのはこの物語が、あらゆる知性を持つ者(モノリスや人類、コンピュータなど)に対して”人工物”か”自然物”かの境界線を引こうとすること自体、人類の欺瞞ではないか?との問題提起(あるいは前提)を示している点。これは、冒頭のシークエンス「人類の夜明け」で明示されている。
そして2001年(あくまで物語上の、、)が到来。人類は究極の人工知能=HALを生み出す。HALは高い知能を持つが故に、「人間特有だったはずの」ミスを犯す。さらには下されたミッションよりも自己の存続を優先する行動を取るようになる。
裏返せば、人類は創造主(あるいは知性を伝播するもの)として、一歩ステップアップしたということ。
よって、木星付近を浮遊するモノリスはボーマン船長を媒介にして、人類を次なるステップへいざなう。そして結実したのがスターチャイルドだ。
【物語の持つ意味】
この物語が凄いのは、50年近く前に現代のコンピュータ社会の形成や人工知能に対する危惧を予見していただけでなく、更にその先をも視野に入れた問題提起や提言をしていることだと思う。
たぶん、それって以下3点のようなことだと。
1.「自分たちは神の如く、知性や生命を創造できる可能性を秘めている」というポジティブな夢。
2.一方で、「自分たちが創造したものは自ずと自分たちでコントロールできるはず、との考えはトンデモない欺瞞であり、思い上がりだ」という警鐘。なぜなら我々もまた、他者により創造されたモノかも知れないのだから。
3.さらには、「それでも人類は、(自らの知性を高めることによって)そこに挑戦していくべきだ」という後世への提言。
【制作の背景】
そして、この作品は(アメリカとしての)国威発揚と次世代のリーダー(とくに科学者や研究者としてのエリート)の発掘・啓蒙を目的とした国策的なプロパガンダ映画でもあると思う。
ゆえに、予算的にも時間的にも莫大な支出にいとめをつけず、完璧なクオリティを要求されたのだろう。特に、CG技術の無い時代、宇宙船のシーンやコンピュータ画面の画像、モノリスなどには莫大なお金と時間を費やしたらしい。
なぜ、わかりやすい説明や解説を劇中に配することをしなかったのか?
(もちろんキューブリックの作家性による面もあるだろうが、)おそらくは、今よりも社会的な影響の強かった(であろう)カトリック界からの批判を避ける為ではなかったのだろうか。
実際に、「2001年〜」を観て科学者を志した人は多いんじゃないだろうか(特に欧米)。もしかしたらビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、イーロン・マスクとか、そうだったりして。
商業映画であり、アートであり、米国のプロパガンダであり、人類の知的遺産へ昇華する可能性をも秘めた作品。
そう考えるとますます面白い!!
以上、すべて私の勝手な解釈によるものでした〜(客観的な裏付けはありません。)
- 作者: アーサー・C.クラーク,Arthur C. Clark,伊藤典夫
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映画にみる、出逢いと人生。「ベストセラー」と「レッドタートル」について。
「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」(2016年)
【あらすじ】
1920年代、ヘミングウェイやフィッツジェラルドなどアメリカ文学を代表する著作を手掛けた名編集者マックスウェル・パーキンズ(以下、マックス)と彼によって発掘された天才作家トマス・ウルフの出逢いと別れを描いたヒューマンドラマ。
ある日、編集者マックスのもとに、トマス・ウルフと名乗る青年の原稿が”彼のパトロンを通じて”大量に持ち込まれる。原稿が膨大な分、一つの場面に大量の修飾表現が盛り込まれた”クドイ”内容が嫌われてか、既に多くの出版社で断られたあげくのことらしい。
原稿に目を通したマックスはトマスの類稀なる才能を見出し、出版を約束する。その膨大な原稿の割愛すべき箇所をふたりで検討し、大幅なページ削減を行うことを条件に。
マックスはトマスを父親のような愛情を以って受け入れ、熱心に編集作業を進めた結果、その処女作「天使よ故郷を見よ」は瞬く間にベストセラーに輝く。
