美の悪魔に魅入られた世界/映画『ネオン・デーモン』レビュー ※半ネタバレ注意
映画レビュー「ネオン・デーモン」酔いどれシネマ☆JACK#1
『ネオン・デーモン』(2016年)
監督/ 原案/脚本:ニコラス・ウィンディング・レフン
共同脚本:メアリー・ローズ
ポリー・ステンハム
製作国 :フランス・アメリカ・デンマーク合作
配給 :ギャガ
【あらすじ】
トップモデルを夢見て故郷の田舎町からロサンゼルスに上京してきた16歳のジェシー。人を惹きつける天性の魅力を持つ彼女は、すぐに一流デザイナーや有名カメラマンの目に留まり、順調なキャリアを歩みはじめる。ライバルたちは嫉妬心から彼女を引きずりおろそうとするが、ジェシーもまた自身の中に眠っていた異常なまでの野心に目覚めていく。
(映画.comより抜粋)
【みどころ・感想】
劇場に足を運ぶ前から始まる映画
この映画で先ずショッキングなのは上掲の宣伝写真。喉を切られたのか、血を流しながら力なくソファにもたれる美少女の姿が、劇場に入る前から私たちを強い不穏感で包み込むんでくる。
一体、この少女は主人公なのか、それとも「イット・フォローズ」のようにオープニングに登場する不運な第一犠牲者の屍なのか。。
この映画に何の前知識もないまま、この画像を目にした私はそんなことを考えた。
その疑問は、映画の冒頭であっけなく解消される。ああ、そうだったのね、と。
ところがその安堵感を、この映画は次第に掻き消していくような展開を見せていく。
希薄なストーリー性
(あくまで個人的な感想だが、、)
全般的に物語性の薄い映画だ。
とはいえ、前衛的なわけでも難解なわけでもない。明確なストーリーはあるが、いたってシンプル。筋書き自体に特に深みがあるわけでもなく、複雑な構成を成しているわけでもない。
主人公含め登場人物の背景についても、多くは語られず。しかも、そこに観客の想像や妄想を喚起する仕掛けが施されているわけでもない。
結果的に、主人公はじめ各登場人物への感情移入が今ひとつできない。ゆえに鑑賞直後は、”あまり好きなタイプの映画じゃないな”と感じた。
きらびやかな色彩と映像の質感
ところが映画館を後にして何日か経っても、本作の印象が頭にこびりついて離れない。
赤と青をベースにしたネオン調の色彩とゴールドメタリックな煌びやかさ、下着姿の美しいモデルたちの佇まい、少々グロくてショッキングな描写、さらには、そこに絡まってくるエレクトロニカ系のサウンド 。。
きっと、これら感覚的な要素に”視覚”と”聴覚”をガンガンと刺激された余韻があまりにも強く残っているからなのだろう。
そんな感覚に訴えかけてくるような映画全体の佇まいは、かのイタリアンホラーの重鎮”ダリオ・アルジェント”の代表作『サスペリア』を想起させる。
終盤で、包丁を掲げた主人公の少女が立ち尽くすシーンはその最たるもの。
極めて数奇な運命を辿る主人公の少女”ジェシー”。実は、彼女の行く末を予見するかのようなシーン(セリフのやり取り)が序盤で見られる。パーティ会場のパウダールームで、主人公が先輩モデルたちから受ける質問内容に、それは込められている。食欲と性欲にまつわる問いかけに。
そして次第にジェシーは、自らの中で目醒めた内なる狂気(=悪魔=デーモン)に巻き取られていく。それは、悪魔と悪魔による壮絶な”潰し合い”と”同化”の発端と言えるのかもしれない。
【出演者】
透き通った美しさに満ちた主人公ジェシー。演ずるは、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」で主人公トランボの愛娘の役を務めたエル・ファニング。映画の序盤では無垢な美しさを醸しつつ、終盤に近づくほど”妖艶さ”や”怪しさ”を帯びてくる難しい役柄を見事に演じきっている。
ジェナ・マローン(ルビー)
田舎町から出て来たばかりの主人公ジェシーをファッション業界において導く”水先案内人”を務めるのが、ジェナ・マローン演じるルビーだ。実は、彼女が本作において果たす役割は非常に大きい。でもそれを説明してしまうとモロにネタバレとなってしまうので、ここでは書かない(笑)。
アビー・リー・カーショウ(サラ)
オーストラリア出身。「マッドマックス 怒りのデスロード」では、敵役”イモータン・ジョー”の妻たる”美女軍団”の一人を演じた。
本作では、ジェシーの先輩モデル”サラ”役を務める。このサラの「モデル業や美しさ」に対する突出した執念が、本作における重要な軸を形成している。
【まとめ】
総じて本作は、物語性よりも視覚や聴覚に訴えかける刺激がイニシアティブを持っている映画と言える。そういう意味では、昨年鑑賞した「イレブン・ミニッツ」(イエジー・スコリモフスキ監督)との共通点も多い。
ただ同作と異なるのは、”それらの刺激”が決して物語から独立しているわけではない点だ。この”刺激”こそが、極めてシンプルなストーリー設定とキャラクター設定に独特の”奥行き”をつける役割を果たしている。
そして、その作風は一体どのような結果をうみだすのか?
それは時間が経過するにつれ、もう一度(あるいは何回も)この映画を”観たい”という”欲求”が生み出されることではないだろうか。
現代の商業映画の世界おいて、ロードショーが終わった後にリリースされるDVDの売れ行きは、ビジネスとしての成否をジャッジする上で重要な指標となる。よって、上記のように繰り返し観たく”させる”ような作風は、”マーケティング戦略の一貫”として捉えられるべきものと考えるのだ。
意外とレフン監督って、意図的にマーケティング手法を導入して自らの作品を制作しているようなフシがある。つまりはクレバーなのだ(、きっと)。その趣向は、本作のタイトルバックに出てくる「NWR」のロゴにも表れているような気がしてならない。
きっとレフン監督は自分の生み出した作品群を、(あたかも服飾や宝飾品のように)ブランディングしようと目論んでいるに違いない。
2016年 <私的>映画ランキング Best30
えー、今さらながらですが。
昨年(2016年)1年間に封切られた映画のうち、わたくしが劇場鑑賞した作品につきまして、ランキングを発表したく思います!
<採点、ランキング方法について>
そもそも私は、映画を劇場鑑賞した後、備忘録の意味もあり、都度Filmarksに簡単なレビューと評点(5点満点)をつけていまして。今回のランキングはその際に付けた評点を基に”順位付け”をしたものとなってます(※同点のものは改めて検討のうえ順位を付けました)。
実はこのやり方を採用すると、ぶっちゃけ、(評点した自分自身でも)ランキング結果に違和感を覚える面もありました。たとえば、「あれ?レヴェナントって、シビル・ウォーよりも下でよかったっけ??」とか(笑)。
ただ、今回はそういった違和感に対して、改めて点数を調整したりはしませんでした。人間の記憶はいい加減なもので、時の経過と共に、そのデータは劣化するもの。また世間一般の評判が自分の評価に影響を与えることもあるだろうかと。よって今回は”鑑賞直後の率直でフレッシュな”判断を優先することとしました。
<※リンクを貼りましたレビュー動画は、いずれもUstreamライブ配信用に一発撮りしたものです。お見苦しい点などありましたらお赦し願います。>
前置きが長くなりましたね(笑)、、
早速ランキング発表行きます!!
30位 クリーピー 偽りの隣人
怖い、巧い、気持ち悪い、三拍子揃った傑作スリラーかと。この映画、観客をコワがらせるための仕掛けが絶妙。ただ、”あるところ”を見せるディテールがちと甘いかも。
29位 ブリッジ・オブ・スパイ
こういう物語って、実は主人公のやろうとしてることが結構ヤバい事だって(観客に)解らせるの、結構難しい気がするのだ。その点、コーエン兄弟の脚本力なのかスピルバーグの演出力なのか、この映画は実に見事にサスペンス感を滲み出させている。
そして準主役マーク・ライランスの魅せる静かなるも熱い佇まいは非常に印象的。
28位 夏美のホタル
とにかく有村架純の可愛さに打ちのめされる一本(笑)。でも実は光石研の醸す哀切感こそが、この物語の柱だったりする。
ロケ映像で魅せる夏の情景も実にリアルで素晴らしい。
27位 ザ・ウォーク
3DIMAXで鑑賞。(綱渡り)屋内練習中に失敗してバランス棒(?)を落とす場面では思わず身をよじった(笑)。スリリングな演出よりも、主人公のポジティブなトライアル物語にフォーカスした面に好感。
26位 SCOOP!
福山雅治にはムカつく。こんな汚れ役やっても何気にカッコいいのだから(笑)。
演技面においては、特に滝藤賢一とリリー・フランキーが印象的で素晴らしい。そして二段式のクライマックス!!意外性と独特のヒリヒリ感が相まって、思わず引き込まれてしまった。
25位 ペレ 伝説の誕生
単なるスポーツ痛快物語というだけでなく、ブラジリアンのアイデンティティにも言及したヒューマンドラマに感動!!サッカーシーンが涙で歪む。
ペレの両親を演じる二人がとにかく最高。
24位 ダゲレオタイプの女
海外進出しても黒沢清 監督の論理的に構築された恐怖世界は健在。本作はただ怪奇的なだけでなく、男の悲哀に満ちた情感が溢れている。主人公の青年を捉えた”あのラストカット”はいつまでも脳幹に絡みついて離れない。
映画レビュー『ダゲレオタイプの女』『イレブン・ミニッツ』広尾のシネマ☆JACK#2
23位 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
スター・ウォーズ観て初めて泣いた。
スピンオフ作品と称されるが、実はシリーズ上の重要なストーリーを繋ぐ”正統な”前日譚。実は切ない父娘愛の物語でもある。”Stardust”という言葉を思い浮かべると今でも涙腺が緩む。
映画レビュー『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』広尾のシネマ☆JACK#11
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22位 レヴェナント:蘇えりし者
ディカプリオにアカデミー賞を取らせるために映画界の才能が集結。その有り様こそが最も感動的な一品。ラストカットで、ディカプリオ演じる主人公はこちらを見つめる。われわれ観客を、ではない。アカデミー会員を睨んでいるのだ。
トムハのヤな奴っぷりも秀逸(笑)。
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21位 ヘイル、シーザー!
