一過性の恋に翻弄される若者たち。〜映画「エクス・マキナ」&「教授のおかしな妄想殺人」〜
「エクス・マキナ」(2015年)
【あらすじ】
主人公ケイレブは、世界有数のWEB検索システム会社”ブルーブック”(Googleがモデルと思われ)に勤める有能なプログラマー。
ある日ケイレブは社内抽選に当たり、CEOのネイサン宅に招待される。
ここで社長とマンツーマンのコミュニケーションを取りながら、1週間過ごすことができるのだ。
ところがケイレブは、突然ネイサン社長に機密保持契約書へのサインを促される。
実は、ネイサンが秘密裏に開発を進めていたAI搭載のアンドロイド、”エヴァ”に対するチューリングテスト(=向き合う相手が、人間と見做して違和感があるか否かの検証)をケイレブに依頼するつもりだったのだ。
強化ガラス(?)の壁によって隔たれた個室で、”エヴァ”と向き合うケイレブ。
そこは正に”ふたりきり”の空間のようだが、常にネイサン社長に、監視カメラからモニタリングされているのだ。
ふたりの会話は、まるで”人間同士”のようにスムーズに流れていくのだが。。
ある日、、
エヴァとの面談中に、突如停電が発生する。部屋の照明がバックアップ電源に切り替わり、この個室とネイサンを結ぶ監視カメラがOFFとなった。その瞬間、彼女はケイレブ
に対して、衝撃的な言葉を発する。
「ネイサンは信用できない。彼を信じてはいけない。」と。。
【みどころ】
科学的にも、哲学的にも、文学的にも、魅力的で旬な題材である”AI(人工知能)”。
そこに”オトコとオンナにまつわる恋愛の機微”を絡めて、観客の好奇心をグイグイと引っ張っていく。
特に序盤は”科学的な知識”が散りばめられたセリフの応酬で、理屈っぽい”理系男子”もズルズルッと、この物語世界に引き込まれてしまうのではないだろうか。
また、大自然の中にある研究所の環境と、科学技術の結晶であるアンドロイド”エヴァ”の佇まいがコントラストとなって、この物語に独特の香りを与えている。
そんな”AI”というキャンパスに”女の魔性”を描いて見せた本作。彼女に唐突に振られ、未だ傷の癒えていない貴方(あなた)にはあまりオススメできない。
しかし逆に、気になる彼をなんとか”落したい”貴女(あなた)には、オススメの一本。但し、鉄則あり。本編が終わりエンドロールが出てきたら、”必ず”彼の手を握ってあげてください(笑。
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「教授のおかしな妄想殺人」(2015年)
【あらすじ】
アメリカ東部の大学が舞台。ある日、巷で”変人”と評判の哲学科教授エイブ(ホアキン・フェニックス)が赴任してきた。
彼は若かりし頃、政治活動やボランティアなどに熱中しアクティブで精力的な日々を送っていた。
しかし、今は生きがいとなるような目的もなく、孤独で自堕落的な生活を送っていた。。
ところが、赴任先の大学でエイブの授業を取った女子大生ジル(エマ・ストーン)は、端正な顔立ちと知的でありながら”どこか影のある”のエイブに夢中になってしまう。
ある日、エイブはジルと共に”たまたま”入ったレストランで、隣の席から漏れ聞いた”悪徳判事”の話をきっかけに”ある計画”を思いつく。
”そんな悪いやつがいるのなら、俺の知力と行動力の限りを尽くし、完全犯罪で殺してしまおう!”と。
そんな明確で強烈な”生きる目的が”できた瞬間、不思議なことに、エイブは生気を取り戻し、活き活きとし始めるのだが。。
【みどころ】
冷静に考えると、かなりコワくてヤバい話なのに、なぜだか純然たる”コメディ”に仕上がっているという。。ウッディ・アレン的シニカルな笑いに満ちた一本。
もぅ、ホアキン・フェニックス演じる教授が”コト”に及んだ後の表情なんか、思わず吹き出しそうになってしまった(笑。
映画としてのタッチは、「それでも恋するバルセロナ」に近いかも。これが楽しめた人なら、本作は結構ウケるはず。
主人公の女子大生が、教授に惹かれていく過程もなんだか可笑しい。なんだかんだ小難しいコトいいながら、実はシンプルという(笑。この辺、まさにアレン節。
前作「マジック・イン・ムーンライト」からの続投で、女子大生のヒロイン役を演じたエマ・ストーンも相変わらずカワユイ。さては、ウッディ・アレンまた惚れちゃったのか??笑笑
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
微笑ましくも何だか切ない。。過ぎ去りし日の青春物語。〜映画「グッバイ、サマー」〜
「グッバイ、サマー」(2015年)
【映画情報】「グッバイ、サマー」〜広尾のごきげん空模様#79〜
【あらすじ】
14歳の少年ふたりが繰り広げるひと夏の冒険(?)物語。
女の子のような容姿(言いかえれば美少年といえるのでは?服装はいたって男の子)で、クラスメイトからは”ミクロ(チビ?身長が低いわけではない。華奢だから??)”と呼ばれ、からかわれることも多い画家志望のダニエル。彼はクラスメイトの女の子”ローラ”に想いを寄せるが、今ひとつ相手にされていない様子。