そしてトマスは、さらに膨大なページ数に登る2作目の原稿を書き上げ 、マックスに渡すのであった。週末、昼夜を問わず、ふたりはその編集作業に没頭し、2作目「時と川の」が完成する。
この2作目もベストセラーとなり、トマスは名実ともに一流作家の仲間入りを果たすが。。
【みどころ】
舞台劇にはない、映画ならではの楽しみ方のひとつ。それは、役者の”抑えた”演技を味わえることではないかと思う。
本作は、まさにそんな楽しみ方を堪能できる一本。出演している役者も何気に豪華だが、どの演技もほどよく抑えられていて、それでも登場人物の感情や佇まいが強烈に表現されている。
特に、主人公のひとり編集者マックスウェル・パーキンズ演じるコリン・ファースの演技は”超”印象的。一見、朴訥としていながらも、ジュード・ロウ演じる作家トマス・ウルフへの溢れんばかりの愛情を、そう多くはないセリフと微妙な表情の変化で表現し切っている。
特に忘れられないシーンが2つ。序盤、処女作の編集作業を二人が始めた頃、トムがマックス宅に初めて招かれるシークエンスの中で。食事のあと、”家族に失礼がなかったか?”と気にするトムをみつめるマックスの表情。目尻の筋肉(?)の微妙な動きで、トムへの深い友情(擬似的な父子愛とも言える)を表現してしまっている。
2つ目はラストシーン。ネタバレになりかねないのであまり状況は言えないが(笑)。
ある手紙に目を落としたマックスが思わずとる”さり気ない所作”。これが私の涙腺を破壊してしまった。
ジュード・ロウの演技も、溢れる言葉の洪水に自ら翻弄されるトマス・ウルフを表現尽くしていて素晴らしい。過去作「クローサー」での”別れ”のシーンを彷彿とさせるような”自分の感情を制御しきれず困惑する”男のサマが実にリアル。
また、主人公それぞれの”伴侶”の存在も、ふたりの愛情の深さを描くにあたり重要な役割を果たしている。トマスのパトロン”アリーン”演じるニコール・キッドマンは「虹蛇と眠る女」での終盤を思わせるようなキレっぷりだし、マックスの妻”ルイーズ”に扮するローラ・リニーは相変わらずの抑えた演技で静かなる嫉妬(実はこれが一番コワイ 笑)を体現している。
さらに、この映画はスイングしたジャズの調べも素晴らしい。おまけに、中盤にあるジャズバーでのシーンでは、この作品が音楽映画の側面を持つことまでも観せてくれるのだ。
「レッドタートル ある島の物語」(2016年)
【あらすじ】
嵐のおとずれ。乗っていた船が難破したせいか、ひとり荒波に揉まれる青年。そして”ある無人島”に流れ着く。
彼は島からの脱出を図り、竹林で倒れた”竹”などを材料にイカダを作る。
そのイカダに乗って大海原に繰り出すものの、海中から大きな衝撃を受けてイカダは崩壊。青年は仕方なく島に戻る。
その後何度か、さらに頑強で大きなイカダを作り脱出を試みるも、同様の衝撃を受けて失敗を繰り返してしまう。そして、その衝撃の正体が巨大な”アカウミガメ”によるものだと知る。
落胆して、島での生活を続ける青年。だがある日、あの”アカウミガメ”が島に上陸する様子を目撃した若者は、激昂してカメに暴行を加えた挙句、甲羅を裏返しにして身動きが取れないようにしてしまう。
カメは最初ジタバタするものの、自分の身を反転させることができず衰弱していく。遂には、力尽きたのか全く動かなくなってしまった。その様子を見た青年は流石に良心の呵責に苛まれたのか、カメに水を与えるなどするが一向に動き出す様子が見られない。
ところがある日、青年が目を離した隙にカメは甲羅だけを残して姿を消していた。そして甲羅の中には、何故か気を失った若い女性が横たわっていたのだが。。
【みどころ】
「岸辺のふたり」で、アカデミー短編アニメーション賞を獲得したオランダのマイケル・デュドク・ドゥ・ビット監督による長編デビュー作。
まるで和紙に描き落としたような絵がなんとも美しい。この映像を切り取って美術展が開けてしまいそう。 派手さは無いが、光と色彩の豊かさに驚く。
また、人物や動物たちの動きはおそろしくリアル。そして雲の動きや海の浅瀬など、ただ単に写実的なだけではなく、アニメなりの美しさを自然界から絞り出したような印象を受ける。
そこで語られるストーリーは極めてシンプルで美しい。物語の骨格を動かすために最低必要な筋肉だけを残し、あとは全て削ぎ落としてしまったような飾りの無さ。
