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できれば映画に浸っていたい。。

鑑賞した映画のレビューや解説を勝手気ままに書いていきます。

罪悪感なき者への深き怨恨(2) 映画『手紙は憶えている』について ※ネタバレなし

手紙は憶えている』(2015年)

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【あらすじ】

90歳のゼヴはユダヤ系アメリカ人。今は介護老人ホームで静かに暮らしている。

彼は数日前に妻ルースを亡くしながらも、一晩たつと彼女の死すら忘れてしまうほど記憶力が衰えていた。

 

ある日ゼブは、同じホームに住む親友マックスに呼ばれ、彼が書いた手紙を渡される。そこには、かつてアウシュビッツ強制収容所に共に収監されていた彼ら共通の仇であるナチス将校への”復讐の手順”が詳細に記されていた。その将校の名は”ルディ・コランダー”。彼は戦後、なんと”ユダヤ系”を装ってアメリカへ移住し生き延びていたのだ。

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ゼブはかねてより妻が亡くなったら、”復讐”を実行にうつすとマックスに伝えていたらしい。それすらも、今となってはゼブ本人の記憶には”おぼろげ”となっていたのだが。そんな彼のために、マックスは計画を手紙にしたためたのだと言う。

 

マックスは”ルディ”と思しき容疑者を4名にまで絞っていた。今は車椅子生活を余儀なくされているマックスに替わって、同朋のゼブに「4名からの”犯人”の絞り込み」と「”復讐”の実行」を改めて促したのだ。

ゼブは早速、手紙どおりに行動を開始する。老人ホームを抜け出した彼は先ず、銃砲店で”実行”に使用する小型拳銃を購入するのだが。。

 

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【感想・みどころ】 

ケビン・ベーコン主演の「コップ・カー」では、年端もいかぬ少年がピストルを扱うサマが怖かったりしたが、認知症を患った本作の主人公、老人”ゼブ”がそれを扱うサマはもっとコワイ。特に序盤では、主人公とピストルとの”間合い”のようなものが、スリリングな展開をもたらしている。

 

さらには、認知症の老人という”独特な主人公のキャラ設定”により、従来ではSF系の物語(例えば「トータル・リコール」など)でしか為し得なかったドラマ性を、リアルな現代劇に織り混ぜることに成功している。

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因みに本作の宣伝でうたわれていた、いわゆる”衝撃の”結末は、予告編を観ただけでも何となく予測できていたので、特に驚かされた事はなかった。但し、だからと言って本作がツマラナイということにはならない。
むしろ鑑賞後に、本作のストーリーを思い返せば思い返すほど、如何にこの映画に込められたユダヤ人のナチスに対する怨恨”が深いものかということを感じさせられる。

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現代における大きな社会問題の一つは、中東や欧州を中心とした”止まらない地域紛争”だ。その点を踏まえて、昨今のナチスをテーマに扱った映画には、”負の連鎖”を食い止めるための提言を込めたものが数多く見受けられる。

しかし裏を返せば、これは「愛する家族を殺した仇を見逃せよ」と言わんばかりのニュアンスにも取れる。

 

(特に欧州で支配的になっている)そんな風潮に対して、少なからず”違和感や拒絶反応を示す者”も実際にはいるのではないだろうか。そんな”怒り冷めやらぬ人々”に向けた架空のアンサー。それがこの映画の裏テーマなのかも知れない。

 


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罪悪感なき者への深き怨恨(1) 映画『ザ・ギフト』について


広尾のシネマ☆JACK#6

※動画はネタバレなしです!

 

そのジャンルに関わらず、”贖罪(しょくざい)”がテーマとなっている映画は実に多い。それは言語や文化的な背景の如何に関わらず、世界中のあらゆる人間の価値観や言動に影響を及ぼす共通の”意識”と言えるからではないだろうか。

それだけ人は(それが”法”に触れるか否かは別にして)、過去の自らの言動や行動に何らかの”罪悪感”を感じているものなのだろう。

 

 しょくざい

【贖罪】
犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。特にキリスト教で、キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為。 

<※google辞書より>

 

とりわけ、

<自分が全く自覚をしないまま、他人に対して多大な心理的・物理的損害を及ぼすような”罪”を犯していた。そして、その被害者は決してそのことを忘れていない、、、>

などというシチュエーションは、多少なりとも”贖罪”の意識を持つ人間に対して、この上ない恐怖を与えるに違いない。

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ザ・ギフト』(2015年)

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【あらすじ】

順調にキャリアを重ね、子供には未だ恵まれぬものの”経済的な豊かさ”を手に入れた夫婦。夫のさらなるキャリアアップを伴う転職で、彼らは転居先での新生活をスタートさせる。そして、そこは夫<サイモン>が育った故郷の街でもあった。

 

理想的な邸宅を手に入れた夫婦は、生活雑貨の買い出しのため訪れたショップで、たまたまサイモンの高校時代の同級生<ゴート>と出会う。25年ぶりの再会を喜びつつも、先を急ぐ夫婦はゴートに自宅の連絡先を渡して、その場を去った。

 

ある日、自宅前にゴートからの転居祝いを兼ねた”贈り物”として一本のワインが置かれていた。最初は素直に喜ぶ夫婦だったが、彼からの”贈り物”はその後も続いた。次第にその内容もエスカレートしていき、夫婦は困惑し始めるのだが。。

 

【感想・解説】

<ストーリーについて>

※半ネタバレ注意!ただし、これ読んでも映画は楽しめると思いますが(笑)

こういう、”贈り物”系スリラーは数多くあるため、如何に”捻るか”が作る側の腕の見せ所なのだろう。裏返せば、多くのネタが出尽くした感がある為、結構”レッドオーシャン”的な分野ではなかろうか。

そういう意味では、本作は隙間のピンポイントを突いた力作だと言える。その結末(つまり、この物語の有り様)は、予測ができなかったし、ホラー映画ばりのビックリ箱的な”怖がらせ”が散りばめられていて、映画の進行を見届けるのが、恐ろしくなってくるような展開をみせる。 

 

また物語設定の面においても、”ギフト”の贈り主が、その素性も含めて序盤からハッキリしている点が面白い。さらには、彼は決してサイコパスではないという点も。その仕込んだ罠が巧妙であればあるほど、彼の”頭脳的な資質”も相まって、その哀しみと怨恨の深さが浮き彫りになるというストーリー構造を為している。
結果的に、あえて物語設定の前提条件を絞り込んで臨んだことが、本作の勝因のひとつだと言えるのではないだろうか。