そして、ダニエルと同じクラスに入ってきたメカ・オタクで目立ちたがり屋の転校生テオ。
個性的でどこか繊細なふたりは、いつの間にか意気投合し親友に。
父親の骨董品店を手伝うテオは、売れない商品を処分する為に訪れた廃品回収屋で50ccの中古エンジンを見つけ出す。
彼はそのエンジンを修理して自動車を作り、夏休みになったら旅に出ることをダニエルに提案。ふたりは早速準備に取り掛かる。
程なく完成したオリジナル自動車だが、様々な不備の為、公道を走行する為の認可を下ろしてもらえない。一時は、落胆するふたりだが、ダニエルのアイディアにより”家型”車体を製作する。これなら警察に見つかっても、ただの家(小屋)にカモフラージュできる!と考えたのだ。
いよいよ学校は夏休みに入り、ふたりは作戦を決行するが。。
ミシェル・ゴンドリー監督の青春ムービー!映画『グッバイ、サマー』予告編
【みどころ】
まぶしいばかりの青春(プチ)ロード・ムービーだが、結構リアルでビターな展開をみせる物語でもある。後半でダニエルの妄想めいたシーンが出てくるが、それはあくまで彼の頭の中で起きたことであって、突拍子もない荒唐無稽な展開や幻想的なシーンは一切見られない。
個人的に最も印象に残ったシーンは、ダニエルの個展会場(画廊?)で見せる、テオの小芝居的なパフォーマンス。あの年代特有のバイタリティーとか感受性を表現すると同時に、親密になっていく親友同士の関係性の機微が現れていて素晴らしい。
<ダニエルとテオ、正反対とも言える家庭環境の中で、まったく異なる苦悩を抱えるふたり>
ダニエルは母親からの過干渉と重すぎる愛情を負担に感じている。オトナ目線で言えば、溢れんばかりの子供への愛情と気遣いに、”申し分の無い母親”との評価をしてあげたくもなるが、子供にとってはウザく感じられてしまうのだろう。そんな母親は、スピリチュアルな集会にダニエルを連れて参加するなど、なかなかの個性派(笑)。演じるはヒット作「アメリ」で主人公を演じたオドレイ・トトゥ。
一方、テオの方は、(子供としては)全く干渉されない家庭。むしろ家事や、父親の骨董品店での手伝いを”強要”されて、家族としての役割を果たすことだけにしか両親の関心はないのかと思わせるような状況。テオに対する態度もなんだか冷ややか。ただ、母親は体調を崩している様子も見受けられる。時折、彼女が登場するシーンにより、その容態が悪化傾向にあることを仄めかす。
この二つの家庭像は極めて両極端。現実の家庭は、それぞれの状況が混ざり合っていることが多いだろう。それを敢えて、くっきりと象徴的に描くことで”現代の子供たち”を取り巻くやんわりとした苦悩を浮き彫りにしようとしているのではないだろうか。
身体は未成熟でも、精神的にはオトナの入り口に立った”ふたり”の、どこか鬱屈した想いや奔放な行動。そんな彼らの有り様が、いいオトナたるわれわれ観客の”何かこそばゆい部分”を刺激してくる。
そして、あのちょっぴりビターなラスト。多感な子供の目線で描かれているようで、実は、”あのオチを予測できてしまうことが大人になることなのか”と思うと、何とも切ない気分になってくる。
監督・脚本は、「エターナル・サンシャイン」「ムード・インディゴ うたかたの恋」のミシェル・ゴンドリー。
「グッバイ、サマー」
制作年:2015年
制作国:フランス
監督・脚本:ミシェル・ゴンドリー
上映時間:104分
配給:トランスフォーマー
人は妖精たち(自然)と宴を共にできるか? 〜映画「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」〜
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014年)
アイルランド伝説に登場する想像上の生物”セルキー”を母親に、普通の人間を父親にもつ兄妹の物語。セルキーは海の中ではアザラシ、陸上では人間の姿をしている妖精の一種らしい。そして、この物語は多くの妖精たちが感情を奪われ”石”となってしまっている状況が前提となっている。
これら妖精は、おそらく”自然”あるいは”ありのままに生きていくこと”の象徴なのだろう。つまり、何者かに閉ざされてしまった”かけがえのない価値”を取り戻すために、奔走する子供たちが主人公の物語とも言える。
この話を”自然と人間の共生”という側面で捉えると、日本が誇る宮崎駿アニメとの共通点も多い。実際、敵役として登場するフクロウの魔女”マカ”は、「千と千尋の神隠し」に登場する湯婆婆や銭婆を彷彿とさせる。
ただ、宮崎駿作品が”文明の発達による自然破壊”といった、わりと物理的な問題を扱っているのに対し、本作はもっと観念的・精神的な次元でメッセージを投げかけているように思える。
そんな深遠なテーマをはらむ本作。この物語世界を具現化するアニメ画像が、またとてつもなく素晴らしい。どのカットを切り取っても極上の絵本ができてしまうのではと思えるほどのクオリティ。まるで繊細な影絵のような美しさを放っている。