これは、ある事情(誘拐ではない)で人生の岐路に立った主人公の葛藤を、スタジオでの”激務”をこなす日常をとおして描いたヒューマンコメディ。撮影所が舞台なだけに、劇中劇の場面がふんだんに使われていて、そのベタな演出や役者の大根っぷりでも結構笑わせてくれる。
20位 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
とにかく無邪気に楽しめる!このシリーズはプロダクトデザインがカッコ良いし、男子向けマンガとして実によくできている。また数多くのアメコミ(マーベル)ヒーローを登場させながらも、決して混乱や破綻をきたす事なくスッキリと見せてくる構成に舌を巻く。
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19位 われらが背きし者
何が起きるか判らない不穏感演出と、男のロマンティシズムに満ちた”西部劇”的熱さが合わさった”ハイブリッド構造”のサスペンス。スパイものながら、民間人とマフィアが主人公というのも面白い。
18位 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
東西冷戦下、ハリウッドを襲った”アカ狩り”に翻弄され続けた天才脚本家の伝記物語。事実は小説より、、というがこれは凄い。それでも終始明るくポジティブな空気感を前面に打ち出した作風も好き。ヘレン・ミレンとジョン・グッドマンの存在感も素晴らしい。
17位 エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に
「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレーター監督最新作。アメリカのある州立大学・名門野球部を舞台にした3日と15時間の”バカ騒ぎ”。しかしこのバカっぷりが人生の哀切感を引き出してくるという、いいオトナにとっての追体験映画でもある。
映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」ショートレビュー
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16位 エクス・マキナ
AIを搭載したヒューマノイドのチューリングテスト(人間として違和感がないかのテスト)を命じられる主人公の”未婚”青年。もはやAIは人の恋愛感情をもコントロールしてしまうのか。『her』で描かれたテーマをサスペンスフルに扱った物語とも言えるのかも。
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15位 シン・ゴジラ
1954年製・初代ゴジラの物語構造を踏襲し、庵野&樋口監督の現代性で肉付けした力作。終始、政府目線で語られるストーリーは、われわれ現代人ならではの恐怖と不安を煽り立てることに成功している。製作関係者の”ゴジラ愛”が溢れた作品とも言えるのでは。
映画「シン・ゴジラ」&「ゴジラ(1954年)」ショートレビュー
14位 ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ
埋もれた天才作家と辣腕編集者の出会い、そして深い友情。朴訥とした編集者パーキンスの感情を微妙な表情の変化だけで表現するコリン・ファースの演技が秀逸。ラストシーンで彼が”思わず”とる所作に、私の涙腺は崩壊してしまった。
13位 君の名は。
よくできてる。よくでき過ぎていて”あざとさ”すら感じられない(笑)。中盤から泣きっぱなしで鑑賞。日本の神道文化に根ざしたストーリーも魅力的だ。インバウンド需要すら意識しているのではないかというマーケティング性も含め、どこをどう切ってもよくできた作品。
12位 永い言い訳
2回鑑賞。初回は、あまりに主人公の人物像がリアル過ぎて、ヘンに感情移入し過ぎてしまった。2回目で、この主人公をあるていど客観視することにより本作の物語性が心に入ってきた。失ってから通じ合う心。通じ合って初めて得られる喪失感。しかし、そこまでして喪失感は得るべきものなのだろうか。これは極私的問題作。
映画レビュー『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3
11位 アスファルト
フランス郊外の団地を舞台に展開する、孤独な男女6人の群像劇。
登場人物たちの言い知れぬ”深い孤独感”と出逢いのもたらす”ほのかな希望”が、暖かくもユーモラスに描かれる。特に、製作者のポジティブな人生観を象徴するかのようなラストカットが洒落ていて大好き。
それではベスト10にいきます!!!
10位 退屈な日々にさようならを
人は、突如訪れた激しい喪失感と”どう折り合いをつけていくのか”。
笑いと不穏感が終始入り乱れるこのエンタテインメントは、被災地をめぐる人々の切なる心情を刻む物語でもある。
9位 映画 聲の形
極めてデリケートなテーマを真正面から扱う姿勢に、先ず心を打たれた。
それでいて、ユーモラスでどこか愛らしく、ポジティブな希望に溢れた青春譚として仕上げているところが凄い。
8位 サウスポー
序盤たった数十分で、主人公を取り巻く家族の”愛情の深さ”を脳髄に叩き込んでくる構成が凄い。さらには、ヒューマン・ドラマとしての”エモーショナル”な要素をベースにしながらも、実は、”ロジカルな戦略性”を決め手としている点が極めて特徴的。
7位 レッドタートル ある島の物語
日本画を彷彿とさせるような繊細なタッチの映像に先ず心を奪われる。
まるで自然界からそのまま切り出したような光と音が、言葉を介さないシンプルな物語と絡まって、切なくも温かい”何か”を観る者の心に刻み込んでいく。
映画「レッドタートル ある島の物語」レビュー”広尾のシネマ☆JACK”より
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4位 ブルーに生まれついて
JAZZの本質は”憂い”。天才であるゆえに、その本質に巻き取られていくチェット・ベイカーの姿が哀しい。ラスト、画面が暗転しテロップが現れた瞬間、なぜだか嗚咽しそうになり口を押さえた。
イーサン・ホークの歌う”マイ・ファニー・ヴァレンタイン”も素晴らしい。世界的一流俳優の多芸っぷりに、また驚かされた。
映画レビュー『ブルーに生まれついて』『セッション』広尾のシネマ☆JACK#10
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いよいよベスト3です!!!
3位 ニュースの真相
主人公の女性プロデューサーが醸す”哀切感が堪らない。終盤、彼女が自らのプライドを賭けて内部調査委員会の連中と対峙する姿は、まるで『300(スリーハンドレッド)』の”レオニダス王”を彷彿とさせ、観ているこちら側の心を鷲掴みにして離さない。
2位 湯を沸かすほどの熱い愛
末期ガンに侵されながらも、凛とした佇まいを残しながら気丈に目的に向かって歩き続ける主人公を、もはや涙なしで観ることなどできない。そんな彼女を支えるのは、ほかならぬ周囲への”熱い愛”なのだから。観終わると、一見ベタにも思えるタイトルの必然性がドシッと腹に落ちてくる。
1位 リップヴァンウィンクルの花嫁
実に恐ろしい人間の業が、この物語のベースとなっている。
ところが、なぜだか切なく愛らしさに満ち溢れた佇まいをみせるのが、本作最大の魅力。そして、言い知れぬ不穏感を誘う怪しげな登場人物の面々。彼らに囲まれているからこそ、黒木華演じる主人公の無垢な弱々しさが際立つ。
<総評>
私はキホン洋画派です。したがって従来は、観る映画の本数など圧倒的に外国映画が多かったし、心に残る映画のほとんどもそれらの内にありました。
ところが今年はなんだか様子が違う。いつになく邦画に素晴らしい作品の数々が登場してきたと思うのです。結果的には、ランキング上位2本は邦画が占め、なおかつBest10の中に5本(合作も入れると6本 )も日本映画がランクインするといった事態(?笑)となりました。
もちろん(素人同然の)私が、客観的かつ定量的に数々の映画を評価し、公平にランキングしていくのには、到底無理があるでしょう。
したがって上記ランキングは、あくまで私個人の趣味と偏見に基づく判断がもたらした結果であること、お赦しください。
言い換えると、昨年の春に『リップヴァンウィンクルの花嫁』の素晴らしさに打ちのめされた挙句、その後の邦画の見方が変わってしまった結果、、と分析できるのかもしれません(笑)。
ただ、今回は"Best30"には入らなかった作品の内にも、素晴らしい作品が実に多くありました。 洋画にしても、邦画にしても、全体的に粒ぞろいだったというのが私の率直な感想。本当は最低でも50本くらいは挙げないと、”2016年の映画鑑賞”を総括し切れないような気もしているのです。
ちなみに昨年、新作で劇場鑑賞した作品は下記151本。
作品名 | 公開日 |
ブリッジ・オブ・スパイ | 2016年1月8日 |
イット・フォローズ | 2016年1月8日 |
タイム・トゥ・ラン | 2016年1月9日 |
知らない、ふたり | 2016年1月9日 |
ヘリオス 赤い諜報戦 | 2016年1月9日 |
人生の約束 | 2016年1月9日 |
神なるオオカミ | 2016年1月12日 |
シーズンズ | 2016年1月15日 |
パディントン | 2016年1月15日 |
バンド・コールド・デス | 2016年1月16日 |
最愛の子 | 2016年1月16日 |
白鯨との戦い | 2016年1月16日 |
の・ようなもの のようなもの | 2016年1月16日 |
死の恋人ニーナ | 2016年1月19日 |
ビューティー・インサイド | 2016年1月22日 |
ザ・ウォーク | 2016年1月23日 |
エージェント・ウルトラ | 2016年1月23日 |
サウルの息子 | 2016年1月23日 |
ドリーム ホーム 99%を操る男たち | 2016年1月30日 |
ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります | 2016年1月30日 |
さらば あぶない刑事 | 2016年1月30日 |
99分,世界美味めぐり | 2016年1月30日 |
俳優 亀岡拓次 | 2016年1月30日 |
オデッセイ | 2016年2月5日 |
キャロル | 2016年2月11日 |
ディーパンの闘い | 2016年2月12日 |
スティーブ・ジョブズ | 2016年2月12日 |
ドラゴン・ブレイド | 2016年2月12日 |
クーパー家の晩餐会 | 2016年2月19日 |
X-ミッション | 2016年2月20日 |
ヘイトフル・エイト | 2016年2月27日 |
虹蛇と眠る女 | 2016年2月27日 |
偉大なるマルグリット | 2016年2月27日 |
女が眠る時 | 2016年2月27日 |
ピン中! | 2016年2月27日 |
マネーショート 華麗なる大逆転 | 2016年3月4日 |
マリーゴールド・ホテル幸せへの第二章 | 2016年3月4日 |
ロブスター | 2016年3月5日 |
アーサー・フォーゲル ショービズ界の帝王 | 2016年3月5日 |
幸せをつかむ歌 | 2016年3月5日 |