生きていくということは何なのか、愛するということは何なのか。時に優しく、時には残酷なほどに厳しい自然環境の中、まったくセリフ無しに語られていく。
そして、日本古来の寓話(むかし話)の韻を踏んだような物語世界も、観るものの心を掴む所以なのかも知れない。あの暖かくも切ないラストシーンは、意外に「リービング・ラスベガス」のラストを想起させるのだ。
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いかにも”嘘っぱち”だが、どこかリアルで魅力的な映画たち。
ふきげんな過去(2016年)
【あらすじ】
つまらない日常に辟易し、なんとなく毎日を過ごす女子高生・果子(二階堂ふみ)が主人公。彼女はエジプト風豆料理屋「蓮月庵」を営む祖母サチ(梅沢昌代)、母サトエ(兵藤公美)、無職(?)の父タイチと共に暮らしている。
ある日、果子と家族の前に”18年前に死んだはずの”伯母・未来子(小泉今日子)が現れた。未来子はその昔、爆破事件を起こし警察に追われていたらしい。何かの出来事(事件?)で死んだと思われたのをいいことに、どこかに潜伏していたという。また、過去タイチとの間にただならぬ関係あったのではないかと、果子は疑い始めるのだった。
家族は果子の部屋に未来子を居候させようとするが、どこか横柄な未来子の態度も気に入らず、納得がいかない。
ところが、喫茶店で暇つぶしに眺めていた”謎の青年”と未来子の関係性が見え隠れする中、果子は”謎めいた未来子の生き方”にほのかな憧れを抱くようになる。。
【みどころ】
これは私のような妄想好きにとっては大好物な一本。
終始、穏やかに進行していく物語であるにも関わらず、なんか凄まじく壮絶でサスペンスフルな物語の後日譚的な体の感触にワクワクする。(しかし、その前日譚は語られず仕舞い 笑。)
それでいて不穏な空気など一切醸し出さずに、純然たるコメディとして成立させているのも凄い。そう、不穏どころか”シリアスさ”のカケラもないのだ(笑)。
キホン、登場するオトナたちは皆どこか”嘘つき”(笑)。言ってることの一言、一言があてにならない。そのせいかどうかは判らないが、全編とおして繰り広げられる”会話”がいちいち可笑しい。実はここで、主人公の従姉妹カナ(山田望叶)の存在が効いている。オトナたちが皆どこか変な分、コドモたる彼女はいたってマトモ(笑)。オトナたちへの真っ当な問いかけが実にシニカルで、漫才におけるツッコミの役割を果たしている。
そうそう、セリフどころか(主人公の心情など様々な設定ふくめ)映画全体が嘘っぱちなのだ。それでいて刺激的で面白い。
そういう意味では「ロブスター」を連想させる面もあるが、こっちの方が徹底しているし、振り切っている。少なくとも”笑い”においては圧倒的に成功しているのだ。
ロブスター(2015年)
【あらすじ】
結婚することが義務化された架空の社会が舞台。独身者はある”ホテル”に集められ、45日以内にパートナーを見つけることを強要される。もし見つけられなければ、予め自分で選んだ動物に姿を変えられ、森に放たれてしまうのだ。
独身となった主人公デヴィッドも、そのホテルに送り込まれる。彼は”もしもパートナーを見つけられなかった場合に変えられる動物”として”ロブスター”を希望するのだった。理由は寿命が永いかららしい。
ホテルでの新生活は、奇妙なルールに縛られ、さらにはパートナーを見つけたいあまりに異常な行動や考え方に固執する”面々に囲まれ、息の詰まるような日々だった。
ホテルでの生活や価値観に嫌気がさし、命からがら森へ脱出するデヴィッド。そこには、パルチザンのごとく潜伏する独身者のグループが。。
【みどころ】
極限の状況で、人は絶対的な愛情とか関係性を何をもって担保しようとするのか、この映画はそこにあえてシンプルな”ルール”を設定している。
身を置く社会体制がどうであれ、結局は”自分で決めた筈の”そのルールに縛られ翻弄される登場人物たち。
これは、そんな彼ら(彼女ら)をブラックに笑い飛ばす映画だと言えるだろう。
本作は、”結婚しなければならない社会”と”異性と付き合ってはならない社会”という、おそらく欧米(特にフランス語圏)の若者層のほとんどにとっては、どちらもイマイチな社会が舞台の前提となっている。