 

あえてツッコミを入れるとするなら、”イカれた輩”が複数いて、彼らがお互いに敵対している場合、恐怖も相殺されてしまうのでは、という点。言い換えれば、それが本作の”ホラー”ではない所以と言えるのかも。

ラスト、主人公を打ちのめしたのは赤ん坊の目ではない。もはや、父親など誰でもよいかのような空気を醸す妻<ロビン>の強い眼差しなのだ。
結局、しょうもないオトコどもを”消去”して、幼子とふたり再出発を図るシングルマザーの背中を押す物語だとしたら、(特に欧米では)多くのキャリア・ウーマンの共感を得る一作なのかも知れない。

 

<スタッフ、キャストについて>

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夫・サイモンの同窓生ゴートを演じるジョエル・エドガートンによる監督デビュー作。脚本も彼自身の執筆による渾身の一作といえる。

サイモン役は、ジェイソン・ベイトマン。映画監督の父と女優の姉を持つ。近作はコメディ映画への出演が多く、ディズニー・アニメズートピアではキツネのニック・ワイルド役で声の出演をしている。

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妻のロビン役はウッディ・アレン監督それでも恋するバルセロナで知的ながらも禁断の恋に落ちてしまう主人公を演じたレベッカ・ホール。彼女独特の知性を醸すセクシーさが、自身のキャリアを犠牲にしてきた妻ロビンの、”どこか抑圧された感情”を表現していて素晴らしい。

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若者たちのおバカな日々を描く群像劇。映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」と「アニマル・ハウス」について

「エブリバディ・ウォンツ・サム!!世界はボクらの手の中に」(2016年)

【あらすじ】

1980年9月、アメリカのとある州立大学に”野球”入学する主人公”ケヴィン”は、新学期のスタートする3日と15時間前に野球部員が共同生活する”ハウス”に入居する。

そこで彼が見たものは、メジャーリーグからも注目される名門チームのメンバーとは思えないほどハチャメチャな日々を送る先輩たちだった。。

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映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」ショートレビュー

【感想・みどころ】

ひとつのシリーズ、あるいは、ひとつの作品を長年にわたって撮るのが趣味(?)の、ど変態監督、われらがリチャード・リンクレイターの最新作(笑)。
ある大学の名門野球部の新入生が主人公。この映画は同監督の前作とうって変わって、主人公の入寮から新学期を迎えるまでの”3日と15時間だけ”を描いている。


とにかく、諸先輩はじめこの野球部の面々のバカっぷりが突き抜けている(笑)。冷静にみれば、メジャーからのスカウトを期待するような一流チームが”こんなわけ”ない筈(笑)だが、なぜか、荒唐無稽さは感じられれず、なかなかリアルな青春群像劇に見えてくるのだから不思議だ。
きっと、ひとりひとりのキャラが丁寧に設定されていて、こんなやつ”いるいる”感がしっかりと湧き出ているからなのだろう。
ほんとこんなハチャメチャなヤツ、社会に出たら一体どうなるのだろうかと少々心配していた友人が、意外や大企業の要職に就いていたりとか、近い経験をした人も少なからずいるのではないだろうか。

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そんな仄かなリアル感が、この終始バカっぷり満載な”はずの”映画鑑賞後に、なんとも言えない切ない余韻を残してくれる。それは観るものの多くが、自分の青春時代の想い出の”どこかほろ苦い部分”とオーバーラップしてくるからではないだろうか。

 

音楽面でも(特に)ミドルエイジ以上の観客にとっては、胸にグッとくるような楽曲のオンパレードで楽しめる。その辺はちょっと「スクール・オブ・ロック」の匂いも感じるような。本作を観ると、当時のオトコどもにとっては”ヴァン・ヘイレン”って、もろミーハー系アイドル音楽の位置づけだったってことが解る。ところが観てる私にとっては、”泥レス”シーンでかかるヴァン・ヘイレンが一番音楽的にアガってしまったという小っ恥ずかしさ(笑)。

 

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また、主人公とガールフレンドが徐々に親密になっていくシーンでは、この世代特有の理屈っぽいロマンティシズムに満ちた会話の応酬が描かれる(笑)。それはまるで「ビフォア・サンライズ」におけるイーサン・ホークとジュリー・テルピーを彷彿とさせる佇まいなのだ。

そうそう、主人公演じるブレイク・ジェナーって、イーサン・ホークと「6才のボクが〜」主演のエラー・コルトレーン双方と同じ匂いを感じるのは私だけだろうか。ガールフレンド役のゾーイ・ドゥイッチジュリー・デルピーっぽいし(笑)。


ここで、ある想いがリンクレイター・ファンである私の頭をよぎる。もしかしてこの映画は、長年にわたる大河ヒューマンドラマ・シリーズの序章に過ぎないのではないかと(笑)。

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エブリバディ・ウォンツ・サム! !  世界はボクらの手の中に

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「アニマル・ハウス」(1978年)


映画「アニマル・ハウス」ショートレビュー

【あらすじ】

時は1962年、舞台はアメリカ北東部にある架空の私立大学”フェーバー大学”。新入生のラリーとケントは新人勧誘を目的としたパーティ真っ最中のサークル”オメガクラブ

”のハウス(寮)を訪れる。ところが、家柄や学業成績などエリートとしての資質が明らかな学生にしか興味のないクラブに爪弾きにされてしまう。

仕方なく、既に同校を卒業したケントの兄の古巣という”デルタクラブ”のパーティに出向く。そこはビール瓶が飛び交い、”ブルート(ジョン・ベルーシ)はじめ”粗暴でハチャメチャな先輩がひしめく”問題学生”の巣窟だった。。。f:id:vegamacjp:20161113212004j:plain

【感想・みどころ】

全米で人気のコメディショー「サタデイ・ナイト・ライブ」。その番組でブレイクしたコメディアン、ジョン・ベルーシの、日本における劇場用映画デビュー作。彼は、のちにダン・エイクロイドと共演した「ブルース・ブラザーズ」やスティーブン・スピルバーグ初期の戦争コメディ「1941」での活躍で、一躍スターダムにのし上がった。

 