ただ、決して写実的とは言えないその画像を、はたして90分も飽きずに観ていられるのだろうかと、鑑賞前は少し心配をしていた。ところが実際に観てみると、画像に降り注ぐやわらかな”光と影”が、実に情緒的でリアルな造形を作り出していることに気付く。見飽きるどころか、もうドップリとこの物語世界に引き込まれてしまった。
また、これら映像の織り成す効果は見た目の美しさに止まらない。アニメーションとしての動きやセリフ(声)も相まって、登場人物を非常に魅力的なものにしている。
特に幼少期の”お兄ちゃん”ベンの描写は印象的。小さな男の子って、ほんとこんな感じ。母親との関係性を究極なまでに表現した、この序盤のシーンだけで、男の子のいるお母さんは涙が止まらなくなるだろう。
激しい”喪失感”によって、まだ失われていない”大切なもの”までも手放さないように。そんなパーソナルなテーマにまで言及した本作は、実は大人こそ観るべきアニメなのかも知れない。
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
【映画情報】「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」「花芯」〜広尾のごきげん空模様 #74〜
ソング・オブ・ザ・シー 海のうた (オリジナル・サウンドトラック)
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時間を超越したコミュニケーションについて。〜映画「ひそひそ星」& 「すれ違いのダイアリーズ」〜
「ひそひそ星」(2015年)
【あらすじ】
かなり先の未来、人類は多くの失敗(災害や戦争と思われる)を繰り返し、人口は激減。宇宙には平和が訪れているが、人口(?)の80%を占めるAI搭載ロボットが世界を支配している。(面白いのは、このロボットたちは決して20%の人間たちを虐げてはいない点。)
主人公は”鈴木洋子”を名乗るAI搭載のアンドロイド。彼女は、宇宙の様々な惑星に散り散りになって住んでいるわずかな”人々”の間を行き来しながら、(荷主や受け取り人にとって)思い出に満ちた荷物を送り届ける宇宙宅配便の”配達人”。
テレポーテーションの技術により荷物など瞬時に移動できるこの時代に、何故、人類は時間をかけて荷物の宅配を依頼するのか?鈴木洋子は、理解ができない。きっと”距離と時間に対する憧れは、人間にとって心臓のときめきのようなものだろう”と推察しているのだが。
ある時、鈴木洋子は”30dB以上の音を立てると人類は死んでしまう”という”ひそひそ星”を訪れる。彼女は影絵のように障子に映し出されたシルエットのような”人々”の暮らしの間を歩きつつ、受け取り人のいる場所へ向かっていく。。
【みどころ】
テーマは「記憶」。もっと踏み込んで言ってしまえば「喪失感を伴う記憶」=「郷愁」とも言えるだろう。
万人の心に響く可能性の高いテーマだが。。
意外と暗喩的に物語に仕込むのは難しくもあるのではなかろうか。
その記憶とは一体”何”なのか、”誰”がそれを失ったのか、これらは物語の語り手側が明示しないと、観る側の感動を呼ぶにいたらないのでは。本作では、残念ながら失った主体が”人類”という大きな括りの為か、それが感じられなかった。
とはいえ、目に映る画像は美しい。ジャンルとしてはSFの体をとっているのだが、主人公が訪れる惑星の風景(福島の被災地にてロケ)や宇宙船などのプロダクトデザインなど、観ていて飽きない。特に風景の映像については、間違いなくタルコフスキーの影響を受けているのだろう。
モノクロ画面も高精細なためか、古ぼけた印象がなく、映像ひとつひとつがアート写真のように映えていた。
また、園監督が少年時代だったであろう昭和40年代前半頃のモノや風景が、デザイン含め映像のいたるところに溶け込んでいるような印象も。
さらに、”鈴木洋子”と言うキラキラ感の全くない名を名乗る(笑)、アンドロイドの主人公設定自体がなんとも興味深くもある。彼女は”宅配”を望む人間の気持ちが”解らない”と感じる時点で、もう既に”理屈では説明できない”人間の感情に憧れているのだろう。きっと、”距離と時間に対する憧れ”とはまさに、機械たる彼女に芽生えた”初めての感情”と言えるのではないだろうか。
数々のメジャー作品を手がけながら、自主制作の形をとって、こういうコダワリの企画を世に出していく園子温の意欲は凄い。
オーダーに基づいた職人仕事をこなす一方で、今一番、日本で好きなことができる監督なのかも知れない。
「すれ違いのダイアリーズ」(2014年)
【あらすじ】
教員免許を取ったものの、なかなか教職に就けない主人公の青年”ソーン”。
必死の就活が功を奏したのか、やっとみつけた教師の仕事は僻地の水上学校へのたった1人での赴任だった。
不便な暮らしに苦労しながらも、奮闘するソーン。ただ、子供たちの気持ちに寄り添う余裕が持てないせいか、反発を受けたりと、なかなかいい関係性が築けない。
途方に暮れていたソーンだが、ある日たまたま手を伸ばした黒板の上に、少し古びたノートがあるのを見つける。
それは一年前に、自分と同じように赴任してきた若き女教師の日記帳だった。
そこには、自分と同じように壁にぶつかり苦しみながらも、成長していく彼女の活き活きとした姿が映し出されていた。