マジカルガール | 2016年3月12日 |
アーロと少年 | 2016年3月12日 |
リリーのすべて | 2016年3月18日 |
最高の花婿 | 2016年3月19日 |
砂上の法廷 | 2016年3月25日 |
バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 | 2016年3月25日 |
リップヴァンウィンクルの花嫁 | 2016年3月26日 |
無伴奏 | 2016年3月26日 |
LOVE 【3D】 | 2016年4月1日 |
ルーム | 2016年4月8日 |
孤独のススメ | 2016年4月9日 |
ボーダーライン | 2016年4月9日 |
COP CAR コップ・カー | 2016年4月9日 |
さざなみ | 2016年4月9日 |
スポットライト 世紀のスクープ | 2016年4月15日 |
オマールの壁 | 2016年4月16日 |
獣は月夜に夢を見る | 2016年4月16日 |
レヴェナント:蘇えりし者 | 2016年4月22日 |
アイヒマン・ショー | 2016年4月23日 |
アイアムアヒーロー | 2016年4月23日 |
ズートピア | 2016年4月23日 |
太陽 | 2016年4月23日 |
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ | 2016年4月29日 |
追憶の森 | 2016年4月29日 |
64(ロクヨン前編/後編) | 2016年5月7日 |
ヘイル、シーザー! | 2016年5月13日 |
マクベス | 2016年5月13日 |
すれ違いのダイアリーズ | 2016年5月14日 |
世界から猫が消えたなら | 2016年5月14日 |
ひそひそ星 | 2016年5月14日 |
海よりもまだ深く | 2016年5月21日 |
スティーヴ・マックィーン その男とル・マン | 2016年5月21日 |
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ | 2016年5月27日 |
神様メール | 2016年5月27日 |
エルヴィス、我が心の歌 | 2016年5月28日 |
ヒメアノ〜ル | 2016年5月28日 |
素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店 | 2016年5月28日 |
デッドプール | 2016年6月1日 |
サウスポー | 2016年6月3日 |
FAKE | 2016年6月4日 |
団地 | 2016年6月4日 |
マネーモンスター | 2016年6月10日 |
シークレット・アイズ | 2016年6月10日 |
エクス・マキナ | 2016年6月11日 |
夏美のホタル | 2016年6月11日 |
裸足の季節 | 2016年6月11日 |
教授のおかしな妄想殺人 | 2016年6月11日 |
二ツ星の料理人 | 2016年6月11日 |
ノック・ノック | 2016年6月11日 |
帰ってきたヒトラー | 2016年6月17日 |
10 クローバーフィールド・レーン | 2016年6月17日 |
クリーピー 偽りの隣人 | 2016年6月18日 |
レジェンド 狂気の美学 | 2016年6月18日 |
好きにならずにいられない | 2016年6月18日 |
WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ | 2016年6月24日 |
TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ | 2016年6月25日 |
二重生活 | 2016年6月25日 |
ブルックリン | 2016年7月1日 |
セトウツミ | 2016年7月2日 |
フラワーショウ! | 2016年7月2日 |
ペレ 伝説の誕生 | 2016年7月8日 |
シング・ストリート 未来へのうた | 2016年7月9日 |
ラスト・タンゴ | 2016年7月9日 |
生きうつしのプリマ | 2016年7月16日 |
AMY エイミー | 2016年7月16日 |
ロック・ザ・カスバ! | 2016年7月20日 |
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 | 2016年7月22日 |
ヤング・アダルト・ニューヨーク | 2016年7月22日 |
シン・ゴジラ | 2016年7月29日 |
アンフレンデッド | 2016年7月30日 |
ニュースの真相 | 2016年8月5日 |
花芯 | 2016年8月5日 |
奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ | 2016年8月6日 |
タンゴ・レッスン | 2016年8月6日 |
栄光のランナー 1936ベルリン | 2016年8月11日 |
ゴーストバスターズ | 2016年8月19日 |
ソング・オブ・ザ・シー 海のうた | 2016年8月20日 |
君の名は。 | 2016年8月26日 |
アスファルト | 2016年9月3日 |
スーサイド・スクワッド | 2016年9月10日 |
グッバイ、サマー | 2016年9月10日 |
レッドタートル ある島の物語 | 2016年9月17日 |
映画 聲の形 | 2016年9月17日 |
怒り | 2016年9月17日 |
BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント | 2016年9月17日 |
イレブン・ミニッツ | 2016年9月20日 |
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK‐The Touring Years | 2016年9月22日 |
ある天文学者の恋文 | 2016年9月22日 |
ハドソン川の奇跡 | 2016年9月24日 |
高慢と偏見とゾンビ | 2016年9月30日 |
SCOOP! | 2016年10月1日 |
ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ | 2016年10月7日 |
ジェイソン・ボーン | 2016年10月7日 |
グッドモーニングショー | 2016年10月8日 |
永い言い訳 | 2016年10月14日 |
GANTZ:O | 2016年10月14日 |
ダゲレオタイプの女 | 2016年10月15日 |
何者 | 2016年10月15日 |
われらが背きし者 | 2016年10月21日 |
スター・トレック BEYOND | 2016年10月21日 |
インフェルノ | 2016年10月28日 |
ザ・ギフト | 2016年10月28日 |
湯を沸かすほどの熱い愛 | 2016年10月29日 |
手紙は憶えている | 2016年10月29日 |
PK | 2016年10月29日 |
ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期 | 2016年10月29日 |
エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に | 2016年11月5日 |
退屈な日々にさようならを | 2016年11月19日 |
ブルーに生まれついて | 2016年11月26日 |
マダム・フローレンス! 夢見るふたり | 2016年12月1日 |
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー | 2016年12月16日 |
JAZZにまつわる”ひたむきさ”と”狂気” / 映画『ブルーに生まれついて』レビュー
『ブルーに生まれついて』(2015年)
監督/脚本/製作:
ロバート・バドロー
出演: イーサン・ホーク
カルメン・イジョゴ
カラム・キース・レニー
製作国:アメリカ、カナダ、イギリス
【ストーリーについて】
実在した名ジャズ・トランペッターでありヴォーカリスト、チェット・ベイカーを主人公に描いたラブ・ストーリー。そしてやはり怒涛のJAZZムービーでもある。
1950年代半ばには時代の寵児と評されるほど絶大な人気を誇ったチェット。ところが1960年代後半に差し掛かる頃には、ヘロイン常習による様々なトラブルに悩まされるありさま。さらにはドラッグ購入をめぐる売人とのトラブルで大怪我を負い、再起不能と揶揄される事態に。。そんな崖っぷちに立たされた主人公の再生物語が、彼を支える恋人ジェーンとの関係性を軸に展開していく。
この映画は、実在の人物を主人公としているため、一見”伝記モノ”のようにも見えるが、実際は(登場人物含め)多分にフィクション的な要素を孕んだ作品と言える。
(例えば、主人公の恋人ジェーンはチェットの元妻をモデルとしながらも、架空の人物と思われる。彼女がチェットと出逢うきっかけとなる”劇中劇=チェットの自伝映画プロジェクト”は、実はフィクションであり実在しないらしい。)
その結果、本作は創作された”フィクション性”によって、劇映画としての刺激と醍醐味を実現している。
映画レビュー『ブルーに生まれついて』『セッション』広尾のシネマ☆JACK#10
【みどころ】
<二つの特長に大別される、本作の魅力>
①チェットとジェーンの恋物語
ふたりの(男女としての)関係性を描くシーンの数々が、なんとも甘味で素晴らしい。特に屋外ロケのシーンは際立って印象的。朝の陽光を思わせるような、うっすらとオレンジがかった優しい光が、まるで二人の親密さを象徴するよう。。
さらには、ベッドシーン。きわめて濃密でリアルな描写ながら、それはジェーンのチェットに対する愛情の深さを表現することに”振り切って”いて、まったくエロさが無い。
その昔、「エマニエル夫人」を劇場鑑賞した親戚の女子高生が「ぜんぜん、いやらしくなかった〜!」などと宣った”ハッタリ”とは全く次元が異なる(笑)。本当に、いやらしくないのだ。もうそれは中学生男子が鑑賞しようとも、決して”オカズ”にはなり得ないほどに(笑)。
前述したように恋人ジェーンは、架空の人物(と思われる)。したがって、この恋愛にまつわるシークエンスは、本作のドラマ性を定義づける重要な要素として創作されたものであることは間違いないだろう。
つまり、本作のラブストーリーとしての一面が、主人公チェットの”人となり”や”生き様”に奥行きを生み出しているのだ。
②凄まじいばかり、、天才のイキザマ
この映画、終盤に差し掛かるまでは、前述したラブストーリーとしての要素が全面に押し出されているように(観ていて)感じる。そのため、「ジャズミュージシャンの映画だけど、ジャズ映画とは言えないよな〜」などと思いながらスクリーンを眺めていた。
例えば中盤、イーサン・ホーク自身の歌声が披露される”マイ・ファニー・ヴァレンタイン”のシーン。これはジャズ音楽的な”みどころ”でもあり、また、ふたりの関係性がある意味”最高点に到達した”高揚感を醸し出す重要な役割を果たしている。ただ、未だこの時点ではJAZZをど真ん中に感じるには至らない。
(ちなみに、イーサン・ホークの歌声が驚くほどイイ!)