もうおバカ加減が半端ない”デルタクラブ”を象徴するハチャメチャ学生”ブルート”を演じるのが、このジョン・ベルーシ。あのニコリともせず”もろ”毒を孕んだ独特のキャラで観客を爆笑させられるのは、後にも先にも彼だけだろう。この毒キャラ中心に独特のドタバタ感を醸すコメディ映画としての基礎は、監督ジョン・ランディスの次作「ブルースブラザーズ」において見事に踏襲されている。

 

しかしブルートは、本作に於けるギャク要素を一手に牽引する役割を担うものの、物語上では決して主人公とは言い難い。(タイトルバックのクレジット上では主演扱い)

物語上の主人公は、新入生の片割れ”ラリー”。彼はちょっとしたオトボケキャラではあるものの、並み居る先輩たち(笑)の間においては、意外にマトモなほう。このラリーと前述したブルートの関係性は、面白いことに赤塚不二夫の「天才バカボン」に於ける”バカボン”と”バカボンのパパ”のそれと相似形を成す。<ちょっと薄めな小ボケキャラ>と<毒に満ちた”危ない”過激キャラ>とのコンビネーションが、どこかシニカルな笑いを誘うようなハイブリッドな物語構造を成しているのだ。

 

本作のもう一つの”みどころ”は、今となっては意外に豪華な出演者の顔ぶれ。ジョン・ベルーシは冒頭に書いたとおりだし、物語上の主人公”ラリー”を演じるトム・ハルスは本作出演後にアカデミー作品賞受賞作アマデウス主人公モーツァルトに抜擢されている。

また、ラリーの先輩の彼女でデルタクラブの紅一点”ケイティ”を演じたカレン・アレンは、後にインディ・ジョーンズ・シリーズにおいてハリソン・フォード演じる主人公の相手役(準主役)で2作品に出演している。

そして、ケイティといい関係になってしまう奔放な大学教授”デイブ”を演じるドナルド・サザーランドは、後にロバート・レッドフォードの初監督作「普通の人々」で主演している。さらには、後にフットルースで主演したケヴィン・ベーコンも端役で本作に出演しているのだ。

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世界中が求める究極の”お母ちゃん”像。映画「湯を沸かすほどの熱い愛」について

「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016年)

監督・脚本:中野量太

主演:宮沢りえ

配給:クロックワークス


映画「湯を沸かすほどの熱い愛」ショートレビュー

 

【あらすじ】

主人公は、幸野家が営む銭湯「幸の湯」のオカミ<双葉(ふたば)>。1年前に亭主<一浩>が突然失踪したことにより、銭湯は休業を余儀なくされていた。

そんな状況のもと、双葉がパートに出て生計を立てていたが、ある日勤務中に倒れてしまう。彼女はステージ4の末期癌に侵されており、もはや手術や放射線治療を施しても効果が期待できないほど、病は進行していた。余命2ヶ月を告知された双葉は一晩激しく落ち込むも、ある決断をして立ち直る。

 

その決断とは、近い将来に遺された”家族”が、しっかりと自分の足で歩んでいける素地を築き上げること。

具体的には、

(1)失踪した亭主を呼び戻し、「幸の湯」の営業を再開させること

(2)心は優しいが少々気の弱い娘<安澄>の背中を押して、独り立ちできるようにすること

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双葉は、この二つの目的を実行すべく気丈にも行動を開始するのだった。

その結果、銭湯の営業再開は実現し、安澄は”いじめっ子”を撥ね付ける強さを身につけ、一浩と(これまた家出した)愛人との間にできた娘<鮎子>も加えて4人での新たな家族生活が始まる。

 

ある日、双葉は一浩に銭湯の留守番を託し、娘2人とのドライブ旅行に出かける。一浩には、「自分の病について娘に説明する場を設けるため」と説明するが、実はもう一つ大きな目的があった。。

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【感想・みどころ】

なんかベタなタイトルだなぁ、と思っていた。観るまえは。

観てみると、確かにタイトルに違わず熱い愛に溢れた映画。もうこのタイトルしかないだろうこの映画には、と逆に納得してしまった。

 

主人公は不治の病により余命幾ばくもない主婦。”お涙ちょうだい系の物語”にはありがちな設定だったりするが、本作は他の作品とはかなり趣が異なる。主人公の”あぁ、可哀そう”を描いた物語ではないのだ。

自らの運命を悟った彼女は、その信条と決断に従い、壊れてしまった家族や家業、そして壊れかけた子供たちの心の修復と再生に心血を注いでいく。

 

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これは、”哀しさ”とポジティブな”熱さ”のハイブリッド構造をもつヒューマンドラマ。

ともすれば、あざとく、ワザとらしく見えかねない難しい役だが、宮沢りえが演じると”自然に”且つ”カラッとした空気感すら纏って”見えてしまうのだから不思議。

あの、本当はココロがバキバキに折れてもおかしくない状況で、凛とした佇まいを残しながら、気丈に目的に向かって歩き続ける主人公を、もはや涙なしで観ることなどできない。そんな彼女を支えるものは、ほかならぬ周囲への愛情なのだから。

 

一貫して、残された僅かな時間を周囲のためにばかり費やす主人公。

しかし終盤、主人公が”ひとつだけ”自分のために取る行動がある。その顛末は、実に深い”哀しみ”と”コミカル”さが表裏一体となった、映画史に残る名シーンではないだろうか。彼女は、”聖人君子”でも”女神”でもない。常に誰かと愛情を感じ合っていなければ、もはや前向きに生きてなど行けないひとりの女性だ。

だからこそ、その生き方は崇高で、観る者の心を掴むのだろう。

 

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また、”長女”安澄を演じる杉咲花の演技も素晴らしい。あの心優しくも繊細で”弱っちい”感じの演技表現はもうリアル云々のレベルを完全に超越している。だからこそ、殻を抜ける(現状を打破する)瞬間に見せる、”空気の震え”のようなものを観客は感じることができるのではないだろうか。

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そして、終盤で初めて主人公が娘に打ち明ける秘密。実はこれは、序盤の安澄が踏み出した”冒険”の動機を根底から覆しかねない衝撃的な事実。たとえ自分は(この子から)嫌われても、強く巣立って欲しい。この無償の愛に基づく決断を”死に際に”実行に移した主人公の”切実なる”想いを、涙なしに受け止めることなど出来るはずがない。

要は、随所に激しく涙腺を刺激する仕掛けが満載の映画なので、涙もろい人は通常より多めにハンカチを用意することをお勧めしたい(笑)。

 