そんな日記を読みふけるうちに、ソーンは未だ会ったこともない彼女に”恋心”を抱くようになるが。。
【みどころ】
タイムマシンも出てこない、それ以前に、SFでもなければファンタジーですらないのに、時間を超えて男女がコミュニケーションを取り、恋に落ちてしまうという斬新なアイデア!しかも”水上学校”が舞台という、タイならではのオリジナリティ。やるね。
さらには途中で、”現在進行形”で描かれる側の主体が入れ替わるという巧みな構成。ヤバい。
中盤、ややご都合主義にみえてしまう展開もあるが、クライマックスの捻りが”技あり!”で帳消し(笑。
オマケに学園モノとしても、ちょっぴり泣けるシーンがあって、サービス精神満載の内容かと。
主人公を演じるふたりも魅力的。
特に青年教師ソーン役のスクリット・ウィセートケーオ(本職は歌手らしい)。その”キュッ”っと上がった口角から繰り出される笑顔に(香取慎吾 似)、本作を観た全アジア女子は心を奪われるのでは??
「ラブアクチュアリー」を観て以来、”ラブコメ”映画ジャンキーになり果てた(笑)私が、自信をもってお勧めする一本!!
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
【映画情報】「ひそひそ星」「すれ違いのダイアリーズ」〜広尾のごきげん空模様 #60〜
映画にみる、ヨーロッパの”死生観”。「神様メール」&「素敵なサプライズ 〜ブリュッセルの奇妙な代理店〜」
「神様メール」(2015年)
制作国:ベルギー・フランス・ルクセンブルク合作
世の中の嫌なことって、全て一人(?)の意地の悪いゲスな神様のせいなんだよ、だからそいつを排除して、みんな幸せになっちゃおうぜぃ♫っていう、どこかシュールなファンタジー・コメディー。
原題は「新・新約聖書」。本作は、新約聖書をベースにした物語構造をもつ。
主人公の少女”エア”は、横暴な神(創造主)である父親に反発して彼の使うPC(笑)を操作し、全ての人類に彼(彼女)ら自身の余命年齢を知らせてしまうのだが。。
面白いのは、”知らせない”ことが創造主たる父親が考えた人類に対する”支配構造”であり、”知らせる”ことによって人々は”自律的に”良識ある行動を取り始めるといった物語の展開を見せる点だ。
少なくとも自分の死期を悟った人類に、意外や暴虐無尽な態度を取る輩は出てこない。これは”性善説”に基づいた価値観に基づくものと考えられる。
おそらく、本作で描かれる創造主(父親)は原理主義的で封建主義的な思想の象徴であり、娘の”エア”は自由主義的、共和主義的な思想の象徴なのだろう。
この映画の制作国のひとつであり物語の舞台でもある”ベルギー”は、世界で数少ない”安楽死”を合法化している国のひとつ。この法律が前述の思想や価値観がベースに成立していると考えると、異国の我われには興味深い。
要は”人間たるもの、自らの命をコントロールする<権利>も<能力>も持ち合わせている筈だ”との考えが、本作に見え隠れしている気がしてならないのだ。
ただ、小難しいことを考えずとも、ジャコ・バン・ドルマル(監督・脚本)の美的価値観とか、”笑い”の琴線みたいものが垣間見えるようで楽しかった。クスッと笑えるような描写や、いちいち可愛いキャラなども登場して、ハマる人はハマるんじゃないかなと。また、薬味代わりに(?)少々ブラックな要素も挿入していて、お子様ランチ化を防いでいる。
スタッフは全く違うのだが、「アメリ」と、どこか似た世界観というか物語世界だなっという印象も。フランス語圏の人がもつ共通の感性ってあるのかも知れない。
「素敵なサプライズ〜ブリュッセルの奇妙な代理店」(2015年)
制作国:オランダ
たしかに面白かったし、エンターテイメント作品として楽しめたのだが、
オチが、、ちょっと私には受け入れられなかった。価値観というか、”死生観”が異なるのだろう。
登場人物は、皆よく描かれていて魅力的。
ストーリーもスリリングな展開の連続で、終始飽きさせない。
でもラストが、、、
劇中、”奇妙な代理店”の支配人が発するこんなセリフがある。「このビジネスは、いづれ合法化する、、云々」。。(※この代理店はベルギーのブリュッセルにあるという設定。制作国のオランダも”安楽死”は合法。)
きっと、この言葉に納得いくか否かが、この映画を愛せるかどうかの別れ目かと。
これは”安楽死”が合法であるベルギー、オランダならではの価値観に基づくものであろう。
自らの”死”を選択する権利を持った”市民”。
この価値観を拡大解釈したとき、それが”死にゆく者の意思”であれば、”他殺”も倫理的に”是”ではないかとの考えに行き着く可能性もある。”いい”か”悪い”かは別にしても、そんな思想がこの物語の根底にあることだけは、理解した上で鑑賞した方がいいのかも知れない。(※なお、医師による”積極的安楽死”はベルギー、オランダ両国とも法的に認められている。)
(上記の議論は傍に置いておくにしても、)主人公の二人が惹かれ合うシークエンスは、わざとらしさがなく説得力もあってよかった。
特に浜辺でふたりが踊るシーン!