ところが終盤、俄然ぶっとい”JAZZ感”が急速にたたみかけてくる。それは”天才”がゆえに直面する”壁”との対峙。その凄まじいばかりの葛藤と憂いは、もうジャズ以外の何物でもない。
このクライマックスに見せる静かなシークエンスは、まるでヒット作『セッション』のラストを”負の側面から垣間見た”ような趣きを感じるし、さらには『リービング・ラスべガス』のラストをポジティブに解釈したような佇まいにも見えてくるのだ。
私はこのラストシーンで急に嗚咽しそうになり、思わず口を押さえてしまった。
<主人公チェットへの感情移入を促す二つの人間関係>
チェット・ベイカーとほぼ同時代にジャズ・シーンを席巻した名トランペッター。
本作では、白人でしかもミーハー的な人気を博す主人公に違和感を憶え、(内心では一目置きながら)本人に対しては厳しい言葉を放ち、名門クラブ”バードランド”へのチェットの出演を拒否する”一癖あり”な先達ミュージシャンとして登場する。
一方、チェットにとっては自分自身のアイデンティティに関わるほど、リスペクトしてやまない業界の重鎮であり、(裏返せば)トラウマの根源ともなっている存在である。
(マイルス役はケダー・ブラウンが演じている。その目つきや所作、喋り方に到るまで笑えるくらい似ている!彼の情報はネットで見ても日本語の情報はあまり出てこない。もうマイルスのモノマネ芸人としてだけでも食べていけるんじゃないかって勢い 笑笑。)
②チェットの父親
物静かなタイプながら、息子の奔放な生き方に対する嫌悪感を隠さない父親。
大怪我からの再起を図るため、一時帰省してきたチェット。そんなチェットやジェニーに対し歯に絹着せぬ辛辣な言葉を投げかける。その言葉は、愛情の裏返しによるものなのか、あるいは本物の嫌悪感の現れなのかは、観ていてもよくは判らない。
しかし、そんな父親に対するチェットの計り知れない”承認欲求”が見え隠れするシーンも見られるなど、実は彼のモチベーションに多大なる影響を与えている存在。
実は、主人公チェットと上記二人との間柄は、映画『セッション』における若きドラマー”アンドリュー”と鬼教授”フィレッチャー”との関係性を彷彿とさせる。とはいえ、チェット・ベイカーはマイルス・デイビスや父親にしごかれる訳ではない(むしろ逆に、シカトされているに近い)。ただ彼らは、チェットを決して承認せず、そのパフォーマンスや生き方を揶揄し続ける存在。
つまり、この2作品の人間関係は、極めて精神的な面において相似形をなしているように見えるのだ。
『セッション』において、久々に再会したアンドリューにかけるフレッチャーの言葉がある。彼の”一流ミュージシャン輩出”に関する信条をあらわす”あのセリフ”だ。
それは、まるで本作『ブルーに生まれついて』におけるチェット・ベイカーの生き様を解説する言葉にも聞こえてくるのだから面白い。
(2016.12.30.)
ウディ・アレン初期の名作たち。映画『アニー・ホール』と『マンハッタン』について。
『アニー・ホール』(1977年)
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン&マーシャル・ブリックマン
出演:ウディ・アレン
ウディ・アレン初期の名作①映画「アニー・ホール」レビュー ※ネタバレ
【あらすじ】※ネタバレあり
主人公アルビー・シンガー(ウッディ・アレン)は、舞台やテレビ番組で活躍する”トーク系”コメディアン。彼は、溢れんばかりの創造力に恵まれる一方で、どこか内向的で神経質な一面をもつ。
親友の紹介で付き合い出した恋人の名はアニー・ホール(ダイアン・キートン)。彼女はクラブ歌手のバイトをしながらメジャーになる日を夢見ている。明るくてどこか奔放な彼女とは、ともすればすぐに口論となり”喧嘩”と”仲直り”を繰り返す日々。
そして、物語はアルビーの少年時代や過去の女性遍歴(バツ×2)、アニーとの”なり初め”などを描く回想シーンを織り交ぜながら進行していく。
ある日アルビーは、テレビ司会の仕事のためアニーを連れてロサンゼルスに出向く。ところが、どこか工業化されたような仕事のスタイルと快楽主義的な当地のエンタメ界のあり方に嫌気がさした彼は、体調不良を理由に仕事をキャンセルしてしまう。
一方で、そんな西海岸でのライフスタイルを気に入ったアニーは、アルビーへの気持ちが急速に冷えてしまい、二人は別れることになった。
そして彼女は、以前ライブ後に声をかけてきたレコード会社経営者トニー・レイシー(ポール・サイモン!!)の誘いに乗って、ロサンゼルスに引っ越してしまうのだった。
一旦は、別れに同意したアルビーだったが、どうしてもアニーを忘れることができない。思い立ってロサンゼルスに出向き復縁を求めるが、アニーには「友達でいましょう」と一蹴されてしまう。
恋に破れた彼は、アニーとの想い出を基に戯曲を執筆する。皮肉にも、そこで描かれる恋愛物語はハッピーエンドだったのだが。
のちにアルビーはアニーと偶然再会する。新たな恋人と共に出掛けた映画館で。彼女はトニー・レイシーと別れ、NYへ帰ってきていたのだ。そこで上映されていたのは、かつて、彼がアニーを何度も連れって行ったお気に入りのドキュメンタリー映画だった。。
【みどころ・解説・感想】
どこにでもある男女の出会いと別れの機微を描いたこのラブストーリーは、終始”主人公アルビー”の姿を借りたウディ・アレンのシニカルな口調で語られていく。
知的なネタが売りのコメディアン”アルビー”。そんな思索と想像力に富んだ男の一人称で描かれた”妄想”と、”リアル女子”との関わりを描いたドキュメンタリータッチの映画とも言えるのかも知れない。
<”第四の壁”の変則的な破壊>
本作の特徴の一つは、このストーリーが語られる上で非常に実験的で先進的な手法が数多く使われている点だろう。
近作としては「デッド・プール」に代表されるように、映画の登場人物が物語世界と現実世界を隔てる”見えない概念上の壁(=第四の壁)を超えて、観客に語りかけるシーンは時折見受けられる。
本作では、そんな第四の壁を越えるだけでなく、あたかも現実世界の人々を”壁の内側”に引き込んでしまったような場面が見受けられる。
(街頭を行く歩行者へのインタビューを始める主人公)
彼女(アニー)に愛想を尽かされ去られてしまった直後などに、主人公アルビーは突然道ゆく人に女性心理や男女交際をうまく行かせる為の秘訣などについて質問(インタビュー)を始めるクダリがある。
そして質問された人々は全く驚きもせずに、”ここまでの彼の物語を理解している立場”で答えるのだ。ここで、道ゆく人とは我々観客と同じ世界の住人であることが判る。
つまり、主人公は突如として何の説明もなく物語世界を離れてしまっているのだ(笑)。
(実在の著名人を連れてくる主人公)
序盤で、半ば苛立ちながら映画館の長い行列の中に並ぶアルビー。後ろでは、大声でガールフレンドに著名な文化人についてのウンチク(批評)を垂れている男がいる。
奴の言っていることは実に浅はかで的外れだと辟易する主人公。苛立ちが頂点に達した彼は、遂に批評されていた張本人(マーシャル・マクルーハン=メディア理論などを展開する英文学者)を”ウンチク男”の前に連れてきて、いかにその批評は的外れであるかを発言させる。
その他には、時間と空間を超えたシーンの貼り合わせ(笑)などなど、、実に様々な手法が用いられている。
これら様々な手法を用いて、ウディ・アレン特有のシニカルな目線を通した”笑い”と共に、観客にアルビーのパーソナリティーを説明している。この個性豊かな笑いのエッセンスこそが、映画ファンの心を鷲掴みにし、当時としては珍しく長回しなカットを飽きさせることなく見せることに成功しているのだ。
<とにかく主人公を描いている>
冒頭に”一人称”という表現を用いたが、この映画は終始、主人公の”人となり”描くことに振り切っている。タイトルとなったアニー・ホールでさえ彼を描くための材料にすぎない。あくまで”アルビー・シンガー”の私的物語であって、いわゆる”群像劇”とは対局をなす構造となっている。
理解するのにある程度の社会的知識が必要になるような、どちらかというとインテリ系のネタで新たな”笑い”の風を起こしつつある主人公。これは、コメディアンとしてスタートしたウディ・アレン自身を投影した面も少なからずあろう。
それは、劇中で事務所(?)に勧められた外注作家のパフォーマンスをみせられ困惑するシーンにも象徴的に表現されている。
エンタメとはいえ、資本主義社会の中では生産性や効率性が求められる。そんな業界の”ありがちな動向”に嫌気が差し、ハリウッド行きを頑なに拒んだ映画人ウディ・アレンの想いが相当に盛り込まれているに違いない。
マーケットとしてのエンタメ界は、あらゆる商品やサービスに関わる広告宣伝の受け皿となった瞬間、比較的潤沢な資金が集まる世界へと成長した。
特に、テレビ界が隆盛を極めた1970年代〜1990年代頃までのアメリカ西海岸は、かつてのローマ帝国のようなきらびやかな繁栄を謳歌していたのだろう。そんな情勢下で、例に漏れずエンタメ業界も効率的な”産業システムに組み込まれていく。結果として生まれたのは”仕事をしてるふり”に長けた連中が繰り広げる、乱痴気騒ぎの世界。そんな業界を忌み嫌ったウディ・アレンの心情が、ロサンゼルス行きをきっかけとした物語の展開にも反映されている。