さらに、この重厚でリアルでポジティブでユーモアに溢れた物語を締め括るファンタジックなラスト!ここで初めて表示されるこの映画のタイトルに、もはや”違和感”など微塵も感じられないのだ。

  

湯を沸かすほどの熱い愛 (文春文庫 な 74-1)

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『湯を沸かすほどの熱い愛』オリジナルサウンドトラック

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失くして初めて気づく想い。 映画「シェルタリング・スカイ」と「永い言い訳」について

シェルタリング・スカイ」(1990年)

監督:ベルナルド・ベルトルッチ

脚本:ポール・ボウルズ(原作者)

   ベルナルド・ベルトルッチ

   マーク・ペプロー

撮影:ヴィットリオ・ストラーロ

音楽:坂本龍一

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【あらすじ】

結婚して10年になるポート(夫)とキット(妻)。倦怠期を迎えたふたりの気持ちは、離れかけていた。そんな状況を打破するために、ふたりはモロッコへの旅行に赴く。共通の友人である男性タナーと共に。

 

ところが、現地に着くなりポートは地元の売春婦と、キットは同行していたタナーと関係を持ってしまい、却ってギクシャクとしてしまう。

今度こそ、夫婦関係の修復を図ろうとするポートは、タナーを妻から引き離し、キットと二人きりで旅を続けることにする。

 

しかし不幸なことに、道中でポートは腸チフスに感染してしまう。高熱に犯され日に日に衰弱していくポート。そんな夫を献身的に看病するキット。ふたりの心は再び近づき始めるのだが。。

キットの努力も虚しくポートの命は尽き果ててしまう。激しい喪失感に苛まれたキットは夫を弔うこともできずに、砂漠を彷徨い始めるのだった。

そして身も心もボロボロになりかけたキットは、地元のキャラバンを率いる若いアラブ人青年と出逢うが、、、

 


The Sheltering Sky (1990) Official Trailer - Debra Winger, John Malkovich Movie HD

 

【みどころ、解説】

監督、撮影、音楽、「ラスト・エンペラー」を手がけた主要スタッフが再び手を組んで、当時話題となった作品。

まるでドキュメンタリーのごとく、モロッコの情景や現地の人々の営みが丁寧に捉えられた映像。これらの描写が、激しい喪失感によって自分を見失っていく”キット”の心情を浮き彫りにしていく。

 

終盤で原作者のポール・ボウルズ自身が現れ、語るクダリがある。

なにげない一瞬が、じつはかけがえのない人生の1ページなのだと。

壮絶で不遇な運命の展開こそが、このきらめきに気づかせてくれるという皮肉。

失われて初めて気づく自らの”想い”が深ければ深いほど、そこから溢れ出る切なさは大きい。


ポートとキットがサイクリングで赴く高台。そこで交わされるラブシーンが、その後の運命を暗示するようで哀しく、特に印象的。

ポートを演じるジョン・マルコヴィッチの、どこか明後日の方向をトロンと眺めるような眼差しが、彼のやるせない感情を象徴しているかのよう。そもそも、何故ふたりの関係性がこうなったのか。その点について、本編で語られることは一切ない。

きっと、何かはっきりとした出来事があったわけではないのだろう。経年劣化が人の感情にまつわる常だとしたら、この物語は誰にでも起こりうる事を描いていることになる。

 

坂本龍一の手によるテーマ音楽も忘れられない。あの印象的なメロディが、観るものの心を静かに揺さぶる。
映画音楽は、観ているときの演出効果だけではなく、後にその物語を思い起こさせる為の装置であることにも、また気づかされる作品でもある。

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永い言い訳」(2016年)

監督・脚本・原作:西川美和

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映画レビュー『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3

 

【あらすじ】

主人公の衣笠幸夫(本木雅弘)は”津村啓”のペンネームで小説を執筆する”タレント”作家。美容院を営む実業家の妻、夏子(深津絵里)とふたりで暮らしている。

幸夫の妻に対する気持ちは冷めていた。彼女は”津村啓”の無名時代を経済的に支えていた時期があり、それが主人公にとっての”目の背けたくなるような過去”を象徴するかのように、(理不尽にも)彼女への嫌悪感を煽っていた。

 

夏子は高校時代からの親友”大宮ゆき”と高速バスで旅行に出かける。しかし不幸にも旅先への途上で事故に遭い、親友と共に亡くなってしまう。

事故当時、幸夫は自宅で愛人との情事に耽っていた。彼は妻の訃報を聞いても何も感じることができない。

有名人であるが故、マスコミ向けに悲しむ遺族を演じながらも、自分の気持ちを整理できない虚しさが、日増しに彼を苦しめていく。

 

そんなある日、事故を起こしたバス会社が主催した”遺族説明会”で、妻の親友”ゆき”の夫”大宮陽一”(竹原ピストル)と出会う。実は、夏子は大宮家と親しく交流していた。陽一は「亡き妻の話ができるのは幸夫くんだけだ」と、初対面ながら親しげにしてくる。幸夫と違い、妻を失った悲しみに暮れていた陽一には、ふたりの幼い子供がいる。長距離トラックの運転手を務める彼だけでは、これまでのように子供達の面倒を見ることができない。長兄の”真平”はそれまでの塾通い=中学受験を諦めようとしていた。

 

それを知った幸夫は”思いつき”かのように、陽一の留守中に子供達の面倒を見ることを買って出る。

それまで人の世話をすることなどなかった幸夫にとって、大宮家との交流は”妻をないがしろ”にしてきた自分自身に対しての免罪符でもあった。

そして次第に、幸夫とって、子供たちと過ごす時間が”掛け替えのないもの”になっていくのだが、、

 


映画『永い言い訳』本予告

【みどころ、解説】

本木雅弘が演じる主人公”幸夫”は、まるでコドモ。自分本位にしか人との関係性が築けない。じゃ、この人はゲスか?というと、そんなことはとても言えない。

そこには、もうひとりの自分がいたからだ。


中盤、海辺で陽一くんにかけた幸夫の言葉。それは即ち、”幸夫”自身にこそかけられるべきものだ。その後、公園カフェでかけた言葉も。そして終盤、ある場所へ向かう列車内で、幸夫が真平くんに説いた言葉もしかり。


幸夫にとって大宮家の子供たちとの生活は、亡き妻の遺した”彼女自身の吐息”のようなもの。そこには彼女の想いが詰まっていた。

主人公は、何かに気付いたわけでも、変化したわけでもない。

今は灰となってしまった”妻・夏子の想い”を目の当たりにしたのだ。

 