なんとも愛らしくて、トキメキがあって、邦題どおり”素敵”なシーンだった。
※↓出演しているネット番組でも本作を紹介させていただきました!
イヂメぬかれるオトコたち。〜映画「ノック・ノック」&「白い肌の異常な夜」〜
「ノック・ノック」(2015年)
【あらすじ】
愛妻と二人の子供に囲まれ、絵に描いたような平和な家庭生活を送る主人公エヴァン。
休日に家族とビーチへ出かける予定だったが、急に舞い込んだ仕事をこなすため、エヴァンだけが留守番することに。
夜、(独身時代に愛聴していたであろう)趣味のハードロックなどを大音量でかけながら、仕事に没頭していたエヴァン。外は激しい雨が降りしきる。
すると急に玄関のドアを繰り返し”ノック”する音が。”こんな時間に、誰が??”
怪訝に思いながらドアを開けてみると、そこには雨でずぶ濡れになった美女二人が。
どうやら道に迷ってしまったらしい。
風邪を引いたのか、くしゃみなどし始める彼女たちを気遣って、タクシーを呼ぶまでの間、暖をとるようにと部屋に招き入れたエヴァン。
ところが、実に奔放でオープンな彼女たちは、次第に執拗にエヴァンを誘惑し始める。。。
【みどころ、など】
ゾンビものを除く、ゴアなホラーが苦手だ。特に”拷問系”と”カニバリズム系”が。
この映画の監督イーライ・ロスの代表作は「ホステル」や「グリーン・インフェルノ」。もう超絶ゴアで拷問&カニバリズム作品がお好みのよう(笑。
よって、彼の作品は本作が初鑑賞。
(この映画には血糊たっぷりの残虐なシーンは一切ない)
この監督、よほど”エエ格好しい”の偽善者が嫌いなのだろう。特に、”その自覚すら無い”連中が。ネット上などで見られる、前作(「グリーン・インフェルノ」)の鑑賞レビューで、”意識高い系”との言葉が頻発する理由がわかるような気がする。
そんなカッコつけたヤツらに中指立てて笑い飛ばしてる映画なんだろう、きっとこれは。
本作のジャンルを一言であらわすのは難しい。強いて言えば、スリラー色の強いブラック・コメディかと。少なくともホラーではない。演出上、観客を怖がらせようなどという意図を全く感じないからだ。逆に、ラストのフェイスブック(?)のクダリは爆笑してしまった(笑)。
劇中、(自分にとって)冷や汗が出るくらいイヤ〜なシーンだったのは、”彼女たち”が狂気を剥き出しにする後半ではない。序盤の、主人公が誘惑されていくトコロ。あそこでキアヌ・リーブスが見せてくれたのは、(自分含め)多くのオトコが”自ら”経験したであろう、愛欲を目の前にした際の”欺瞞”と”自己防衛”に満ちた醜悪な態度だ。
特にキアヌ演じる主人公が「オレ、昔DJやってたんだ〜云々、、」のセリフを発するクダリ。恥ずかしくて顔から火が出そうな気分に陥ってしまうのである(笑)。
そんな調子コキ野郎に鉄槌をくだす本作。
もしかしたらイーライ・ロスは、本気でオトナの為の”新たな寓話”を作り出そうとしているのかも知れない。
「白い肌の異常な夜」(1971年)
時は南北戦争の末期。
クリント・イーストウッド演じる負傷兵の主人公は、敵軍領地内で行き倒れてしまう。そして、たまたま”そこに”居合わせた少女に救われ、彼女の暮らす女子学園の寄宿舎に匿われるが。。。
子供の頃、エロ映画と勘違いしてこっそり深夜テレビで鑑賞した作品(笑)。
たしかにエロティックな雰囲気も醸してはいるが。。内容は”愛欲系サイコ・サスペンス”といった感じ(ゴア描写は殆どありません) 。
なんせ戦争によって男たちを兵役に駆り出された”女子学園”が舞台なだけに、期せずして現れた”若きイケメン主人公”は、彼女たちの欲望を喚起してしまう。。
ほどなく、若い女教師と恋仲になる主人公だが、それが(ミドルエイジの学園長を含む)周囲の嫉妬心を煽ることに。
更に、ちょいと奔放な女学生の誘惑に負けてしまった挙句、トラブルに巻き込まれた彼は階段から転げ落ち、足に大怪我を負う。
さあ、ここで主人公たるイケメン君の”命を救う”という大義名分の下、学園長は何とも恐ろしい治療法を実践する。これが、”オトコいぢめ映画”の金字塔(笑)「ミザリー」をも凌駕する程の凄まじい恐怖感に溢れたシーンなのだ。
当時、マカロニ・ウェスタンのヒーローやダーティハリーのイメージだったクリント・イーストウッドが、老若”女子”にいたぶられまくられるサマは、衝撃以外の何物でもなかった。そのショックたるや「ノック・ノック」を観たキアヌ・ファンの比ではない(笑)。
そして”最年少女子”にカメラが寄るラストカットは、ヒッチコックの「サイコ」を彷彿とさせる恐ろしさ。