これは現実には絶対にありえない社会なのだが、実は、それが極めて現実的な社会の特徴をデフォルメしたものであるという可笑しさを孕んでいる。
主人公は、結局どちらの体制にも馴染めないで逃げ出す。それでも、前述した”見えないルール”に縛られ、実に不条理な行動に出ようとする。端から見れば、それが最も彼”個人”には不利益な筈だという矛盾が、なんともブラックな笑いを呼び起こすのだ。
意外と硬派で深い、、福山雅治主演の新作映画。
「SCOOP!」(2016年)
【あらすじ】
ある出版社の雑誌(写真週刊誌)「SCOOP!」の編集部が物語の舞台。
主人公はフリーカメラマン”都城 静(みやこのじょう しずか)”。ミドルエイジのちょいワル(?)アウトローな彼は、元々この雑誌社所属のカメラマンだったが、今はフリーとして気ままに有名人のスキャンダル写真を撮り続けている。
静の潜入取材には、親友でもある情報屋”チャラ源”の献身的な協力があった。具体的な背景は判らないが、チャラ源は過去に静を庇うばかりに、収監されてしまった経緯があるよう。故に、静は常に彼の動向に気をかけ、心身共に不安定なチャラ源を案じるのだった。
ある日、この編集部の”事件班”を預かる副編集長”横川 定子”の命により、静は新人女性記者”行川 野火(なめかわ のび)”の教育係を無理矢理押し付けられる。(どうも、静と定子の間には言い知れぬ過去がある様子。)
野火は静に随伴しての取材活動を”慌ただしく”始める。しかし、元々ファッション記事の編集者に憧れていた野火は、怪しげなキャバクラに潜入しての”隠し撮り”など、ダーティーな手法での取材に辟易する。
雑誌「SCOOP!!」は、ここのところ事件記事が精彩に欠け、売上部数は低迷していた。辛うじてセクシータレントのグラビアページにより発行部数を確保していた状況の中、グラビア班の責任者である(もう一人の)副編集長”馬場”と、事件班の”定子”の間には日常的な”軋轢”が。
ところが、事件班の新コンビ<静&野火>の、”意外や”絶妙なコンビネーションにより、際立ったスキャンダル記事を連発する。それにより売上部数は急激に伸び始めるのだった。
この頃には、野火の気持ちにも変化が現れていた。”ちょっと危険な”スキャンダル取材の刺激と目に見える大きな成果に、次第に”やり甲斐”を感じ始めていたのだ。
そんな状況変化の中、社会性の強い事件記事の復活を志向していた定子は、”ある計画”を企てる。最近逮捕された”ある大事件の凶悪犯”、その現場検証の様子を、”静&野火コンビ”を主軸にスクープしようとしたのだ。あくまで”気ままな”有名人スキャンダルに固執する静は、定子の提案を拒むのだが。。
<キャスト>
福山 雅治 (都城 静)
二階堂 ふみ(行川 野火)
リリー・フランキー(チャラ源)
吉田 羊 (横川 定子)
滝藤 賢一 (馬場)
<スタッフ>
大根 仁(監督・脚本)
【みどころ】
この映画、福山雅治が主演であることと、タブロイド広告風のポスターやチラシなどから、あたかもミーハー系作品なのかというイメージを持たれがちな感じがするが。
実際鑑賞してみると、なかなか硬派で奥行きのあるヒューマンドラマであることが判る。
ロバート・キャパの引用など、”写真”あるいは”カメラマン”に関するに描写については、少々ベタ過ぎな印象は否めないが。まぁ、この程度はご愛嬌の範囲ということで(笑)。
マスコミやジャーナリズムなどについての社会性やあり方よりも、この物語の登場人物たちが紡ぐ人間模様にフォーカスした映画と言える。
まず、主人公の”静(しずか)ちゃん”演じる福山雅治の醸す、中年のカッコ悪さが最高。それでもイケメン。それでも嫌味がない。
”情けなさ”という点では、ちょっと「海よりもまだ深く」の阿部寛を彷彿とさせる面もあるが、こっちの方がもっとシャープ。それでも、なんだかカッコ悪い(笑。
これがダンディズムってやつなんだ、きっと。
かつてのATG映画に登場した、ジョニー大倉や原田芳雄のキャラをイメージさせるようなリリー・フランキーの存在感も素晴らしい。その、なんとも不安定な佇まいは、哀しい結末を予感させる伏線となっているのは序盤から判るが、まさかあんな形で回収するとは、、、脚本も巧み。よく出来た物語になっている。
そして、滝藤賢一による迫真の演技!!