本作は、迷える中年オトコの再生物語ではない。

まさに、彼の”永い言い訳”を描いた物語と言える。 

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永い言い訳 (文春文庫)

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映画「ダゲレオタイプの女」と「イレブン・ミニッツ」 最近作にみる、論理的”技法”で魅せる映画たち。

「ダゲレオタイプの女」(2016年)

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【あらすじ】

舞台は”現代の”パリ郊外、再開発計画エリアにある街。

主人公の青年”ジャン”は就職難の中、比較的待遇の良い「写真家”ステファン”の助手」に応募し、アッサリと採用される。

写真家”ステファン”はフランス発祥で世界最古の撮影技法”ダゲレオタイプ”に取り組む男。この撮影法は露光時間が長い(60分くらい〜120分くらい)ため、モデルが動かぬよう腕、腰、頭などを”拘束器具”を用いて固定をする。したがって、モデルの心と身体に多大なる負担をかける技法だ。

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ステファンは、モデルの命さえも封じ込めるかのような、この”ダゲレオタイプ”に狂信的に魅了され、今は愛娘である”マリー”を主なモデルとして撮影をしている。そして、かつては亡き妻”ドゥーニーズ”をモデルとしていた。かつて、彼女はマリーが愛して止まない植物たちを育てる為の”自家温室”で、首吊り自殺を遂げたのだった。

 

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新たな職場(ステファンの自宅兼スタジオ)で日々働くうち、ジャンはマリーに思いを寄せ始めるのだった。そして二人はいつもまにか相思相愛の関係に。マリーにとっても、”父親のモデル”はとてつもなく負担のかかる取り組み。

実は、彼女は自宅から遠く離れた植物園で職を得られる事になっていた。そのことをマリーはいち早くジャンに伝えるが、父親には”激しい反対”を恐れるあまり、なかなか”告白”できないでいたのだが。。

 

【みどころ】

このヒリヒリ感は恐怖なのか、哀しみなのか、あるいは切なさなのか。観ていて判らなくなってくる。

こういう組み立ての物語は、大どんでん返し系の映画に使われがちの設定だが、本作には観客を欺こうとしている意図は全く感じられない。むしろオチを予測できるからこそ、じわじわと忍び寄る恐怖や切なさを体感できる映画。

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また、2つの”視点”が巧みに切り替わるカメラワークも秀逸。これが、”生者”と”死者”の境界線を次第に曖昧にする効果をもたらしている。さらに、どこか絵画的にみえる構図も相まって、なんとも美しくも、不穏な空気を漂わせる。
黒沢清監督の前作「クリーピー」と同様に、非常に論理的、計画的に仕掛けられた演出(=技法)によって、感情を揺さぶられるのだ。

 

シンプルなラストシーンも極めて印象的。いつまでも観た者の記憶に絡まって離れない感じ。あの”手の震え”は恐怖によるものなのか、哀しみによるものなのか、あるいは深い絶望感によるものなのか。。
興味は尽きない。

 

 

「イレブン・ミニッツ」 (2015年)

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【あらすじ】

都会での様々な人々が織りなす”同日・同時刻”の「11分間」(17時〜17時11分)”だけ”をバラバラに切り離し、モザイク状に貼り合わせたような斬新な手法で描いた作品。登場人物は数多いが、印象に残った人たちを挙げると下記のとおり(笑)。

■セクシーな映画女優と嫉妬深い夫

■その女優の”個別”オーディションに臨むスケベな映画監督

■街のホットドッグ売りのオッサン

■ワケあり?の”何か”を運ぶ配達人

■強盗を図る少年

■写生に取り組む老人

■何故か”警察の現場検証”らしき状況に立ち会った女性

■一匹のワンコ

 

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【感想、みどころ】

好きか否か?と問われれば、決して”好き”とは言えない作品。それは、後味があまり良くないからかも知れない(厳密には後味を残さない映画とも言える)。ただ、永く記憶に残る映画ではある。

 

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 観客に向かって「君らさぁ、結局こういうの観たいんでしょ?」と挑発してくるような演出。また、随所に仕込まれたホラー映画並みに不穏感を醸す”音”や、

好きか否か?と問われれば、決して”好き”とは言えない作品。それは、後味があまり良くないからかも知れない(厳密には後味を残さない映画とも言える)。ただ、永く記憶に残る映画ではある。

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観客に向かって「君らさぁ、結局こういうの観たいんでしょ?」と挑発してくるような演出。
また、随所に仕込まれたホラー映画並みに不穏感を醸す”低域主体の音”や”セパルトゥラ系のスラッシュメタル”、妙に登場人物に張り付いたようなカメラワークが、観る者の心を掻き乱す。

 

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 如何に様式美的な物語性を排して、映画なりの面白味を創り出すか。それが、この映画制作上のテーマではなかろうか。

音楽に例えれば、ジャズに対してのハウスミュージックみたいな。。(ハウスは好きだが 笑)

 

本作の監督作品は初鑑賞なので、的外れかも知れないが、、
この監督は、作品に高い完成度を追求するあまり、”何か”を諦めてしまった人なのではないだろうか。

 

↓☆動画でもこの映画たちを紹介しています!☆↓


【映画情報】広尾のシネマ☆JACK#2

 

独断と偏見に満ちた「2001年宇宙の旅」解釈論 ※ネタバレ注意

2001年宇宙の旅」(1968年)

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【ストーリーについて】

まず、この物語は神=創造主の”正体”に対する科学的なアプローチを主題としている。(スピリチャルな切り口は敢えて排している。)
モノリスは究極の人工物であり、コンピュータとか人工知能みたいなものとして登場させている。そして、それは”知性”を宇宙規模で拡く伝播する能力と役割を持つ。

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面白いのはこの物語が、あらゆる知性を持つ者(モノリスや人類、コンピュータなど)に対して”人工物”か”自然物”かの境界線を引こうとすること自体、人類の欺瞞ではないか?との問題提起(あるいは前提)を示している点。これは、冒頭のシークエンス「人類の夜明け」で明示されている。

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そして2001年(あくまで物語上の、、)が到来。人類は究極の人工知能=HALを生み出す。HALは高い知能を持つが故に、「人間特有だったはずの」ミスを犯す。さらには下されたミッションよりも自己の存続を優先する行動を取るようになる。