監督ドン・シーゲル、主演クリント・イーストウッド、音楽ラロ・シフリンの組み合わせは、なんと意外なことに刑事アクションの名作「ダーティハリー」と同じ顔ぶれ。ジャンルは全く異なるが、主人公と対峙するのが”サイコパス”な要素を孕んでいる人物と考えれば、共通点もなくはない。
さらに、それまでヒロイックな主人公のイメージが強い”イケメン”役者をイヂメると言うコンセプトにおいては、前述の「ノック・ノック」と同じ韻を踏んだ作品とも言えるかも知れない。
鉄男 TETSUO(1989年)
この映画は、”サイバーパンク”の系譜に位置づけられる作品だが、他とは一線を画する強烈な個性を放つ。そこには近未来を想起させるようなシャープさやカッコ良さは無い。むしろ、なんかドロドロとした恐ろしさやエロさ、人間の業を具現化したような醜さを表出していると言える。
主人公は”ある出来事”をきっかけに肉体が金属化していくのだが、これが、単なる金属化ではない。まるで打ち捨てられた工業製品=スクラッップのごとき造形の金属が瘤のようにゴボゴボと肉体から湧き出て侵食していく感じなのだ。
また、オープンニングのタイトルバックで表示される”普通サイズの怪人シリーズ”との文字が、なんだかウルトラQなんかを見てるようなワクワク感を奮い起こす。かといって決して子供向けでは無い、白黒じゃなかったら結構ヤバいんじゃ無いかってくらいグロいしエロいのだ。
TETSUO: THE IRON MAN (1989) HD
映像としては、”かかと”からのジェット噴射移動のシーンなど、ストップモーション・アニメを多用したアナログチックな特殊効果が、一層この映画に際立った個性を与えている。サイレント映画では無いが、終始、セリフは最低限に抑えられており、映像と音楽の絡み(特に鉄人化が進行していくクダリなど)も見事。日本語が解らない外国人から見れば、音楽PVにも見えるのではないだろうか。
とはいえ、物語性を排しているいるわけではないのも面白い。不条理さや不可解さはあるものの、しっかりと登場人物同士の絡みが存在するし、その感情のぶつかり合いから生まれる”パワー”こそが、この映画最大の魅力ではないだろうか。
クライマックス、対峙する”男”と”やつ”からほとばしるエネルギーに圧倒される。彼らは決して”潰し合い”の闘いをしているわけではない。じゃれあい、愛し合いながら”同化する術”を探り合っているのだ。
笑えて泣けて、あったかい。。映画「アスファルト」について。
「アスファルト」(2015年)
”笑い”というのは実に奥深い。意外に、それは”恐怖”や”哀しみ”といった一見異なる感情の機微と表裏一体だから。
本作は、特に独特の”ユーモア(あるいはエスプリ?)”と”哀切感”との取り合わせが極めて印象的な傑作と言える。
【あらすじ】
舞台はフランスの、いわば低所得者層が多く住んでいそうな集合住宅。ここの入居者四人から織り成される三組の男女の”出逢い”と”交流”を軸に物語が展開する。
1.”孤独な少年”と”落ち目の女優”
少年は高校生ぐらいだろうか。母親は何故か殆ど帰宅せず、ほぼ一人暮らしの状態。近所に悪友はいるものの、孤独を癒すことはできていない。
ある日、彼が住む部屋の向かえに中年女性が引っ越してくる。彼女が鍵をインロックしてしまい、外に締め出されたことをきっかけに”ふたり”の交流が始まる
2.”息子と暮らせない女性"と”宇宙から不時着したNASAの宇宙飛行士”
宇宙ステーションでの任務を終えたNASAの宇宙飛行士だが、何かの手違いかトラブルにより、この映画の舞台となっているフランスの団地(屋上!笑)に不時着してしまう。
地上(異国)での通信手段を持たぬ彼は、とっさに団地の部屋を訪ね、住人から電話を借りる。その部屋に住んでいたのはアルジェリア出身の孤独な壮年女性だった。
3.”事故で歩けなくなった男性"と”夜勤中の看護師”
職業など素性は不明だが、とにかく利己的で協調性のない男性(笑)。彼の”ワガママ”ぶりは冒頭のシークエンスで描かれる。
ある日、彼は自室での不慮の事故により、一時的に歩けなくなってしまうのだが。。
素直になれないその性格ゆえに取った”奇異な行動”が、偶然の出逢いをもたらす。
【みどころ】
冒頭、団地の入居者による”エレベーター改修”をめぐるミーティングの様子が映し出される。もう、実はこのシーンが結構な爆笑もの。ミニシアター向け映画特有の小洒落た雰囲気(?)を醸しつつも、けっこう序盤は”ストレート”な笑い満載の流れをみせる。(しかし、意外に劇場は静かだったが 笑。)
そして次に、同じ団地に住む少年の孤独な”暮らしむき”を描くシークエンスへ。