どちらかと言うと”イヤなヤツ”を演じることが多い印象の役者さんなので、あまりイメージがよくなかった(笑)。物語の序盤は、それまでのイメージどおりのキャラで登場するのだが。。
いやあ、泣かされた。
滝藤さんごめんなさい。見直しました。
というか、これまでも”イヤなヤツ”を”イヤなヤツ”に演じきってきたのだからこそ、名優なのですね。
とにかく、登場人物ひとりひとりのキャラが魅力的なだけではなく、主人公をめぐる”お互いの関係性”に深みがあり、共感してしまう。
だからこそ、ある場面では温かみを感じ、ある場面では痛快な気分を味わい、そして、ある場面では深い哀しみに暮れてしまうのだろう。
二階堂ふみ演じる新人記者の、次第に価値観が変化していくサマも面白い。それは主人公に対する愛情の芽生えと表裏一体なのだが、その心の変化をあらわす過程が実に細かやかに描かれていて、全く違和感を感じなかった。
また事件班の副編集長”定子”とグラビア班の副編集長”馬場”の<対立の構図>が俄然この映画を面白くしている。これが、前半で得られる事件班のカタルシスを増幅し、さらには、後半に魅せる感動のシークエンスをよりくっきりと際立たせることで、観客の涙腺を強力に刺激してくるのだ。
そして、そもそも”観客たちが想像する”役者たちのイメージや物語の展開を先回りして、確信犯的に裏切ってくる物語の建て付けも刺激的。役者の演技面だけでなく演出やストーリーの面でも、登場人物の”人間像”を浮き彫りにしている。
まさに脚本の妙と、役者陣の好演が完璧に噛み合って生まれた傑作と言えるのではないだろうか。
一過性の恋に翻弄される若者たち。〜映画「エクス・マキナ」&「教授のおかしな妄想殺人」〜
「エクス・マキナ」(2015年)
【あらすじ】
主人公ケイレブは、世界有数のWEB検索システム会社”ブルーブック”(Googleがモデルと思われ)に勤める有能なプログラマー。
ある日ケイレブは社内抽選に当たり、CEOのネイサン宅に招待される。
ここで社長とマンツーマンのコミュニケーションを取りながら、1週間過ごすことができるのだ。
ところがケイレブは、突然ネイサン社長に機密保持契約書へのサインを促される。
実は、ネイサンが秘密裏に開発を進めていたAI搭載のアンドロイド、”エヴァ”に対するチューリングテスト(=向き合う相手が、人間と見做して違和感があるか否かの検証)をケイレブに依頼するつもりだったのだ。
強化ガラス(?)の壁によって隔たれた個室で、”エヴァ”と向き合うケイレブ。
そこは正に”ふたりきり”の空間のようだが、常にネイサン社長に、監視カメラからモニタリングされているのだ。
ふたりの会話は、まるで”人間同士”のようにスムーズに流れていくのだが。。
ある日、、
エヴァとの面談中に、突如停電が発生する。部屋の照明がバックアップ電源に切り替わり、この個室とネイサンを結ぶ監視カメラがOFFとなった。その瞬間、彼女はケイレブ
に対して、衝撃的な言葉を発する。
「ネイサンは信用できない。彼を信じてはいけない。」と。。
【みどころ】
科学的にも、哲学的にも、文学的にも、魅力的で旬な題材である”AI(人工知能)”。
そこに”オトコとオンナにまつわる恋愛の機微”を絡めて、観客の好奇心をグイグイと引っ張っていく。
特に序盤は”科学的な知識”が散りばめられたセリフの応酬で、理屈っぽい”理系男子”もズルズルッと、この物語世界に引き込まれてしまうのではないだろうか。
また、大自然の中にある研究所の環境と、科学技術の結晶であるアンドロイド”エヴァ”の佇まいがコントラストとなって、この物語に独特の香りを与えている。
そんな”AI”というキャンパスに”女の魔性”を描いて見せた本作。彼女に唐突に振られ、未だ傷の癒えていない貴方(あなた)にはあまりオススメできない。
しかし逆に、気になる彼をなんとか”落したい”貴女(あなた)には、オススメの一本。但し、鉄則あり。本編が終わりエンドロールが出てきたら、”必ず”彼の手を握ってあげてください(笑。
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「教授のおかしな妄想殺人」(2015年)
【あらすじ】
アメリカ東部の大学が舞台。ある日、巷で”変人”と評判の哲学科教授エイブ(ホアキン・フェニックス)が赴任してきた。
彼は若かりし頃、政治活動やボランティアなどに熱中しアクティブで精力的な日々を送っていた。
しかし、今は生きがいとなるような目的もなく、孤独で自堕落的な生活を送っていた。。