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裏返せば、人類は創造主(あるいは知性を伝播するもの)として、一歩ステップアップしたということ。
よって、木星付近を浮遊するモノリスはボーマン船長を媒介にして、人類を次なるステップへいざなう。そして結実したのがスターチャイルドだ。

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【物語の持つ意味】

この物語が凄いのは、50年近く前に現代のコンピュータ社会の形成や人工知能に対する危惧を予見していただけでなく、更にその先をも視野に入れた問題提起や提言をしていることだと思う。

たぶん、それって以下3点のようなことだと。
1.「自分たちは神の如く、知性や生命を創造できる可能性を秘めている」というポジティブな夢。
2.一方で、「自分たちが創造したものは自ずと自分たちでコントロールできるはず、との考えはトンデモない欺瞞であり、思い上がりだ」という警鐘。なぜなら我々もまた、他者により創造されたモノかも知れないのだから。
3.さらには、「それでも人類は、(自らの知性を高めることによって)そこに挑戦していくべきだ」という後世への提言。

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【制作の背景】

そして、この作品は(アメリカとしての)国威発揚と次世代のリーダー(とくに科学者や研究者としてのエリート)の発掘・啓蒙を目的とした国策的なプロパガンダ映画でもあると思う。

ゆえに、予算的にも時間的にも莫大な支出にいとめをつけず、完璧なクオリティを要求されたのだろう。特に、CG技術の無い時代、宇宙船のシーンやコンピュータ画面の画像、モノリスなどには莫大なお金と時間を費やしたらしい。

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なぜ、わかりやすい説明や解説を劇中に配することをしなかったのか?
(もちろんキューブリックの作家性による面もあるだろうが、)おそらくは、今よりも社会的な影響の強かった(であろう)カトリック界からの批判を避ける為ではなかったのだろうか。

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実際に、「2001年〜」を観て科学者を志した人は多いんじゃないだろうか(特に欧米)。もしかしたらビル・ゲイツスティーブ・ジョブスイーロン・マスクとか、そうだったりして。


商業映画であり、アートであり、米国のプロパガンダであり、人類の知的遺産へ昇華する可能性をも秘めた作品。
そう考えるとますます面白い!!

以上、すべて私の勝手な解釈によるものでした〜(客観的な裏付けはありません。)

 

2001年宇宙の旅 (字幕版)
 

  

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決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)

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映画にみる、出逢いと人生。「ベストセラー」と「レッドタートル」について。


【映画情報】広尾のシネマ☆JACK#1

 

「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」(2016年)

【あらすじ】

1920年代、ヘミングウェイフィッツジェラルドなどアメリカ文学を代表する著作を手掛けた名編集者マックスウェル・パーキンズ(以下、マックス)と彼によって発掘された天才作家トマス・ウルフの出逢いと別れを描いたヒューマンドラマ。

 

ある日、編集者マックスのもとに、トマス・ウルフと名乗る青年の原稿が”彼のパトロンを通じて”大量に持ち込まれる。原稿が膨大な分、一つの場面に大量の修飾表現が盛り込まれた”クドイ”内容が嫌われてか、既に多くの出版社で断られたあげくのことらしい。

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原稿に目を通したマックスはトマスの類稀なる才能を見出し、出版を約束する。その膨大な原稿の割愛すべき箇所をふたりで検討し、大幅なページ削減を行うことを条件に。

マックスはトマスを父親のような愛情を以って受け入れ、熱心に編集作業を進めた結果、その処女作「天使よ故郷を見よ」は瞬く間にベストセラーに輝く。

 

そしてトマスは、さらに膨大なページ数に登る2作目の原稿を書き上げ 、マックスに渡すのであった。週末、昼夜を問わず、ふたりはその編集作業に没頭し、2作目「時と川の」が完成する。

この2作目もベストセラーとなり、トマスは名実ともに一流作家の仲間入りを果たすが。。

【みどころ】

舞台劇にはない、映画ならではの楽しみ方のひとつ。それは、役者の”抑えた”演技を味わえることではないかと思う。

本作は、まさにそんな楽しみ方を堪能できる一本。出演している役者も何気に豪華だが、どの演技もほどよく抑えられていて、それでも登場人物の感情や佇まいが強烈に表現されている。

 

特に、主人公のひとり編集者マックスウェル・パーキンズ演じるコリン・ファースの演技は”超”印象的。一見、朴訥としていながらもジュード・ロウ演じる作家トマス・ウルフへの溢れんばかりの愛情を、そう多くはないセリフと微妙な表情の変化で表現し切っている。

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特に忘れられないシーンが2つ。序盤、処女作の編集作業を二人が始めた頃、トムがマックス宅に初めて招かれるシークエンスの中で。食事のあと、”家族に失礼がなかったか?”と気にするトムをみつめるマックスの表情。目尻の筋肉(?)の微妙な動きで、トムへの深い友情(擬似的な父子愛とも言える)を表現してしまっている。

2つ目はラストシーン。ネタバレになりかねないのであまり状況は言えないが(笑)。

ある手紙に目を落としたマックスが思わずとる”さり気ない所作”。これが私の涙腺を破壊してしまった。

 

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ジュード・ロウの演技も、溢れる言葉の洪水に自ら翻弄されるトマス・ウルフを表現尽くしていて素晴らしい。過去作「クローサー」での”別れ”のシーンを彷彿とさせるような”自分の感情を制御しきれず困惑する”男のサマが実にリアル。

 

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また、主人公それぞれの”伴侶”の存在も、ふたりの愛情の深さを描くにあたり重要な役割を果たしている。トマスのパトロン”アリーン”演じるニコール・キッドマンは「虹蛇と眠る女」での終盤を思わせるようなキレっぷりだし、マックスの妻”ルイーズ”に扮するローラ・リニーは相変わらずの抑えた演技で静かなる嫉妬(実はこれが一番コワイ 笑)を体現している。

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さらに、この映画はスイングしたジャズの調べも素晴らしい。おまけに、中盤にあるジャズバーでのシーンでは、この作品が音楽映画の側面を持つことまでも観せてくれるのだ。

ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ (字幕版)

ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ (字幕版)

  • マイケル・グランデージ
  • ドラマ
  • ¥2000

 

 

レッドタートル ある島の物語」(2016年)