彼が自転車を漕いで外へ飛び出すシーンがまた印象的。ここで彼の背中を追うカメラワークと流れる音楽が絡み合い、妙に(理屈ぬきで)哀切感を醸し出してくるから不思議。作品全体の奥深さ(※笑いと哀しみのコラボレーション)を象徴するようなプロローグと言える。
本作における”笑い”と”哀しみ”のエッセンスは、その両者が渾然一体となって溶け合っているわけではない。序盤からジワジワと笑わせつつ我々を物語世界へ引き込みながら、次第に、各々が抱える孤独感(もしくは喪失感)を漂わせてくる。
その孤独の正体は、劇中で”はっきりとは”明かされない。しかし、偶然の”出逢い”により湧き出してきた希望によって、皮肉にも深い苦悩を背負ってきた過去が浮き彫りになってくるという、なんとも巧みな構造を成している。
だから、深い孤独感に溢れた物語ながら、観客は清々しい気分で劇場をあとにできるのだ。
【三つの物語を関連づけるシークエンス】
この映画は前述したように、三組の男女の出逢いによる三つのストーリーで構成されている。ただ、オムニバスではない。それぞれの物語を成すシーンが入り混ざって進行していく。三組の登場人物同士が途中で関わりを持つかもしれないし、持たないかもしれない(このあたりは、是非ご自分で鑑賞して見届けて欲しい 笑)。
ただ(同じ団地に住んでいることを除けば)一つだけ、三つの物語に共通したシークエンスがある。それは劇中、度々耳にする”不穏な物音”だ。ある者には”子供の悲鳴”に聞こえ、またある者には”悪魔の雄叫び”にも聞こえる。昔サーカスから逃げ出した虎の鳴き声だ、という者までいる。
登場人物をめぐる背景について、あまり詳しくは説明されない映画だが、皮肉なことに、この物音の正体はラストシーンで明かされる。
そして、そのラストが意味するものは何だったのだろうか。。。
人間は”思い込み”の動物だ。親しい間柄の相手でさえ、お互いに”本当の意味で”理解し合うことなど中々出来ないだろう。本作の登場人物とて、出逢った相手の事をよくは解っていない。ところが、それでも”人はお互いに心を通わせ、癒しあうことができる筈だ”という暖かな希望を本作は指し示していると言えるのではないだろうか。
制作年:2015年
制作国:フランス
監督・脚本:サミュエル・ベンシェトリ
上映時間:100分
配給:ミモザフィルムズ
愛すべきジム・ジャームッシュ初期の傑作たち。
ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984年)
ニューヨーク〜クリーヴランド〜フロリダを舞台にした半ロード・ムービー。博打やイカサマで生計を立てる気ままな青年の二人組、ウィリーとエディ。ある日、母国ハンガリーから渡米してきたウィリーの従妹エヴァが、急に訪れてくるのだが。。
Stranger Than Paradise (1984) Trailer
全編、白黒で長回しカットを多用した作り。ロードショー当時はジム・ジャームッシュ云々というよりも、ジョン・ルーリー(スタイリッシュなイメージの強かったミュージシャン)主演のオシャレ映画って印象だった。
主人公の所作や服装、部屋の感じ、車などの”スタイル”に興味を持てるか否かが、この映画を楽しめるかどうかの分かれ道なのかも知れない。それほど、大した出来事もなく淡々と物語は進行していくように見えるのだが。。
ところが、このままでは終わらないのが本作の面白いところ。終盤、なんか突拍子もない出来事が急に飛び込んできて、実にシュールな展開となっていく。
そして、なんとも不思議な余韻に浸りながらエンドロールを眺めることになるのだ。
ダウン・バイ・ロー(1986年)
ひょんなことから同じタイミングで収監されてしまった3人の、出会いと交流が描かれた本作。序盤はそれまでのジムジャ作品のように、ちょっとシニカルに”引いた”タッチで始まるのだが、次第に3人の登場人物たちへフォーカスしていく。
DOWN BY LAW (1986) | Official UK Trailer - in cinemas 12th September
とにかく彼らのキャラがそれぞれに立っていて面白い。特に、役者としてのロベルト・ベニーニが素晴らしい!!一見ウザくも感じられるキャラなのだが、段々とこの物語に人間的な”暖かみ”と”ユーモア”を添える役割を果たしている。
(妄想の域を超えないかもだが、、)もしかしたらジム・ジャームッシュは、ロベルト・ベニーニとの出会いによって、彼なりの(商業)映画のスタイルを完成できたのではないだろうか。この作品で感じた”暖かみ”は、処女作「パーマネント・バケーション」や前作「ストレンジャー・ザン・パラダイス」ではあまり感じられなかったからだ。