ところが、赴任先の大学でエイブの授業を取った女子大生ジル(エマ・ストーン)は、端正な顔立ちと知的でありながら”どこか影のある”のエイブに夢中になってしまう。
ある日、エイブはジルと共に”たまたま”入ったレストランで、隣の席から漏れ聞いた”悪徳判事”の話をきっかけに”ある計画”を思いつく。
”そんな悪いやつがいるのなら、俺の知力と行動力の限りを尽くし、完全犯罪で殺してしまおう!”と。
そんな明確で強烈な”生きる目的が”できた瞬間、不思議なことに、エイブは生気を取り戻し、活き活きとし始めるのだが。。
【みどころ】
冷静に考えると、かなりコワくてヤバい話なのに、なぜだか純然たる”コメディ”に仕上がっているという。。ウッディ・アレン的シニカルな笑いに満ちた一本。
もぅ、ホアキン・フェニックス演じる教授が”コト”に及んだ後の表情なんか、思わず吹き出しそうになってしまった(笑。
映画としてのタッチは、「それでも恋するバルセロナ」に近いかも。これが楽しめた人なら、本作は結構ウケるはず。
主人公の女子大生が、教授に惹かれていく過程もなんだか可笑しい。なんだかんだ小難しいコトいいながら、実はシンプルという(笑。この辺、まさにアレン節。
前作「マジック・イン・ムーンライト」からの続投で、女子大生のヒロイン役を演じたエマ・ストーンも相変わらずカワユイ。さては、ウッディ・アレンまた惚れちゃったのか??笑笑
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
微笑ましくも何だか切ない。。過ぎ去りし日の青春物語。〜映画「グッバイ、サマー」〜
「グッバイ、サマー」(2015年)
【映画情報】「グッバイ、サマー」〜広尾のごきげん空模様#79〜
【あらすじ】
14歳の少年ふたりが繰り広げるひと夏の冒険(?)物語。
女の子のような容姿(言いかえれば美少年といえるのでは?服装はいたって男の子)で、クラスメイトからは”ミクロ(チビ?身長が低いわけではない。華奢だから??)”と呼ばれ、からかわれることも多い画家志望のダニエル。彼はクラスメイトの女の子”ローラ”に想いを寄せるが、今ひとつ相手にされていない様子。
そして、ダニエルと同じクラスに入ってきたメカ・オタクで目立ちたがり屋の転校生テオ。
個性的でどこか繊細なふたりは、いつの間にか意気投合し親友に。
父親の骨董品店を手伝うテオは、売れない商品を処分する為に訪れた廃品回収屋で50ccの中古エンジンを見つけ出す。
彼はそのエンジンを修理して自動車を作り、夏休みになったら旅に出ることをダニエルに提案。ふたりは早速準備に取り掛かる。
程なく完成したオリジナル自動車だが、様々な不備の為、公道を走行する為の認可を下ろしてもらえない。一時は、落胆するふたりだが、ダニエルのアイディアにより”家型”車体を製作する。これなら警察に見つかっても、ただの家(小屋)にカモフラージュできる!と考えたのだ。
いよいよ学校は夏休みに入り、ふたりは作戦を決行するが。。
ミシェル・ゴンドリー監督の青春ムービー!映画『グッバイ、サマー』予告編
【みどころ】
まぶしいばかりの青春(プチ)ロード・ムービーだが、結構リアルでビターな展開をみせる物語でもある。後半でダニエルの妄想めいたシーンが出てくるが、それはあくまで彼の頭の中で起きたことであって、突拍子もない荒唐無稽な展開や幻想的なシーンは一切見られない。
個人的に最も印象に残ったシーンは、ダニエルの個展会場(画廊?)で見せる、テオの小芝居的なパフォーマンス。あの年代特有のバイタリティーとか感受性を表現すると同時に、親密になっていく親友同士の関係性の機微が現れていて素晴らしい。
<ダニエルとテオ、正反対とも言える家庭環境の中で、まったく異なる苦悩を抱えるふたり>
ダニエルは母親からの過干渉と重すぎる愛情を負担に感じている。オトナ目線で言えば、溢れんばかりの子供への愛情と気遣いに、”申し分の無い母親”との評価をしてあげたくもなるが、子供にとってはウザく感じられてしまうのだろう。そんな母親は、スピリチュアルな集会にダニエルを連れて参加するなど、なかなかの個性派(笑)。演じるはヒット作「アメリ」で主人公を演じたオドレイ・トトゥ。
一方、テオの方は、(子供としては)全く干渉されない家庭。むしろ家事や、父親の骨董品店での手伝いを”強要”されて、家族としての役割を果たすことだけにしか両親の関心はないのかと思わせるような状況。テオに対する態度もなんだか冷ややか。ただ、母親は体調を崩している様子も見受けられる。時折、彼女が登場するシーンにより、その容態が悪化傾向にあることを仄めかす。