<でも実はピュアなラブストーリー>
とにかく、この映画では主人公アルビーと恋人アニーとの出逢いと別れが、”理屈っぽく、知識人ぶった”主人公の言葉で語られて行く。でも、その向こうにあるのは人類の歴史が始まって以来、何も変わらない男女の恋愛の”甘さ”や”酸っぱさ”の機微。
ラストで主人公が”ある小話”を通して語る内容通り、それはもう理屈抜きの世界だし、不条理の連続。どんなインテリだろうと、”ええかっこしい”だろうと異性が惹かれ合うのは自然の摂理なのだ、という真理。
それが面白くもあり、また、哀しくもあるということをこの映画は静かに示唆している。
実は、この映画はほとんどBGMがない。しかし、最後の最後になって穏やかなジャズナンバーがしんみりとかかるのだ(劇中のライブシーンで唄われたアニーの歌)。この情感溢れる調べと、前述の”いかにもな”小話の内容が相まって、観終わった後も尚”切ない気分に浸れる余韻”を残していく。
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『マンハッタン』(1980年)
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン&マーシャル・ブリックマン
出演:ウディ・アレン
マリエル・ヘミングウェイ
メリル・ストリープ
ウディ・アレン初期の名作②映画「マンハッタン」レビュー ※ネタバレ
【あらすじ】※ネタバレあり
主人公”アイザック(ウディ・アレン)”はテレビ業界のライターで独身。42歳ながら17歳(!!)の彼女”トレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)”と付き合っている。
また、彼には学校教師を務める親友”エール(マイケル・マーフィー)”がいる。エールには長年連れ添った妻がいるものの、独身編集者の女性”メリー(ダイアン・キートン)”に惹かれ、深い関係を持ってしまう。
エールから不倫の告白をされたアイザックは戸惑う。偶然、トレーシーとのデート中に、これまたデート中のエールとメリー出会ったアイザック。彼はメリーの勝気な性格や歯に絹着せぬ言動に辟易する。ところが、あるパーティーで偶然再開したメリーと長い時間会話を交わしたアイザックは、次第にメリーに惹かれていく自分に気づくのだった。
実は、エールは妻”エミリー”と別れるつもりはない。そんな彼とメリーの関係は、長くは続かなかった。その後、なんとエールからの勧めもあってアイザックはメリーと付き合うようになる。
一方で、以前から年の差ゆえにトレーシーとは一時的な付き合いのつもりだったアイザック。彼女のロンドンへの留学話が持ち上がったのを期に、アイザックは別れを切り出す。悲しみにくれるトレーシー。
ところが、エールのメリーに対する気持ちは終わっていなかった。友達付き合いの体裁上、アイザックが紹介する形でエール夫妻と会うようになるメリー。それを期に、エールとメリーは密会を重ねるようになる。
遂には、エールは離婚してメリーと付き合うことに。アイザックはメリーから一方的に別れを告げられるのだった。
まさに晴天の霹靂。アイザックは怒り心頭でエールを訪ねるが、彼の気持ちは変わらないという。共同戦線を張ろうと思って会ったエールの妻エミリーには、逆に「きっかけを作ったのはあなたよ!」とやんわり責められる始末。ところがエミリーとの会話の中で、実はトレーシーが自分にとってかけがえのない存在であったことに気づく。
思い切ってエミリーの自宅を訪ねるアイザック。そこには今まさにロンドンへ発とうとするトレーシーの姿が。。
【みどころ・解説・感想】
「アニー・ホール」とほぼ変わらぬ主要スタッフで製作されたラブストーリー。
前編、モノクロ撮影された映像とジョージ・ガーシュインが織りなすクラシカルな音楽が大都会を舞台に描かれる現代のラブストーリーに独特の風味を与えている。
前々作「アニー・ホール」と変わらないのは、やはりNYのインテリ層が織りなす、どこか気取りながらも実はシンプルで身勝手な恋愛模様が残酷なまでに真正面から描かれている点。
一方で、本作は主人公ひとりだけにフォーカスした物語ではなく、男女6人をめぐる群像劇となっている。特にウディ・アレン演じるアイザックとその親友エールという”イイ年こいたオッさん”を軸とした、まるで子供じみた恋愛劇がいかにも楽しくて哀しい。
また、「アニー・ホール」のような実験的な演出手法は、本作では影を潜めているものの、前述のモノクロ映像とクラシカルな音楽、並びに現代的な会話や少々トリッキーなキャラクター設定(特に17歳の彼女!しかも主人公にベタ惚れしてるという 笑笑)が混ざり合って、われわれ観るものを惹きつける魅力となっている。
但し、「アニー・ホール」でも見せたウディ・アレン独特の”どこか自虐的で”シニカルな目線は健在。彼の演じる主人公は自身を投影した存在でありながら、どこか自らを批判的な目線で、蔑んだように眺めている感がある。特に親友エールに彼女を取られて怒鳴り込みにいった学校の理科室でのシーン。猿(?)の標本をバックにした、あの主人公を小馬鹿にしたようなカットは秀逸で印象的。
そうそう、あのシニカルな目線は他でもない自分自身に注がれているからこそ、ウディ・アレン作品には、なんだか誠実さや品性みたいなものを感じるのかも知れない。彼の映画が長年多くのファンから愛される大きな理由の一つは、そこにあるのではないだろうか。
とはいえ、自分自身を全否定しているわけでもない。実に混沌した苦悩を、定まらぬ価値観をベースにモヤモヤと捉えている可笑しさ。そんな独特の情感がこの映画には満ち溢れている。(と、ここまで書いて自分でも何言ってるのかワケがわからなくなりそう 笑。)
まあ要は、人生なんて結局そんなもんじゃあないの、ってこと。そんな危うさや不安定さ(みたいなもの)が人間の希望や不安の源であり、否応なく自分自身に纏わり付いてくる感じをリアルに表現しようとしているのではないだろうか。
そして、印象的なラストは(解釈のしようによっては、、)希望を残した締めくくり方となっている。少なくともこの恋愛物語で右往左往してきたミドルエイジのおじさん・おばさんよりも、17歳の彼女の方がしっかりとした価値観で人生の選択肢を選ぼうとしている様が一番シニカルなのかも知れない。
かつては他人ごとを眺めているかのように楽しめた筈なのに、年齢を重ねれば重ねるほど、より”リアルに”より”ビターに”映ってくるのがコワくもある一本なのだ(笑)。
【番外妄想編】映画と感情移入について。
1. 客観的に自分を見るということ
正直言うと、自分を客観視することにあまり興味がなかった。人間が(自分含め)物事を客観視することなど、到底無理だろうと考えていたからだ。
じゃ、何故「客観的に〜」などと言う見出しで今回のブログを書き出したのか。
実は、きっかけがある。
以前からpodcastで、たまに聴いている番組がある。今は”境目研究家”などの肩書き(?)を持つ実業家”安田佳生さん”がメインで出演されている「安田佳生のゲリラマーケティング」。この中で”いかに自分を客観視するのか?”といったようなテーマでトークが展開されていた回がある(たぶん、最新回だと思う。2016.12.04.現在)。
テーマそのものに興味を持ったわけではない。むしろこの”不毛”とも思えたテーマで、出演者がどんなことを話すのかなぁと思いながら、寝床に入ってダラダラと聴いていた。
ここで安田さんが提示したアイディアが面白い。氏はこんなようことをおっしゃった。”道ゆく見ず知らずの他人を観察しながら(心の中で)ピックアップし、彼(もしくは彼女)に感情移入すれば(他人を主観的に見れば)、自分自身を客観視できるのではないか”と。
以前から、安田さんの発想はユニークで面白いな、などと思ってこの番組を聴いていたのだが、この提言は実に本質を突いていて凄いと感じたのだ。
さらに、その興味深い提言を聴いた瞬間、ある考えが自分の頭をよぎった。これって、映画観ながらスキル醸成ができてしまうのではないだろうかと。
2. 映画は感情移入を促す装置
それが劇場だろうと自宅であろうと、劇映画(やドラマなど)を”面白がって”観れている場合、ほとんどの人は劇中の登場人物に感情移入をしている筈だ。
逆に、(そのジャンルにもよるのかも知れないが、)いかに登場人物に感情移入できるかが、その物語を楽しんだり大切に思えるか否かの”鍵”とも言っても過言ではないだろう。
と言うことは、意図的に他人(登場人物)に感情移入できる”テクニック”を体系化できれば、そこには結構な需要があるのでは、と考えてしまったのだ。
その知識を会得した場合、次の2つのメリットが期待できる(現時点では、あくまで妄想の域を超えないが 笑笑)。
①劇映画や芝居など、有料の演劇系コンテンツを深く楽しめる(つまりコストパフォーマンスがUPする)確率が高まる。
②自分自身を”擬似的に”客観視するスキルが身につき、社会適応性がUPしたり仕事がうまく行ったりなど、人生が好転する可能性が上がる。
仮に上記2つのスキルが本当に身につくと仮定すれば、その二次的なメリットに至っては、挙げればキリがないほど沢山あるのではないかと思う。
ま、そんな”甘味な妄想”に抱かれて(笑)その日はニンマリしながら眠りについたのだった。。
3. ある映画にまつわる実体験(??)