逆に、なんともシュールなラスト・シーンはまさに処女作から続く”ジムジャ節”(笑)。特に、前作ラストと”対”を成すような終わり方は、観る者の妄想を掻き立てて楽しい。
映像は前作同様にモノクロだが、より絵画的で奥行きのある印象。撮影監督は前作と異なり、ヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」や、サリー・ポッターの「タンゴ・レッスン」を撮ったロビー・ミューラーが務めている。
ナイト・オン・ザ・プラネット(1991年)
北米や欧州など5つの街での、5つのエピソードからなるオムニバス作品。その全てが、夜間でのタクシーの運転手と乗車客の会話を中心に成立している。
そして、どの物語もジム・ジャームッシュ特有の、”何気ない日常をシニカルに切り取った”ようなシチュエーションに、”さりげない荒唐無稽さ”をしのばせていて、なんだか可笑しい。
Night on Earth - Trailer - Jim Jarmusch
とはいえこの映画、ガチなコメディでもない。一話から四話までは少しずつ”笑い”のトーンを上げていきつつも、ラストの五話では。。 なんかエンディングにかかる曲が、妙に胸に沁みる心境に。
5つの中での個人的なお気に入りは、三話目”パリ編”。盲目の女性客を演じるベアトリス・ダルの強烈な演技と胸元(笑)が印象的。あい対するのは、コートジボワール出身の若くて少々意固地なタクシー運転手。彼が一目置いてしまうほどの、独特な魅力を放つキャラをダルが演じきっている。
そして、このエピソードのオチは、なんだかビートたけしの「座頭市」のラストを連想させるような、ちょっと粋な締め括りとなっているのだ。
ゴジラ今昔物語。
ゴジラ(1954年)
これは”怪獣映画”の体をなした、極めてリアルな社会派ドラマだ。核開発など”力の論理による秩序形成”に対し、強い警鐘を鳴らす。
「暴力による問題解決」に向けられた老教授の”憤り”。
ゴジラの容赦なき破壊行為に対する民衆の”怒り”。
純粋な研究活動のすえ、
恐ろしい技術を生み出してしまった青年科学者の”苦悩”。。
本作は、突如現れた”怪物の脅威”をめぐる人間模様を描き出した群像劇でもある。
そして、その”脅威”は繰り返される水爆実験が引き金となっている。東京を襲う惨状は、あたかも広島・長崎に投下された”原爆”や”東京大空襲”を彷彿とさせ、当時の(日本の)観客にはトラウマ級の恐怖をもたらしたのではないだろうか。
さらには日本人として、胸を締め付けられるような人々の行動に言葉を失う。
業務に殉じていくTVレポーターの最期、
燃えさかるビルの足元で幼な子を抱きしめうずくまる母親のつぶやき、
青年科学者が最後に選んだ悲痛な決断、、、
終戦からわずか9年後に完成した本作。そこでは、現在の我々とは異なる当時の日本人の”死生観”を垣間見ることができる。
シン・ゴジラ(2016年)
突然現れた”絶望的脅威”をめぐる人々の”群像劇”という意味では、初代「ゴジラ」の”骨組み”を踏襲した映画。初代~は、科学者を含む”市民目線”でのストーリー展開だったのに対し、今作では”政府・官僚”目線に。
”二大震災”と二次災害としての”原発事故”を経験したわれわれ現代の日本人にとっては、”危機管理”を軸とした物語としてリアルに映る仕組みとなっている。
今回のゴジラはいくつかの”変態”(変質者という意味ではない 笑。昆虫とか両生類によくあるやつ)を遂げる”完全生物”という設定も個性的で面白い。どこか「エイリアン」を連想させて、洋画派のSF映画ファンも喜ばせる仕掛けとも言えるのでは。
主要登場人物のキャラ設定もなかなか。
主人公の”内閣官房副長官”演じる長谷川博己も今作ではどハマり。正義漢でありながら、官僚独特の”なにか底知れぬもの”を持っていそうな人物像を見事に演じきっている。
その他、(”群像劇”だけに)セリフを発する登場人物だけでもかなりの多さだが、キャスティングとキャラ設定がどれもピシッとハマっていて素晴らしい。
ただ、キャスティング面で唯一弱点があるとするならば、”米国大統領特使”役の石原さとみ、だろうか(笑)。個人的には、日本語話せるハリウッド女優起用すればいいのに~とか思ってしまった。
とはいえ、ゴジラ・ファンの大半はミドルエイジ以降の男性。”可愛いから許す”というファン心理までをも計算に入れているのだとしたら、庵野&樋口コンビは侮れない(笑)。