美の悪魔に魅入られた世界/映画『ネオン・デーモン』レビュー ※半ネタバレ注意
映画レビュー「ネオン・デーモン」酔いどれシネマ☆JACK#1
『ネオン・デーモン』(2016年)
監督/ 原案/脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン
共同脚本:メアリー・ローズ
ポリー・ステンハム
製作国 :フランス・アメリカ・デンマーク合作
配給 :ギャガ
【あらすじ】
トップモデルを夢見て故郷の田舎町からロサンゼルスに上京してきた16歳のジェシー。人を惹きつける天性の魅力を持つ彼女は、すぐに一流デザイナーや有名カメラマンの目に留まり、順調なキャリアを歩みはじめる。ライバルたちは嫉妬心から彼女を引きずりおろそうとするが、ジェシーもまた自身の中に眠っていた異常なまでの野心に目覚めていく。
(映画.comより抜粋)
【みどころ・感想】
劇場に足を運ぶ前から始まる映画
この映画で先ずショッキングなのは上掲の宣伝写真。喉を切られたのか、血を流しながら力なくソファにもたれる美少女の姿が、劇場に入る前から私たちを強い不穏感で包み込むんでくる。
一体、この少女は主人公なのか、それとも「イット・フォローズ」のようにオープニングに登場する不運な第一犠牲者の屍なのか。。
この映画に何の前知識もないまま、この画像を目にした私はそんなことを考えた。
その疑問は、映画の冒頭であっけなく解消される。ああ、そうだったのね、と。
ところがその安堵感を、この映画は次第に掻き消していくような展開を見せていく。
希薄なストーリー性
(あくまで個人的な感想だが、、)
全般的に物語性の薄い映画だ。
とはいえ、前衛的なわけでも難解なわけでもない。明確なストーリーはあるが、いたってシンプル。筋書き自体に特に深みがあるわけでもなく、複雑な構成を成しているわけでもない。
主人公含め登場人物の背景についても、多くは語られず。しかも、そこに観客の想像や妄想を喚起する仕掛けが施されているわけでもない。
結果的に、主人公はじめ各登場人物への感情移入が今ひとつできない。ゆえに鑑賞直後は、”あまり好きなタイプの映画じゃないな”と感じた。
きらびやかな色彩と映像の質感
ところが映画館を後にして何日か経っても、本作の印象が頭にこびりついて離れない。
赤と青をベースにしたネオン調の色彩とゴールドメタリックな煌びやかさ、下着姿の美しいモデルたちの佇まい、少々グロくてショッキングな描写、さらには、そこに絡まってくるエレクトロニカ系のサウンド 。。
きっと、これら感覚的な要素に”視覚”と”聴覚”をガンガンと刺激された余韻があまりにも強く残っているからなのだろう。
そんな感覚に訴えかけてくるような映画全体の佇まいは、かのイタリアンホラーの重鎮”ダリオ・アルジェント”の代表作『サスペリア』を想起させる。
終盤で、包丁を掲げた主人公の少女が立ち尽くすシーンはその最たるもの。
極めて数奇な運命を辿る主人公の少女”ジェシー”。実は、彼女の行く末を予見するかのようなシーン(セリフのやり取り)が序盤で見られる。パーティ会場のパウダールームで、主人公が先輩モデルたちから受ける質問内容に、それは込められている。食欲と性欲にまつわる問いかけに。
そして次第にジェシーは、自らの中で目醒めた内なる狂気(=悪魔=デーモン)に巻き取られていく。それは、悪魔と悪魔による壮絶な”潰し合い”と”同化”の発端と言えるのかもしれない。
【出演者】
透き通った美しさに満ちた主人公ジェシー。演ずるは、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」で主人公トランボの愛娘の役を務めたエル・ファニング。映画の序盤では無垢な美しさを醸しつつ、終盤に近づくほど”妖艶さ”や”怪しさ”を帯びてくる難しい役柄を見事に演じきっている。
ジェナ・マローン(ルビー)
田舎町から出て来たばかりの主人公ジェシーをファッション業界において導く”水先案内人”を務めるのが、ジェナ・マローン演じるルビーだ。実は、彼女が本作において果たす役割は非常に大きい。でもそれを説明してしまうとモロにネタバレとなってしまうので、ここでは書かない(笑)。
アビー・リー・カーショウ(サラ)
オーストラリア出身。「マッドマックス 怒りのデスロード」では、敵役”イモータン・ジョー”の妻たる”美女軍団”の一人を演じた。
本作では、ジェシーの先輩モデル”サラ”役を務める。このサラの「モデル業や美しさ」に対する突出した執念が、本作における重要な軸を形成している。
【まとめ】
総じて本作は、物語性よりも視覚や聴覚に訴えかける刺激がイニシアティブを持っている映画と言える。そういう意味では、昨年鑑賞した「イレブン・ミニッツ」(イエジー・スコリモフスキ監督)との共通点も多い。
ただ同作と異なるのは、”それらの刺激”が決して物語から独立しているわけではない点だ。この”刺激”こそが、極めてシンプルなストーリー設定とキャラクター設定に独特の”奥行き”をつける役割を果たしている。
そして、その作風は一体どのような結果をうみだすのか?
それは時間が経過するにつれ、もう一度(あるいは何回も)この映画を”観たい”という”欲求”が生み出されることではないだろうか。
現代の商業映画の世界おいて、ロードショーが終わった後にリリースされるDVDの売れ行きは、ビジネスとしての成否をジャッジする上で重要な指標となる。よって、上記のように繰り返し観たく”させる”ような作風は、”マーケティング戦略の一貫”として捉えられるべきものと考えるのだ。
意外とレフン監督って、意図的にマーケティング手法を導入して自らの作品を制作しているようなフシがある。つまりはクレバーなのだ(、きっと)。その趣向は、本作のタイトルバックに出てくる「NWR」のロゴにも表れているような気がしてならない。
きっとレフン監督は自分の生み出した作品群を、(あたかも服飾や宝飾品のように)ブランディングしようと目論んでいるに違いない。