実は、こんな考えが浮かんだのには最近鑑賞した”ある映画との出会い”が関係している。それは以前にこのブログでも取り上げ、ネット番組でも紹介した『永い言い訳』という作品。かの、モッくん主演の最新作だ。私はこれを2回鑑賞したのだが、それにはワケがある。
私は泣ける映画が大好きだ。それだけ現実に感動が少ないからかも知れない(笑)。この作品は宣伝を見るに、人の”死”を扱ったヒューマンドラマであることは明白だった。したがって、これはきっと魂に訴えかけてくるような感動の物語なのだろうと。もう”泣く気満々”で劇場に足を運んだのだ。本編が始まって数分で、私はモッくん演じる主人公の”衣笠幸夫”に感情移入する。
映画自体は見応えもあったし、演出の妙と言うか感動を呼び起こす(ような)エッセンスも”ビシビシと”感じたにも関わらず、イマイチに胸に迫るものがなかった。要は泣けなかったのだ。ある意味”イタイ”、主人公の”人となり”みたいなものに深く感情移入し過ぎたからかも知れない。
実は、彼のキャラクターや(歪んだ)価値観は自分自身に似ているところがあった(残念ながら顔は似ていないが 笑)。それゆえ尋常なく感受移入してしまったのだろう。
番組で取り上げるつもりで観に行ったにも関わらず、全く言葉が出てこない。それでも直感的に、映画ファンとして”人に紹介する価値のある映画”であろうことは感じていた。これは、何とも悔しい。。それで2回目の鑑賞を試みることにしたのだ。
2回目は、主人公の奥さん”夏子さん”と、竹原ピストル演じる友人家族の亭主”陽一くん”に”意図的”に感情移入してみた。すると中盤くらいから涙が溢れ出て、止まらない。この作品に対する感想の言葉も色々と湧き出てきた。決して違う作品を観たようだったと感じたわけではない。しかし、心への入り方が全く違ったのだ。
人は、その拠り所となる”視座”によって、大きく物事の捉え方が変わってくる動物なのだろう。だとすれば、映画鑑賞という極めて日常的な行為の中に、何か体系化するに値する知恵や情報が隠されているのでは、と思えてならない。
いつものpodcast番組を聴いていて、そんな想いが頭から湧き出てきたという話。備忘録として、ここに記しておくことにする。
映画『永い言い訳』 『シェルタリング・スカイ』広尾のシネマ☆JACK#3
驚愕のド直球。映画『pk』について
『pk』(2014年)
監督:ラージクマール・ヒラーニ
脚本:アビジャート・ジョーシー
ラージクマール・ヒラーニ
製作:ビドゥ・ビノード・チョープラー
ラージクマール・ヒラーニ
製作国:インド
配給:REGENTS
国内外で大ヒットしたインド映画「きっと、うまくいく」の監督と主演俳優 (アミール・カーン)が再びタッグを組み、前作以上の大ヒットを記録。その後、全米でもロードショーされ、2年の月日を経て”満を持しての”日本公開に至った作品。
【あらすじ 】
留学先で悲しい失恋を経験し、今は母国インドでテレビレポーターをするジャグーは、ある日地下鉄で黄色いヘルメットを被り、大きなラジカセを持ち、あらゆる宗教の飾りをつけてチラシを配る奇妙な男を見かける。チラシには「神さまが行方不明」の文字。ネタになると踏んだジャグーは、"PK" と呼ばれるその男を取材することに。「この男はいったい何者?なぜ神様を捜しているの?」しかし、彼女がPKから聞いた話は、にわかには信じられないものだった──。驚くほど世間の常識が一切通用しないPKの純粋な問いかけは、やがて大きな論争を巻き起こし始める──。
<※「pk」公式HPより抜粋>
【感想・解説・あらすじ】
私は鑑賞前、予告編や宣伝ポスターなど見るなどして<pk>と呼ばれる主人公に対して”ある先入観”を抱いていた。様々な宗教の装飾を身につけて奇行を繰り返す謎の人物。彼の不可解な行動の秘密が”少しずつ明かされる”に伴い、観るものに感動を与えていく、、といった感じだ。
ところが、劇場に足を運び本編が始まるとびっくり仰天。謎どころか、主人公の素性はいきなり明かされる。いや。明かされる以前に、最初から謎でもなんでもない。これには流石に拍子抜けした。いや、だったらこの先どうやって物語を進行させていくのだろう??かと。
この驚きのオープニングに象徴されるかのように、本作の物語展開はどこを取り上げても”ド直球”。捻りが一切ないのだ(笑)。歌に例えれば、ビブラートを一切使わない<玉置浩二>の歌いっぷりのよう。安全地帯の歌に魅了されてしまうように、捻りの全くない本作の物語世界にいつの間にやらハマってしまう。
実はさらにもう一つ、私は本作に対しての先入観を持っていた。観る前からではない。本編の冒頭に表示されたテロップを見てからだ。正確な文言は憶えていないが、要するに「この映画はフィクションであり、いかなる神や宗教団体も傷つけたり揶揄する意図は全くありません、、」といったような意味のことだ。
これを見て、私はこう思ったのだ。「あぁ、この映画に出てくる宗教や神(偶像)は、アクセサリーや調度品のようなディテールであって、物語自体が宗教に言及するものではないのだろう」と。
しかしストーリーが進行していくに伴い、驚いたことに私のこの認識は単なる”思い込み”であることが解ってくる。ディテールどころか、現代における”神”及び”宗教”の有り様に対して痛烈な風刺(というか批判)を込めたメッセージをストレートに発しているのだ。まさに”ド直球”。凄い。なんで、こんな映画の企画が通るのか(いい意味での疑問)。そして”こんな映画”が世界中で公開されている現実に感動してしまう。世の中は未だ未だ捨てたもんじゃあないよ、と。
直球なだけではない。それは問題提起にとどまらず、具体的な解決策を提示していること。特に欧州には同様のテーマを持った映画は多いが、本作の示す提案は実に本質的。
問題の根本を突いていて対症療法の域に留まらないのだ。
しかもインド娯楽映画のお約束、インド系音楽のミュージカルはしっかり盛り込んでいる。つまり全体に明るく楽観的な空気を醸しつつ、このストレートなテーマから一切逃げずに、それこそ”直球”をガシガシ投げ続けてくる。
正直言うと、”中盤あたりで”このインド式演出とあまりに浮世離れした主人公のキャラに、少々胸焼けがしてきた。ところが、本作のテーマと主人公の動きがシリアスに繋がり始める後半あたりから、また再び時間を忘れて本作の物語世界に没入してしまったのである。
人間は思い込みの動物。
それを一切顧みることがないと、きっと哀しく不幸な出来事が起きるのだろう。
この映画は、神を否定しているわけではない。”創造主”としての神はむしろ積極的に肯定している。但し、周りの動向や吹聴に左右されることなく、自らの”フラットな”価値判断によって物事を取捨選択していく必要性を説いているのではないだろうか。
さらには昨今、世界中で見え隠れする”政治的な動き”への”警鐘”といった意味合いも含んでいる、、と考えるのは深読みが過ぎるだろうか。
とりわけ大衆への迎合から、ともすれば極度の保護主義に走りかねない政治家たちの台頭などに対して。
激しい喪失感との対話。映画『退屈な日々にさようならを』について
『退屈な日々にさようならを』(2016年)
監督・脚本・編集:今泉力哉
プロデューサー:市橋浩治
配給:ENBUゼミナール
第12回トランシルヴァニア映画祭(2013年)にて、最優秀監督賞を受賞(「こっぴどい猫」)した今泉力哉監督の最新作。
前作「知らない、ふたり」は若者たちの”恋愛”をめぐる群像劇だったが、本作は”死”と”創作”をテーマとした、やはり若者たちの群像劇となっている。
【ストーリーについて】
東京と福島を舞台に描かれるヒューマンドラマ。大きく分けると2つの(繋がりある)物語から構成されるセミ・オムニバス形式の構造を持つ。
そしてこの物語は、3つの導入部から始まる。
導入①新進映画監督の苦悩
若手映画監督の梶原は劇場用作品の制作を生業としているが、それだけでは”食べていく”ことが出来ない。あくまで”映画制作”に係る仕事にこだわる彼は、同棲中の彼女の”稼ぎ”に幾許か依存している様子も見え隠れする。
そんな彼女からの”押し”に屈するように、ある日ひょんなことで知り合った男から引き合いのあったMV(ミュージックビデオ)の制作を引き受ける。
ところが撮影前の企画段階で、アーティストの所属事務所側と意見の食い違いが露呈してくる。あくまで自分の創作方針に固執する彼は、遂にはこの仕事を断ってしまった。
ところが、その”キャンセル”をきっかけに梶原は思わぬトラブルに巻き込まれていく。。
導入②造園会社の廃業
福島で造園業を営む今泉太郎は、(業績不振のためか)亡き父親から引き継いだ会社をたたみ、廃業することを決断する。
数日後の打ち上げで、太郎は唯一人残っていた作業員・清田の再就職が、東京で決まったことを知る。実は東京での新生活に憧れ、密かに清田への想いを寄せていた太郎の妹・ミキ。太郎はそんなミキを気遣って、清田に彼女を一緒に連れて言ってくれないかと頼むのだった。
数年後、結婚して妻とふたり暮らしとなった太郎の下に一本の電話がかかってくる。それは18歳の時に失踪したまま消息を絶っている双子の弟・次郎の同棲相手を名乗る女性からだった。。
導入③ある若手監督の死
前述の映画監督・梶原の先輩である山下。彼もまた、新進の映画監督だった。ところが、ある事件をきっかけに生きる希望を失くした彼は、同棲中の彼女の目の前で自殺を遂げる。理由はわからないが、彼女も山下の意思を受け入れて、彼の死を見届けるのだが。。
【感想・解説・みどころ】
ジャンルは違えど、「パルプ・フィクション」はじめタランティーノ作品の数々を彷彿とさせるような、編集の妙を堪能できる作品。最初は登場人物の関係性やセリフの意味合いなどが不鮮明な状況で始まるが、次第にそれぞれが繋がりだし、物語の深みを増していく。
また、全体的にセリフの応酬がコミカルで、随所に多くの”笑い”が散りばめられている。ある意味広義のコメディ映画とも言えるのかもしれない。
しかし一方で、言い知れぬ”不穏感”を纏ったストーリーと演出に翻弄される面もあり、サスペンスフルな展開も楽しむことができる。ところが、前述のユーモラスな雰囲気が”あくまで”この映画全体を包み込んでいるため、決して暗くはならず、観客に変な緊張感を強いることもない。
さらに本作は、(群像劇だけに)セリフを有する登場人物が多く、それぞれに豊かなキャラクター設定が為されている点も大きな魅力のひとつと言える。今泉監督による演出の妙か、あるいはキャスティングの妙か、演じる俳優たちの演技もまた素晴らしい。
この映画はENBUゼミナールという映画専門学校主宰による”ワークショップ”企画の作品として誕生した経緯を持つ。そのせいか、演ずる俳優陣は現役の演劇科の学生含め新人や、未だ有名とは言えない人たちが多い。しかしながら、彼らの素晴らしいポテンシャルによって、そのクオリティが支えられている映画とも言える出来栄えとなっている。
<本作を彩る出演者たち(※敬称略)>
内堀太郎
造園業を営んでいた主人公の”太郎”、そして双子の弟”次郎”を一人二役で演じる。
個性豊かな本作の登場人物の中にあって決して濃いキャラクターではないが、ハリウッドにおける”マーク・ラファロ”のごとく、”演じている感じが全くしない”自然な佇まいが素晴らしい。また、どこかアバウトでポジティブな<兄>とどこまでもネガティブな<弟>を抑えた表現で演じ分けている巧みさも垣間見える。
双子の弟・次郎の美しい恋人であり同棲相手 、”青葉”を演じる。
見た目も美しいが、声も可愛い。死語かもしれないが 、本作のマドンナ的存在。
また、この映画の根底にあるテーマ(後述)の語り部としての役割も果たしている。一方で、ルックスとは裏腹にかなり間の抜けた(あるいはぶっ飛んだ)セリフを放つ”ちょっとズレた”意外に難しいキャラを演じきっている。
秋葉美希(みつき)
太郎と次郎の妹”ミキ”を演じる。
彼女の演じるキャラは強烈。序盤で見せる女子高生時代はいたって普通だが、上京後が。。!