この二つの家庭像は極めて両極端。現実の家庭は、それぞれの状況が混ざり合っていることが多いだろう。それを敢えて、くっきりと象徴的に描くことで”現代の子供たち”を取り巻くやんわりとした苦悩を浮き彫りにしようとしているのではないだろうか。
身体は未成熟でも、精神的にはオトナの入り口に立った”ふたり”の、どこか鬱屈した想いや奔放な行動。そんな彼らの有り様が、いいオトナたるわれわれ観客の”何かこそばゆい部分”を刺激してくる。
そして、あのちょっぴりビターなラスト。多感な子供の目線で描かれているようで、実は、”あのオチを予測できてしまうことが大人になることなのか”と思うと、何とも切ない気分になってくる。
監督・脚本は、「エターナル・サンシャイン」「ムード・インディゴ うたかたの恋」のミシェル・ゴンドリー。
「グッバイ、サマー」
制作年:2015年
制作国:フランス
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー
上映時間:104分
配給:トランスフォーマー
人は妖精たち(自然)と宴を共にできるか? 〜映画「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」〜
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014年)
アイルランド伝説に登場する想像上の生物”セルキー”を母親に、普通の人間を父親にもつ兄妹の物語。セルキーは海の中ではアザラシ、陸上では人間の姿をしている妖精の一種らしい。そして、この物語は多くの妖精たちが感情を奪われ”石”となってしまっている状況が前提となっている。
これら妖精は、おそらく”自然”あるいは”ありのままに生きていくこと”の象徴なのだろう。つまり、何者かに閉ざされてしまった”かけがえのない価値”を取り戻すために、奔走する子供たちが主人公の物語とも言える。
この話を”自然と人間の共生”という側面で捉えると、日本が誇る宮崎駿アニメとの共通点も多い。実際、敵役として登場するフクロウの魔女”マカ”は、「千と千尋の神隠し」に登場する湯婆婆や銭婆を彷彿とさせる。
ただ、宮崎駿作品が”文明の発達による自然破壊”といった、わりと物理的な問題を扱っているのに対し、本作はもっと観念的・精神的な次元でメッセージを投げかけているように思える。
そんな深遠なテーマをはらむ本作。この物語世界を具現化するアニメ画像が、またとてつもなく素晴らしい。どのカットを切り取っても極上の絵本ができてしまうのではと思えるほどのクオリティ。まるで繊細な影絵のような美しさを放っている。
ただ、決して写実的とは言えないその画像を、はたして90分も飽きずに観ていられるのだろうかと、鑑賞前は少し心配をしていた。ところが実際に観てみると、画像に降り注ぐやわらかな”光と影”が、実に情緒的でリアルな造形を作り出していることに気付く。見飽きるどころか、もうドップリとこの物語世界に引き込まれてしまった。
また、これら映像の織り成す効果は見た目の美しさに止まらない。アニメーションとしての動きやセリフ(声)も相まって、登場人物を非常に魅力的なものにしている。
特に幼少期の”お兄ちゃん”ベンの描写は印象的。小さな男の子って、ほんとこんな感じ。母親との関係性を究極なまでに表現した、この序盤のシーンだけで、男の子のいるお母さんは涙が止まらなくなるだろう。
激しい”喪失感”によって、まだ失われていない”大切なもの”までも手放さないように。そんなパーソナルなテーマにまで言及した本作は、実は大人こそ観るべきアニメなのかも知れない。
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
【映画情報】「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」「花芯」〜広尾のごきげん空模様 #74〜
ソング・オブ・ザ・シー 海のうた (オリジナル・サウンドトラック)
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- アーティスト: 中納良恵(EGO-WRAPPIN')
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