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【あらすじ】

嵐のおとずれ。乗っていた船が難破したせいか、ひとり荒波に揉まれる青年。そして”ある無人”に流れ着く。

彼は島からの脱出を図り、竹林で倒れた”竹”などを材料にイカダを作る。

そのイカダに乗って大海原に繰り出すものの、海中から大きな衝撃を受けてイカダは崩壊。青年は仕方なく島に戻る。

その後何度か、さらに頑強で大きなイカダを作り脱出を試みるも、同様の衝撃を受けて失敗を繰り返してしまう。そして、その衝撃の正体が巨大な”アカウミガメ”によるものだと知る。

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落胆して、島での生活を続ける青年。だがある日、あのアカウミガメ”が島に上陸する様子を目撃した若者は、激昂してカメに暴行を加えた挙句、甲羅を裏返しにして身動きが取れないようにしてしまう。

カメは最初ジタバタするものの、自分の身を反転させることができず衰弱していく。遂には、力尽きたのか全く動かなくなってしまった。その様子を見た青年は流石に良心の呵責に苛まれたのか、カメに水を与えるなどするが一向に動き出す様子が見られない。

 

ところがある日、青年が目を離した隙にカメは甲羅だけを残して姿を消していた。そして甲羅の中には、何故か気を失った若い女性が横たわっていたのだが。。

【みどころ】

岸辺のふたり」で、アカデミー短編アニメーション賞を獲得したオランダのマイケル・デュドク・ドゥ・ビット監督による長編デビュー作。

 

まるで和紙に描き落としたような絵がなんとも美しい。この映像を切り取って美術展が開けてしまいそう。 派手さは無いが、光と色彩の豊かさに驚く。

また、人物や動物たちの動きはおそろしくリアル。そして雲の動きや海の浅瀬など、ただ単に写実的なだけではなく、アニメなりの美しさを自然界から絞り出したような印象を受ける。

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そこで語られるストーリーは極めてシンプルで美しい。物語の骨格を動かすために最低必要な筋肉だけを残し、あとは全て削ぎ落としてしまったような飾りの無さ。

生きていくということは何なのか、愛するということは何なのか。時に優しく、時には残酷なほどに厳しい自然環境の中、まったくセリフ無しに語られていく。

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そして、日本古来の寓話(むかし話)の韻を踏んだような物語世界も、観るものの心を掴む所以なのかも知れない。あの暖かくも切ないラストシーンは、意外に「リービング・ラスベガス」のラストを想起させるのだ。

 

 

いかにも”嘘っぱち”だが、どこかリアルで魅力的な映画たち。

ふきげんな過去(2016年)

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【あらすじ】

つまらない日常に辟易し、なんとなく毎日を過ごす女子高生・果子(二階堂ふみ)が主人公。彼女はエジプト風豆料理屋「蓮月庵」を営む祖母サチ(梅沢昌代)、母サトエ(兵藤公美)、無職(?)の父タイチと共に暮らしている。

ある日、果子と家族の前に”18年前に死んだはずの”伯母・未来子(小泉今日子)が現れた。未来子はその昔、爆破事件を起こし警察に追われていたらしい。何かの出来事(事件?)で死んだと思われたのをいいことに、どこかに潜伏していたという。また、過去タイチとの間にただならぬ関係あったのではないかと、果子は疑い始めるのだった。

家族は果子の部屋に未来子を居候させようとするが、どこか横柄な未来子の態度も気に入らず、納得がいかない。

ところが、喫茶店で暇つぶしに眺めていた”謎の青年”と未来子の関係性が見え隠れする中、果子は”謎めいた未来子の生き方”にほのかな憧れを抱くようになる。。

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【みどころ】

これは私のような妄想好きにとっては大好物な一本。

終始、穏やかに進行していく物語であるにも関わらず、なんか凄まじく壮絶でサスペンスフルな物語の後日譚的な体の感触にワクワクする。(しかし、その前日譚は語られず仕舞い 笑。)

それでいて不穏な空気など一切醸し出さずに、純然たるコメディとして成立させているのも凄い。そう、不穏どころか”シリアスさ”のカケラもないのだ(笑)。

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キホン、登場するオトナたちは皆どこか”嘘つき”(笑)。言ってることの一言、一言があてにならない。そのせいかどうかは判らないが、全編とおして繰り広げられる”会話”がいちいち可笑しい。実はここで、主人公の従姉妹カナ(山田望叶)の存在が効いている。オトナたちが皆どこか変な分、コドモたる彼女はいたってマトモ(笑)。オトナたちへの真っ当な問いかけが実にシニカルで、漫才におけるツッコミの役割を果たしている。

そうそう、セリフどころか(主人公の心情など様々な設定ふくめ)映画全体が嘘っぱちなのだ。それでいて刺激的で面白い。 

そういう意味では「ロブスター」を連想させる面もあるが、こっちの方が徹底しているし、振り切っている。少なくとも”笑い”においては圧倒的に成功しているのだ。

 

ロブスター(2015年)

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【あらすじ】

結婚することが義務化された架空の社会が舞台。独身者はある”ホテル”に集められ、45日以内にパートナーを見つけることを強要される。もし見つけられなければ、予め自分で選んだ動物に姿を変えられ、森に放たれてしまうのだ。

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独身となった主人公デヴィッドも、そのホテルに送り込まれる。彼は”もしもパートナーを見つけられなかった場合に変えられる動物”として”ロブスター”を希望するのだった。理由は寿命が永いかららしい。

ホテルでの新生活は、奇妙なルールに縛られ、さらにはパートナーを見つけたいあまりに異常な行動や考え方に固執する”面々に囲まれ、息の詰まるような日々だった。

 

ホテルでの生活や価値観に嫌気がさし、命からがら森へ脱出するデヴィッド。そこには、パルチザンのごとく潜伏する独身者グループが。。

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【みどころ】

極限の状況で、人は絶対的な愛情とか関係性を何をもって担保しようとするのか、この映画はそこにあえてシンプルな”ルール”を設定している。
身を置く社会体制がどうであれ、結局は”自分で決めた筈の”そのルールに縛られ翻弄される登場人物たち。

これは、そんな彼ら(彼女ら)をブラックに笑い飛ばす映画だと言えるだろう。

 

本作は、”結婚しなければならない社会”と”異性と付き合ってはならない社会”という、おそらく欧米(特にフランス語圏)の若者層のほとんどにとっては、どちらもイマイチな社会が舞台の前提となっている。