その独特の”毒入り”キャラは、まるで楠美津香(※モロ師岡の奥さん)を彷彿とさせるよう。本作の”コワイ”部分を担うまさにキーマンであり、ブラックユーモア面での要とも言える重要人物(笑)を見事に演じ上げている。
↑楠美津香(笑)
猫目はち
太郎の近所に住む幼なじみ(?)で、たまに料理を持ち込むなど世話を焼き、のちに太郎と結婚する”千代”を演じる。彼女の演じるキャラも濃い!!その、真顔(まがお)でいると少々怒っているように見える彼女の佇まいが、本作の演出にもたらした効果は計り知れないのではないだろうか。終盤の緊迫した場面、そこから飛び出す”あまりに意外な”セリフは劇場内の大爆笑をさらっていた。
解りやすく言えば、”藤山直美”的キャラの持ち主。しかも映画『団地』で見せた藤山直美の演技を完全に凌駕する勢いなのだ。
りりか
前述した千代の妹でミキの親友、”さほ”を演じている。廃業後(つまりミキの上京後)も、ちょいちょい姉夫婦と交流をしているという設定。
物語の重要な部分を担っているわけではないが、実は、数多い登場人物を結ぶ”狂言回し”的な役割を果たしている。
そして、もうとにかく可愛い(笑)。のん(元・能年玲奈)と小松菜奈を足して2で割ったような”透き通った美しさ”は、本作に一種の清涼感をもたらしている。
矢作優
本作のサブストーリーにおける主人公とも言える映画監督”梶原”を演じる。
この役はおそらく今泉監督自身を最も強く投影したキャラクターと(勝手に)解釈している。特に友人である映画監督のワークショップ作品上映会に参加するクダリは、監督の日常における”鬱屈した想い”と創作活動への”モチベーション”を象徴した重要なシークエンスに見えてならない。
演じる矢作優の演技もこれまた素晴らしい。劇中、ちっとも笑わない彼のキャラクターが、実は本作の”笑い”の重要な要素を担っているという心憎さ。(ホントに笑わせていただきました。大爆笑。)特にミキ役・秋葉美希との掛け合いから生まれる”ブラックな笑い”は秀逸。本作のキャッチーな部分を一手に担っていると言っても過言ではない。
さらには、ラストの”シュールで可愛らしく粋な締め括りとなるシーン(カネコアヤノが一人で演じている場面)”は、彼のここまでの演技が”おっつけ”として効いているからこそのクオリティと断言したい。
<真のテーマ>
終始、笑いと少々のサスペンスを纏ったエンタテインメントとして観るものを魅了する本作だが、どこか得も言われぬ”哀切感”のようなものを残していく。
それはきっと、”太郎の暮らしの場”が被災地・福島を舞台としていることと無関係ではない。終盤、太郎(今泉家)の自宅の座敷で繰り広げられる登場人物たちの応酬に、それは凝縮されている。
被災地の人々が目の当たりにした、あまりにも”唐突で激しい喪失感”。彼らは日常生活の営みの中で、一体どう自分の気持ちとの折り合いをつけてきたのか。そして、どう踏ん切りをつけて、明日への一歩を踏み出していくのか。その残酷なまでにリアルな”心の記録”が、この映画には刻まれているのに違いない。
罪悪感なき者への深き怨恨(2) 映画『手紙は憶えている』について ※ネタバレなし
『手紙は憶えている』(2015年)
【あらすじ】
90歳のゼヴはユダヤ系アメリカ人。今は介護老人ホームで静かに暮らしている。
彼は数日前に妻ルースを亡くしながらも、一晩たつと彼女の死すら忘れてしまうほど記憶力が衰えていた。
ある日ゼブは、同じホームに住む親友マックスに呼ばれ、彼が書いた手紙を渡される。そこには、かつてアウシュビッツ強制収容所に共に収監されていた彼ら共通の仇であるナチス将校への”復讐の手順”が詳細に記されていた。その将校の名は”ルディ・コランダー”。彼は戦後、なんと”ユダヤ系”を装ってアメリカへ移住し生き延びていたのだ。
ゼブはかねてより妻が亡くなったら、”復讐”を実行にうつすとマックスに伝えていたらしい。それすらも、今となってはゼブ本人の記憶には”おぼろげ”となっていたのだが。そんな彼のために、マックスは計画を手紙にしたためたのだと言う。
マックスは”ルディ”と思しき容疑者を4名にまで絞っていた。今は車椅子生活を余儀なくされているマックスに替わって、同朋のゼブに「4名からの”犯人”の絞り込み」と「”復讐”の実行」を改めて促したのだ。
ゼブは早速、手紙どおりに行動を開始する。老人ホームを抜け出した彼は先ず、銃砲店で”実行”に使用する小型拳銃を購入するのだが。。
【感想・みどころ】
ケビン・ベーコン主演の「コップ・カー」では、年端もいかぬ少年がピストルを扱うサマが怖かったりしたが、認知症を患った本作の主人公、老人”ゼブ”がそれを扱うサマはもっとコワイ。特に序盤では、主人公とピストルとの”間合い”のようなものが、スリリングな展開をもたらしている。
さらには、認知症の老人という”独特な主人公のキャラ設定”により、従来ではSF系の物語(例えば「トータル・リコール」など)でしか為し得なかったドラマ性を、リアルな現代劇に織り混ぜることに成功している。
因みに本作の宣伝でうたわれていた、いわゆる”衝撃の”結末は、予告編を観ただけでも何となく予測できていたので、特に驚かされた事はなかった。但し、だからと言って本作がツマラナイということにはならない。
むしろ鑑賞後に、本作のストーリーを思い返せば思い返すほど、如何にこの映画に込められた”ユダヤ人のナチスに対する怨恨”が深いものかということを感じさせられる。
現代における大きな社会問題の一つは、中東や欧州を中心とした”止まらない地域紛争”だ。その点を踏まえて、昨今のナチスをテーマに扱った映画には、”負の連鎖”を食い止めるための提言を込めたものが数多く見受けられる。
しかし裏を返せば、これは「愛する家族を殺した仇を見逃せよ」と言わんばかりのニュアンスにも取れる。
(特に欧州で支配的になっている)そんな風潮に対して、少なからず”違和感や拒絶反応を示す者”も実際にはいるのではないだろうか。そんな”怒り冷めやらぬ人々”に向けた架空のアンサー。それがこの映画の裏テーマなのかも知れない。
罪悪感なき者への深き怨恨(1) 映画『ザ・ギフト』について
※動画はネタバレなしです!