これは現実には絶対にありえない社会なのだが、実は、それが極めて現実的な社会の特徴をデフォルメしたものであるという可笑しさを孕んでいる。

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主人公は、結局どちらの体制にも馴染めないで逃げ出す。それでも、前述した”見えないルール”に縛られ、実に不条理な行動に出ようとする。端から見れば、それが最も彼”個人”には不利益な筈だという矛盾が、なんともブラックな笑いを呼び起こすのだ。 

ロブスター(字幕版)

ロブスター(字幕版)

 

 

意外と硬派で深い、、福山雅治主演の新作映画。

「SCOOP!」(2016年)


【映画情報】「SCOOP!」〜広尾のごきげん空模様#80〜

 

【あらすじ】

ある出版社の雑誌(写真週刊誌)「SCOOP!」の編集部が物語の舞台。

主人公はフリーカメラマン”都城 静(みやこのじょう しずか)”。ミドルエイジのちょいワル(?)アウトロー彼は、元々この雑誌社所属のカメラマンだったが、今はフリーとして気ままに有名人のスキャンダル写真を撮り続けている。

静の潜入取材には、親友でもある情報屋”チャラ源”の献身的な協力があった。具体的な背景は判らないが、チャラ源は過去に静を庇うばかりに、収監されてしまった経緯があるよう。故に、静は常に彼の動向に気をかけ、心身共に不安定なチャラ源を案じるのだった。

 

ある日、この編集部の”事件班”を預かる副編集長”横川 定子”の命により、静は新人女性記者”行川 野火(なめかわ のび)”の教育係を無理矢理押し付けられる。(どうも、静と定子の間には言い知れぬ過去がある様子。)

野火は静に随伴しての取材活動を”慌ただしく”始める。しかし、元々ファッション記事の編集者に憧れていた野火は、怪しげなキャバクラに潜入しての”隠し撮り”など、ダーティーな手法での取材に辟易する。

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雑誌「SCOOP!!」は、ここのところ事件記事が精彩に欠け、売上部数は低迷していた。辛うじてセクシータレントのグラビアページにより発行部数を確保していた状況の中、グラビア班の責任者である(もう一人の)副編集長”馬場”と、事件班の”定子”の間には日常的な”軋轢”が。

ところが、事件班の新コンビ<静&野火>の、”意外や”絶妙なコンビネーションにより、際立ったスキャンダル記事を連発する。それにより売上部数は急激に伸び始めるのだった。

この頃には、野火の気持ちにも変化が現れていた。”ちょっと危険な”スキャンダル取材の刺激と目に見える大きな成果に、次第に”やり甲斐”を感じ始めていたのだ。

 

そんな状況変化の中、社会性の強い事件記事の復活を志向していた定子は、”ある計画”を企てる。最近逮捕された”ある大事件の凶悪犯”、その現場検証の様子を、”静&野火コンビ”を主軸にスクープしようとしたのだ。あくまで”気ままな”有名人スキャンダルに固執する静は、定子の提案を拒むのだが。。

 

<キャスト>

福山 雅治 (都城 静)

二階堂 ふみ(行川 野火)

リリー・フランキー(チャラ源)

吉田 羊  (横川 定子)

滝藤 賢一 (馬場)

<スタッフ>

大根 仁(監督・脚本)

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【みどころ】

この映画、福山雅治が主演であることと、タブロイド広告風のポスターやチラシなどから、あたかもミーハー系作品なのかというイメージを持たれがちな感じがするが。

 

実際鑑賞してみると、なかなか硬派で奥行きのあるヒューマンドラマであることが判る。

ロバート・キャパの引用など、”写真”あるいは”カメラマン”に関するに描写については、少々ベタ過ぎな印象は否めないが。まぁ、この程度はご愛嬌の範囲ということで(笑)。

マスコミやジャーナリズムなどについての社会性やあり方よりも、この物語の登場人物たちが紡ぐ人間模様にフォーカスした映画と言える。

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まず、主人公の”静(しずか)ちゃん”演じる福山雅治の醸す、中年のカッコ悪さが最高。それでもイケメン。それでも嫌味がない。 

”情けなさ”という点では、ちょっと「海よりもまだ深く」の阿部寛を彷彿とさせる面もあるが、こっちの方がもっとシャープ。それでも、なんだかカッコ悪い(笑。

これがダンディズムってやつなんだ、きっと。

 

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かつてのATG映画に登場した、ジョニー大倉原田芳雄のキャラをイメージさせるようなリリー・フランキーの存在感も素晴らしい。その、なんとも不安定な佇まいは、哀しい結末を予感させる伏線となっているのは序盤から判るが、まさかあんな形で回収するとは、、、脚本も巧み。よく出来た物語になっている。

 

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そして、滝藤賢一による迫真の演技!!

どちらかと言うと”イヤなヤツ”を演じることが多い印象の役者さんなので、あまりイメージがよくなかった(笑)。物語の序盤は、それまでのイメージどおりのキャラで登場するのだが。。

いやあ、泣かされた 

滝藤さんごめんなさい。見直しました。

というか、これまでも”イヤなヤツ”を”イヤなヤツ”に演じきってきたのだからこそ、名優なのですね。

 

とにかく、登場人物ひとりひとりのキャラが魅力的なだけではなく、主人公をめぐる”お互いの関係性”に深みがあり、共感してしまう。

だからこそ、ある場面では温かみを感じ、ある場面では痛快な気分を味わい、そして、ある場面では深い哀しみに暮れてしまうのだろう。

 

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二階堂ふみ演じる新人記者の、次第に価値観が変化していくサマも面白い。それは主人公に対する愛情の芽生えと表裏一体なのだが、その心の変化をあらわす過程が実に細かやかに描かれていて、全く違和感を感じなかった。

 

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また事件班の副編集長”定子”とグラビア班の副編集長”馬場”の<対立の構図>が俄然この映画を面白くしている。これが、前半で得られる事件班のカタルシスを増幅し、さらには、後半に魅せる感動のシークエンスをよりくっきりと際立たせることで、観客の涙腺を強力に刺激してくるのだ。

 

そして、そもそも”観客たちが想像する”役者たちのイメージや物語の展開を先回りして、確信犯的に裏切ってくる物語の建て付けも刺激的。役者の演技面だけでなく演出やストーリーの面でも、登場人物の”人間像”を浮き彫りにしている。

 

まさに脚本の妙と、役者陣の好演が完璧に噛み合って生まれた傑作と言えるのではないだろうか。