そのジャンルに関わらず、”贖罪(しょくざい)”がテーマとなっている映画は実に多い。それは言語や文化的な背景の如何に関わらず、世界中のあらゆる人間の価値観や言動に影響を及ぼす共通の”意識”と言えるからではないだろうか。
それだけ人は(それが”法”に触れるか否かは別にして)、過去の自らの言動や行動に何らかの”罪悪感”を感じているものなのだろう。
しょくざい
【贖罪】
犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。特にキリスト教で、キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪の状態からあがなった行為。<※google辞書より>
とりわけ、
<自分が全く自覚をしないまま、他人に対して多大な心理的・物理的損害を及ぼすような”罪”を犯していた。そして、その被害者は決してそのことを忘れていない、、、>
などというシチュエーションは、多少なりとも”贖罪”の意識を持つ人間に対して、この上ない恐怖を与えるに違いない。
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『ザ・ギフト』(2015年)
【あらすじ】
順調にキャリアを重ね、子供には未だ恵まれぬものの”経済的な豊かさ”を手に入れた夫婦。夫のさらなるキャリアアップを伴う転職で、彼らは転居先での新生活をスタートさせる。そして、そこは夫<サイモン>が育った故郷の街でもあった。
理想的な邸宅を手に入れた夫婦は、生活雑貨の買い出しのため訪れたショップで、たまたまサイモンの高校時代の同級生<ゴート>と出会う。25年ぶりの再会を喜びつつも、先を急ぐ夫婦はゴートに自宅の連絡先を渡して、その場を去った。
ある日、自宅前にゴートからの転居祝いを兼ねた”贈り物”として一本のワインが置かれていた。最初は素直に喜ぶ夫婦だったが、彼からの”贈り物”はその後も続いた。次第にその内容もエスカレートしていき、夫婦は困惑し始めるのだが。。
【感想・解説】
<ストーリーについて>
※半ネタバレ注意!ただし、これ読んでも映画は楽しめると思いますが(笑)
こういう、”贈り物”系スリラーは数多くあるため、如何に”捻るか”が作る側の腕の見せ所なのだろう。裏返せば、多くのネタが出尽くした感がある為、結構”レッドオーシャン”的な分野ではなかろうか。
そういう意味では、本作は隙間のピンポイントを突いた力作だと言える。その結末(つまり、この物語の有り様)は、予測ができなかったし、ホラー映画ばりのビックリ箱的な”怖がらせ”が散りばめられていて、映画の進行を見届けるのが、恐ろしくなってくるような展開をみせる。
また物語設定の面においても、”ギフト”の贈り主が、その素性も含めて序盤からハッキリしている点が面白い。さらには、彼は決してサイコパスではないという点も。その仕込んだ罠が巧妙であればあるほど、彼の”頭脳的な資質”も相まって、その哀しみと怨恨の深さが浮き彫りになるというストーリー構造を為している。
結果的に、あえて物語設定の前提条件を絞り込んで臨んだことが、本作の勝因のひとつだと言えるのではないだろうか。
あえてツッコミを入れるとするなら、”イカれた輩”が複数いて、彼らがお互いに敵対している場合、恐怖も相殺されてしまうのでは、という点。言い換えれば、それが本作の”ホラー”ではない所以と言えるのかも。
ラスト、主人公を打ちのめしたのは赤ん坊の目ではない。もはや、父親など誰でもよいかのような空気を醸す妻<ロビン>の強い眼差しなのだ。
結局、しょうもないオトコどもを”消去”して、幼子とふたり再出発を図るシングルマザーの背中を押す物語だとしたら、(特に欧米では)多くのキャリア・ウーマンの共感を得る一作なのかも知れない。
<スタッフ、キャストについて>
夫・サイモンの同窓生ゴートを演じるジョエル・エドガートンによる監督デビュー作。脚本も彼自身の執筆による渾身の一作といえる。
サイモン役は、ジェイソン・ベイトマン。映画監督の父と女優の姉を持つ。近作はコメディ映画への出演が多く、ディズニー・アニメ「ズートピア」ではキツネのニック・ワイルド役で声の出演をしている。
妻のロビン役はウッディ・アレン監督「それでも恋するバルセロナ」で知的ながらも禁断の恋に落ちてしまう主人公を演じたレベッカ・ホール。彼女独特の知性を醸すセクシーさが、自身のキャリアを犠牲にしてきた妻ロビンの、”どこか抑圧された感情”を表現していて素晴らしい。
若者たちのおバカな日々を描く群像劇。映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!!」と「アニマル・ハウス」について
「エブリバディ・ウォンツ・サム!!世界はボクらの手の中に」(2016年)
【あらすじ】
1980年9月、アメリカのとある州立大学に”野球”入学する主人公”ケヴィン”は、新学期のスタートする3日と15時間前に野球部員が共同生活する”ハウス”に入居する。
そこで彼が見たものは、メジャーリーグからも注目される名門チームのメンバーとは思えないほどハチャメチャな日々を送る先輩たちだった。。
映画「エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に」ショートレビュー
【感想・みどころ】
ひとつのシリーズ、あるいは、ひとつの作品を長年にわたって撮るのが趣味(?)の、ど変態監督、われらが”リチャード・リンクレイター”の最新作(笑)。
ある大学の名門野球部の新入生が主人公。この映画は同監督の前作とうって変わって、主人公の入寮から新学期を迎えるまでの”3日と15時間だけ”を描いている。
とにかく、諸先輩はじめこの野球部の面々のバカっぷりが突き抜けている(笑)。冷静にみれば、メジャーからのスカウトを期待するような一流チームが”こんなわけ”ない筈(笑)だが、なぜか、荒唐無稽さは感じられれず、なかなかリアルな青春群像劇に見えてくるのだから不思議だ。
きっと、ひとりひとりのキャラが丁寧に設定されていて、こんなやつ”いるいる”感がしっかりと湧き出ているからなのだろう。
ほんとこんなハチャメチャなヤツ、社会に出たら一体どうなるのだろうかと少々心配していた友人が、意外や大企業の要職に就いていたりとか、近い経験をした人も少なからずいるのではないだろうか。
そんな仄かなリアル感が、この終始バカっぷり満載な”はずの”映画鑑賞後に、なんとも言えない切ない余韻を残してくれる。それは観るものの多くが、自分の青春時代の想い出の”どこかほろ苦い部分”とオーバーラップしてくるからではないだろうか。
音楽面でも(特に)ミドルエイジ以上の観客にとっては、胸にグッとくるような楽曲のオンパレードで楽しめる。その辺はちょっと「スクール・オブ・ロック」の匂いも感じるような。本作を観ると、当時のオトコどもにとっては”ヴァン・ヘイレン”って、もろミーハー系アイドル音楽の位置づけだったってことが解る。ところが観てる私にとっては、”泥レス”シーンでかかるヴァン・ヘイレンが一番音楽的にアガってしまったという小っ恥ずかしさ(笑)。
また、主人公とガールフレンドが徐々に親密になっていくシーンでは、この世代特有の理屈っぽいロマンティシズムに満ちた会話の応酬が描かれる(笑)。それはまるで「ビフォア・サンライズ」におけるイーサン・ホークとジュリー・テルピーを彷彿とさせる佇まいなのだ。
そうそう、主人公演じるブレイク・ジェナーって、イーサン・ホークと「6才のボクが〜」主演のエラー・コルトレーン双方と同じ匂いを感じるのは私だけだろうか。ガールフレンド役のゾーイ・ドゥイッチはジュリー・デルピーっぽいし(笑)。
ここで、ある想いがリンクレイター・ファンである私の頭をよぎる。もしかしてこの映画は、長年にわたる大河ヒューマンドラマ・シリーズの序章に過ぎないのではないかと(笑)。
「アニマル・ハウス」(1978年)
【あらすじ】
時は1962年、舞台はアメリカ北東部にある架空の私立大学”フェーバー大学”。新入生のラリーとケントは新人勧誘を目的としたパーティ真っ最中のサークル”オメガクラブ
”のハウス(寮)を訪れる。ところが、家柄や学業成績などエリートとしての資質が明らかな学生にしか興味のないクラブに爪弾きにされてしまう。
仕方なく、既に同校を卒業したケントの兄の古巣という”デルタクラブ”のパーティに出向く。そこはビール瓶が飛び交い、”ブルート(ジョン・ベルーシ)はじめ”粗暴でハチャメチャな先輩がひしめく”問題学生”の巣窟だった。。。
【感想・みどころ】
全米で人気のコメディショー「サタデイ・ナイト・ライブ」。その番組でブレイクしたコメディアン、ジョン・ベルーシの、日本における劇場用映画デビュー作。彼は、のちにダン・エイクロイドと共演した「ブルース・ブラザーズ」やスティーブン・スピルバーグ初期の戦争コメディ「1941」での活躍で、一躍スターダムにのし上がった。
もうおバカ加減が半端ない”デルタクラブ”を象徴するハチャメチャ学生”ブルート”を演じるのが、このジョン・ベルーシ。あのニコリともせず”もろ”毒を孕んだ独特のキャラで観客を爆笑させられるのは、後にも先にも彼だけだろう。この毒キャラ中心に独特のドタバタ感を醸すコメディ映画としての基礎は、監督ジョン・ランディスの次作「ブルースブラザーズ」において見事に踏襲されている。
しかしブルートは、本作に於けるギャク要素を一手に牽引する役割を担うものの、物語上では決して主人公とは言い難い。(タイトルバックのクレジット上では主演扱い)
物語上の主人公は、新入生の片割れ”ラリー”。彼はちょっとしたオトボケキャラではあるものの、並み居る先輩たち(笑)の間においては、意外にマトモなほう。このラリーと前述したブルートの関係性は、面白いことに赤塚不二夫の「天才バカボン」に於ける”バカボン”と”バカボンのパパ”のそれと相似形を成す。<ちょっと薄めな小ボケキャラ>と<毒に満ちた”危ない”過激キャラ>とのコンビネーションが、どこかシニカルな笑いを誘うようなハイブリッドな物語構造を成しているのだ。
本作のもう一つの”みどころ”は、今となっては意外に豪華な出演者の顔ぶれ。ジョン・ベルーシは冒頭に書いたとおりだし、物語上の主人公”ラリー”を演じるトム・ハルスは本作出演後にアカデミー作品賞受賞作「アマデウス」の主人公モーツァルトに抜擢されている。
また、ラリーの先輩の彼女でデルタクラブの紅一点”ケイティ”を演じたカレン・アレンは、後にインディ・ジョーンズ・シリーズにおいてハリソン・フォード演じる主人公の相手役(準主役)で2作品に出演している。
そして、ケイティといい関係になってしまう奔放な大学教授”デイブ”を演じるドナルド・サザーランドは、後にロバート・レッドフォードの初監督作「普通の人々」で主演している。さらには、後に「フットルース」で主演したケヴィン・ベーコンも端役で本作に出演しているのだ。